北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-105

3 ホド窪沢の調査から(後半)

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 標高985m付近(【図-⑪】)では、周囲の泥岩層とコングロ・ダイクが、熱変質を受けている露頭が見られました。当初、玢岩体がコングロ・ダイクを捕獲しているかに思えたが、周囲は熱変質された泥岩(黒色から光沢のある灰白色に変色)と見た方が良さそうである。
 コングロ・ダイクは、小さい方が幅4cmほど、大きい方が幅8~10cmで、長さは見えている部分で、約1mである。興味深いのは、コングロ・ダイクと変質泥岩の境が、小さな波を打っているように変形している点である。

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ホド窪沢・標高985m付近の露頭

 標高1000m付近では、林道「東山線」が通ります。
(林道下の995m二股には、沢水を流すための土管がありました。しかし、この調査の後、2007年5月20日に同所を訪れた時、すっかり埋まっていました。)

 林道を横切り、沢に入ってすぐの場所で、玢岩の露出(1.5m×4m)が見られました。そのわずか上流では、熱変質されていない黒色泥岩層(N75~80°E・10°S)が見られました。熱源の影響は、かなり限定的だとの感触をもちました。

 

 そして、標高1010m付近(【図-⑫】)では、極めて重要な露頭を発見しました。黒色泥岩層にコングロ・ダイクが貫入した後、さらに両者をヒン岩の岩脈が貫入している様子を確認しました。(下の説明図参照)

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コングロ・ダイクと泥岩へのヒン岩の貫入

 これは、黒色泥岩(内山プロパー)とコングロ・ダイク、そして玢岩貫入の時代を決める上で、決定的な意味をもっています。
 玢岩が、黒色泥岩とコングロ・ダイクの地層を切って貫入しているので、貫入時期が堆積後であったことを物語っています。コングロ・ダイクの成因の項で、説明します。

                     
 標高1020m付近でも重大な発見がありました。大規模コングロ・ダイクがあります。(【図-⑬】)

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ホド窪沢・標高1020m付近の露頭

 写真の中央が、コングロ・ダイクの礫岩層です。周囲の黒く見える部分は、緩やかに南側(上流側)に傾斜している黒色泥岩層です。
 走向・傾斜N75°S・10°Sの黒色泥岩層に対して、コングロ・ダイクは、N20°W・85°Wで、ほぼ直交するように貫入しています。幅25cm×長さ15m以上あります。礫の種類は、結晶質砂岩や黒色砂岩、黒色頁岩です。

 詳しくは、第Ⅱ章「コングロ・ダイクとは?」で説明しますが、典型的な大型コングロ・ダイクの産状です。
 この上流にも、標高1035m二股までの間に、幅10~15cm×長さ数mのコングロ・ダイクが3露頭ありました。

 標高1040m付近(【図-⑭】)では、【様々な小規模コングロ・ダイクの産状(ク)】のように、幅5cmの礫岩層が、黒色泥岩層の中を、小さなブロック状でつながっている産状が認められました。標高1045m手前で、灰色凝灰岩の薄層を確認して、この日の調査は終わりました。

 


4 中村林道の沢の調査から

 沢の正式名称はわかりませんが、付近に林道「中村線」とあったので、この名称で呼んでいます。沢に入る前に、内山川本流を調べました。

 日向橋の下流15m付近で、全体幅で6mとなる砂礫層が見られました。走向・傾斜は、N60~70°W・70°Sで、下位(下流側)から、礫岩層(60cm)・暗灰色粗粒砂岩層(3m)・礫岩層(40cm)・砂礫岩層(2m)と重なる連続露頭です。礫岩層には、いずれも最大な礫で、チャート礫(12×15cm)、花崗閃緑岩礫(15×20cm)、黒色頁岩片(長径5cm)が含まれていました。この岩相は、内山層基底礫岩層の特徴です。(【図-①】)

 沢に入り、しばらく露頭はありません。標高820m付近で、黒色泥岩層にコングロ・タイク(幅10cm×長さ2m、延びNS・垂直、中央で湾曲)が貫入していました。
 そして、標高825m付近では、黒色泥岩層に灰色凝灰岩層(40cm)が挟まれていました。境目でN60°W・30°SWでした。(【図-②】)

 標高835m付近(【図-③】)では、黒色泥岩が「平行四辺形」の形に割れる産状が認められました。泥岩は、厳密に言うと砂質泥岩ですが、頁岩にはなっていません。

 二股手前の標高865m付近から、いくぶん粒度が粗くなり、黒色~暗灰色細粒砂岩層が現れます。そして、N70°W・10~20°Nと、北落ちとなりました。
 標高900m付近で、再び黒色泥岩層(N30°W・10°NE)に戻ります。
 標高915m付近で、黒色泥岩層(N20°W・10°NE)は、平行四辺形に割れる産状が認められました。(【図-④】)東隣のホド窪沢では、この標高辺りで、注目すべき露頭が次々と現れましたが、この沢は少々期待外れでした。

 935mの二股を左股に入ります。「平成11年8月豪雨災害の復旧道と工事中の橋」がありました。標高960m二股付近では、泥岩層や砂岩層が熱変質を受けたのか、明灰色となっています。(【図-⑤】)
 標高985m付近で、玢岩が認められ、そこから標高990m付近まで、熱変質を受けたと思われる明灰色の砂泥互層が続きました。(【図-⑥】)
 標高1000m付近で、林道「中村線」の標柱と橋がありました。(沢の名前の由来)
 標高1030m付近では、軽石を含む凝灰岩層が認められました。肉眼でも石英や長石がわかるほど珪長質です。(【図-⑦】)
 標高1040m付近の右岸に崩れがあり、熱変質を受けた砂泥互層が最後の露頭でした。(【図-⑧】)この後、標高1070m二股を確認して、下山しました。


