2. 釜の沢・左股沢の調査から
平成12年の単独調査は、標高910m付近まででした。それで、天野和孝先生が同行された平成14年(2002年)9/22の調査も合わせて報告します。
(下のルートマップは、再掲です。)
沢の名称は、「ため池」の少し上流で二股となり、左に分岐しているので、左股沢と呼ぶことにしました。左股沢は、雨川水系との分水嶺P1219から三角点1138.2mに延びる尾根を挟んで、釜の沢本流とほぼ併行して流れています。
分岐してすぐの上流には、黒色頁岩層があり、火山砂の挟みで測ると、走向・傾斜は、N40°E・20°NWでした。しかし、水平距離で上流へ20mほどでは、粘土化した凝灰岩層を挟む黒色頁岩層の境で、N60°W・20°SWと、南落ち傾斜に変わりました。(【図-⑬】)
標高835m~840mでは、風化すると黄土色になるの粗粒砂岩が卓越し、層理面に対して垂直な割れ目ができていました。N20°W・10°Wです。しかし、わずか上流では、N60°W・10°Nと、走向・傾斜は定まりません。(【図-⑭】)
標高845m付近に、不規則な黒色頁岩片の入る「ひじき」構造が見られる暗灰色粗粒砂岩(N70~80°W・12°S)の滑滝がありました。付近の傾向は、砂優勢な砂泥互層です。(【図-⑮】)
標高860m付近(【図-⑯】)では、黒色頁岩を主体とした中粒砂岩層との砂泥互層(EW~N80°E・10~20°S)の中に、幅10cm(上流側)~15cm(下流側)×長さ2.5mのコングロ・ダイクがありました。N50°W・垂直で、層理面と不調和に貫入しています。礫種は、黒色頁岩と灰色砂岩です。すぐ上流にも、黒色頁岩片の入る粗粒砂岩相と灰色中粒砂岩層の滑滝があり、中粒砂岩層にコングロ・ダイクが見られました。(標高865m付近)
標高920m付近(【図-⑰】)では、下流側から黒色頁岩層の中に、露頭幅2mの礫岩層(傾斜10°とすれば層厚は40cmほどか)が認められました。礫種は、石英閃緑岩(最大8×20cm)・黒色頁岩(20cm)・灰色砂岩(円礫)です。黒色頁岩層は、N40°E・10°SEでした。
また、沢の合流手前の標高930m付近では、黒色頁岩層(N40°E・10°SE)の中に、コングロ・ダイク(幅10cm×長さ2m)がありました。途中が欠けて、内部が観察できました。深さ10cmで周囲の黒色頁岩が見えているので、「礫岩でできた棒」(10×10×200cm3)という産状かと思います。
標高960m付近では、沢底が黒色頁岩層(N20°E・5°NW)の階段状となっていました。標高970mの第一堰堤の手前は、水平幅で30mに渡り礫岩層が見られました。堰堤は、この固い礫岩層(注-*)を利用して建設されたものらしく、「平成11年・復旧治山事業第105号工事・佐久市宇坂入№1」と記されていました。(【図-⑱】)
(注-*)礫岩層の厚さ:水平幅で30mにも及ぶ礫岩層ですが、下流側5°北落ち、上流側5°南落ちの傾斜データーを見ると、堰堤付近は水平層に近いので、礫岩層の層厚は、それほど厚くはないと思われます。仮に5°どちらかの傾きとすれば、2.5mほどとなります。
第一堰堤の上に出て、歩測で150mほど上流では、礫を含む黒色頁岩層の走向・傾斜は、N50°E・5°Sで、南落ちでした。第二堰堤の手前、15m下流側で、南落ちの砂泥互層部があり、その砂岩部分に「ロードキャスト」のような産状が認められ、見かけの層理面と逆転しているのではないかと、皆で話題にしました。 (【図-⑲】)
左股沢を詰めて行くと、標高1000m付近で、林道「東山線」にぶつかりました。
その後は、灰色中粒砂岩と黒色頁岩との互層の繰り返しで、砂優勢の砂泥互層が所々で見られました。1095mASL二股付近では、川底の岩肌に、ニホンジカの爪跡が続いていました。両岸に鞍部があって、獣道のひとつかと思いました。