5 所沢の調査から

 比較的大きな沢ですが、別荘が多く、なだらかな地形なので心配していましたが、やはり露頭の少ない沢でした。西から流入する小さな沢を確認し、標高820m付近から入りました。
 標高835m付近(【図-①】)で、黒色泥岩層(わずかに砂岩層を挟む)の中にコングロ・ダイク(幅10cm×長さ1m)がありました。
 標高840m付近で、砂泥互層(黒色泥岩は粘板岩化している)、標高850m付近で、灰色中粒砂岩層、標高860m付近(【図-②】)で、火山砂を含む粗粒砂岩層が見られました。
 標高890m付近(【図-③】)で、灰色中粒砂岩層に凝灰岩層(8cm)が挟まり、風化して黄土色をしていました。標高915mで、黄鉄鉱が入る灰色中粒砂岩層があり、ノジュールの抜跡が認められました。(少し下流には、ノジュールがありました。)
 標高925m二股(【図-④】)では、熱変質を受けた中粒砂岩層がありました。
 標高945mの二股から右股沢に入りましたが、露頭がなくて、標高970mから林道に上がりましたが、こちらにも露頭は、ありませんでした。
 林道を標高1080m付近まで登ると、幅の広い林道と交差します。道路の切り通しで、凝灰角礫岩(tuff breccia)の露頭を見つけました。西側のガレ場は、おそらく同質の火山物質だろうと推測しました。(志賀溶結凝灰岩の崖です。)

 

  【 閑 話 】

 地質調査時のお昼は、皆、楽しみにしています。委員は、お弁当持参で参加しますが、各自の個性や家庭事情を反映して様々です。奥様に作ってもらう人、手を煩わせずにコンビニ弁当の人、お茶派、コーヒー派、清涼飲料水派、さすがにビール・酒派はいませんが、スポーツドリンクも人気です。

 私は、梅を刻んで混ぜた海苔おむすびが好きで、自作です。そして、3個食べる時は、4個作り、1個は非常食で、家に帰ってから食べることにしています。飲み物は、冷水とコーヒーです。本当にのどが乾いた時は、冷たい水が、何よりです。副食は家内に作ってもらうこともありますが、『○○をたくさん持っていって、他の人にもあげれば・・』と言われても断ります。他の人用は、持っていかない冷淡な私です。これも非常食と共に、山に入ったら、自分のことは自分でするという習慣なのです。

 これに対して、荷物が多いなと思っていると、昼食時に、六川先生から委員全員に果物や飴などが配られることがあります。はたまた、自動車が使えることを見越したとはいえ、渡辺先生はスイカを幾つか丸ごと持参してきて、川の水で冷やして豪快にいただいたこともありました。

 ところで、今日の所沢の調査は面白みのない露頭ばかりで落胆していましたが、お昼時に、奇妙な自然現象と遭遇しました。【写真右→】雲の底が、下方へ凸状になっている雲でした。ちょうど、凹凸のある洗い用のスポンジを下から眺めているようです。晴れ積雲を始め、上昇気流によってできる雲は、底が平らでも、上に盛り上がっているものです。ところが、ひとつずつの雲のセルの中央部は、下降気流となっているから不思議です。

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所沢の調査(2001年・8月4日)

 調べて見ると、『層積雲の一種で、うね雲、まだら雲などと呼ぶ。大きな塊が群れを成し、ロール状、うね状または層状に全天を覆ったり、雨が降る前に現れたりする。出現高度が低い(地上付近~2000m)ため日光をさえぎる事が多く、その隙間から日光が漏れる事もある。』と言いますが、下降気流のことは? 雲の中で、雨粒が落ちてきてはいるが、上昇気流や湿度の関係で消えているのかもしれないと思いましたが、どうなのでしょう。 
 その後、俗称『乳房雲(ちぶさぐも)』であるとわかりました。

 乳房雲の出現は、強い下降気流の発生を意味していて、下降気流に伴って降る大雨や雹、雷に注意と言う。私たちの昼食時は、晴れていたが、東側の群馬県側では積乱雲が発達して、黒い雨雲も見られた。

 はっきりとしたこぶが現れた場合は激しい気流の渦が発生していて、上空では乱気流、地上近くでは竜巻が発生する恐れがある。高い空の乳房雲は、乱流が原因と言っても、その影響が地上にまで及ぶことはなく、地上の竜巻よりも上空の乱気流への警戒が必要である。

 積乱雲と共に表れる乳房雲などのように、空の低い所に現れる乳房雲は、米国では、竜巻(トルネード)の前兆として広く知られていると言う。

 

 【編集後記】

 基礎資料の記載の羅列で、やや退屈かもしれませんが、当初の目的のひとつが、失われていく露頭や、日本の気候から植生繁茂の為に後では見分けられなくなる露頭もあるので、それを記録しておくという意味で、お許しください。

 ホド窪沢の、(ア)コングロ・ダイクを含む泥岩層にヒン岩が、貫入しているという証拠、(イ)標高910m付近の滝、前後の露頭、(ウ)標高1020m付近の大型コングロ・ダイク露頭などは、他の沢の露頭と共に、再登場しますが、貴重な資料です。

 ちなみに、上記(ウ)の露頭は、財団法人・佐久教育会に名称を変えた後、教職員の他、一般の人にも研修会を計画して観察してもらおうとしましたが、その下見で入ると、写真撮影のような開けた沢ではなくなっていて、当時の感動を伝えるのには不十分でした。どんどん自然が回復していくというと聞こえはいいですが、露頭を残すという観点からは、日本の自然は逞しすぎるようです。(おとんとろ)