標高1110m付近の互層部で、N60°E・15°Sを記録しました。
標高1150m付近まで踏査して、沢を下り、林道「東山線」にまで戻りました。
林道に戻り、沢との合流点から西側へ約25m付近で、目視できる断層がありました。黒色頁岩層をわずかに挟む暗灰色粗粒砂岩層で、南側が落ちているように見えました。断層帯の幅は2mほどで、断層面は、N70°E・垂直です。延びの方向を見ると、左股沢・第二堰堤の少し上流部の凝灰質暗灰色粗粒砂岩層の分布位置に当たります。(【図-⑳】)
そこから、林道に沿って北へ200mほど行った地点(三角点の北東、標高1010m付近)で、林道の道路から更に10mほどの切り通しがあり、ここで大規模なコングロ・ダイクが見られました。【図-※印】
崖に、北に面して2本のコングロ・ダイクが見られ、礫岩層の幅は、50cm(左)と70cm(右)あります。
下の方に黒色泥岩層が2層挟まり、全体は灰色細粒~中粒砂岩層で、写真で見ている方向から奥側(南側)に、緩く傾斜しています。この正常な堆積構造に対して、コングロ・ダイクは、垂直よりいくぶん西傾斜(70°W)で、切るようにして貫入しています。そして、コングロ・ダイクや砂岩層の蓋をするかような格好で、黒色頁岩層が最上位に載っています。(【崖露頭の説明図】を参照)
黒色泥岩層の下の砂岩層の中から、二枚貝のカキ殻が見つかりました。(図のA)
また、同じ層準の西側(図の右側A')では、二枚貝のソデガイ(Yoldia sp.か)がありました。その下の黒色泥岩層の下の砂岩層からは、巻き貝のタマガイ(Natica)が見つかりました。(図のB)
この露頭は、礫層の層厚が厚いことでも注目されますが、コングロ・ダイクの深さ(高さ)がわかるという観点からも、とても貴重なデータです。現在見えている部分の高さが、下から貫入した長さ、反対に、落下した深さだと解釈すれば、推定でも8mは優にあることになります。後述する第Ⅱ章「コングロ・ダイクとは?」でも紹介します。
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大型コングロ・ダイクの露頭から、林道を西に進み、三角点1138.2の北に延びる尾根の、標高1150~1160m付近では、貫入した玢岩岩体と、その影響で熱変質したと思われる露頭がありました。(写真・上)
玢岩の露出している岩体は、幅3m×高さ2mと大きくはないが、熱による変質部分と、影響を受けていない部分があるのが不思議である。
同時に、次のような感触も抱いた。
私は、単純に黒色泥岩が、火成岩体の熱で変成を受け黒色頁岩(slate)になると理解していたが、
長い間かなりな高温に触れていないと変成まで到達しないのではないか? 泥岩や砂岩は乳灰色~明灰色になっている。これは、熱変成というより、まだ熱変質の状態ではないかと思いました。
【編集後記】
前回(102回)でも話題としましたが、黒色泥岩や泥岩が、熱変質(熱変成の弱い状態を想定している)した時の産状が、どうしても、良く理解できません。
ちなみに、後の所(ホド窪沢)で詳しく述べますが、コングロ・ダイクが、ヒン岩の熱で変質されたのか、色が変わっています。釜の沢上流部での観察です。
写真の未整理で、今日も、余分に時間がかかりました。お陰で、写真整理も同時進行しています。それにつけても残念なことは、ちょうどこの当時の写真の多くが、容量を節約して、画質と共に、サイズも小さく処理していたことです。後で、画像処理をしましたが、小さいものを大きくはできません。鮮明でない写真ですが、ご容赦ください。(おとんとろ)