北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-114

9.大沼沢の調査から

 2002年10月14日(月)、祝日「体育の日」の振替休日に、大沼沢入口に駐車し、沢の調査に入りました。

 西尾根の東へ張り出す標高860m付近では、黒色頁岩層と灰色中粒砂岩層(風化色は黄土色)の互層です。走向・傾斜は、N70°W・30°Sでした。ただし、砂泥互層といっても、下位から実測値で、砂(40cm)/泥(50cm)/砂(120cm)/泥(50cm)/砂(50cm)という感じです。混濁流により砂泥がひとつのユニットとして堆積するタイプの互層ではありません。(【図-①】)

 西から流入する沢との合流点、標高865m付近では、西側が50cmずれて落下した正断層が、目視できました。砂泥互層は、N80°E・5°Sです。走向は、流入する沢の方向と一致していました。(【図-②】)この上流標高872m付近で、灰色中粒砂岩と黒色頁岩がずれて互層していたので、断層の影響が、及んでいるのかもしれません。

 標高880m合流点のすぐ上流、標高885m付近(【図-③】)では、明灰色凝灰岩層(厚さ50cm)を挟む黒色頁岩層が見られ、N80°W・10°Sでした。
 標高887m付近では、黒色頁岩層の中にコングロ・ダイク(幅20cm×2.5m、N70~80°W・垂直方向に貫入)が見られました。(【図-④】)

 この上流30mにもコングロ・ダイクがありました。周囲の黒色頁岩層は、N40~50°W・10~20°SWでした。測定値に幅のあるのは、剥離性が強く、やや「ちりちり」状態だからです。

 標高890m付近で、なぜか上流側から見てS字に川筋が湾曲します。地層の走向・傾向や地形的観点から西尾根の高まり(通称ポコ)の存在、西隣柳沢での大規模コングロ・ダイクの上流滝(過去の造瀑層)辺りとの関連で、何かが期待される位置に当たります。沢の流路から左岸側にだけ露頭が集中することに疑問を抱いていましたが、少し上流まで進むと、厚い砂礫層が現れ、納得しました。(【図-⑤】) 下流側(下位)から、砂礫層(2.5m)/砂質泥岩層(0.5m)/砂礫層(2.5m)です。距離的にも近いので、前述の層準と関連がある硬い砂礫層準の連続だと思われます。

 この上流側、標高975m二股付近までは、敢えて砂質を強調する黒色泥岩層が、続きました。しかし、柳沢のような連続露頭は少なく、黒色泥岩が主体で、わずかに互層部もありました。走向からみると、柳沢の黒色泥岩層と同じ層準を観察していると思われます。唐沢先生の化石採集をした場所です。(唐沢Location-5)

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大沼沢のルート・マップ(再掲)


 標高975m二股から、左股沢に入りました。標高985m付近(【図-⑥】)では、黒色泥岩層と黒色頁岩層の境で、いくつかの走向・傾斜のデーターを得ました。
(ア)N20°E・10°E、(イ)N20°W・8°SW、(ウ)EW・10°Sなどです。傾斜が緩い為、測定値に開きがあるのかもしれませんが、大局的に南落ちであることは共通しているので、(ウ)の値を採用しています。

 標高995m二股(【図-⑦】)では、玉葱状風化の泥岩層の東側に、断層粘土を見つけました。目視できる断層の西側部分がN10°W・55°Eです。

粘土層(10~20cm)を断層と見ると、N20~40°Wが断層の延びる方向です。粘土層の東側部分は、NS・60°Eでした。

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玉葱状風化(大沼沢)


 標高1030m付近(【図-⑧】)では、薄い(10cm)灰白色凝灰岩層を挟む黒色泥岩層(玉葱状風化)が見られました。N70°W・10°Sの走向・傾斜でした。

 この後、標高1045m二股は右股に入り、沢を詰めて、尾根の標高1140m付近に出ました。(【図-⑨】)尾根筋には凝灰角礫岩(tuff breccia)の岩塊が点在していました。トラバースは止め、尾根伝いに三角点1264.7に出ました。ここには、整備された遊歩道があり、南西に進みました。そして、登ってきた沢の一本西側の沢の上流部と思われる地点(【図-⑩】)から、沢を下りました。標高975m二股へとつながる沢です。

 最初の二股を経て、標高1080m付近(【図-⑪】)では、青味を帯びた灰色の凝灰岩層(10cm)が見られました。
 標高1060m付近(【図-⑫】)では、砂質黒色泥岩層(20cm)の上位に礫岩層(15cm)が見られました。
 標高1050m(次の二股)付近では、砂質黒色泥岩層が現れ、N40W・5°NE、およびN50°W・5~10°NEの走向・傾斜が測定できました。(図では前者を採用)
 このすぐ下流、標高1045m付近では、薄い凝灰岩層を挟む黒色泥岩層がありました。N50°W・5°NE、および少し下流側でN60°W・10°NEでした。

 標高1040m二股付近(【図-⑬】)では、風化していて、一部は粘土状になっていましたが、明らかに「緑色凝灰岩」層と思われる露頭がありました。(図で、GT)
(上流の薄い凝灰岩層も、青味を帯びる程度は低いものの、この類だろうと思います。)

 さらに沢を標高975m二股まで下って、確認すれば完璧な調査報告となりますが、沢の西側に林道があるのを知っているので、ついつい怠けてしまい、林道を利用しました。

 日本列島は、移動性高気圧に覆われ、快晴の一日でしたが、尾根越えで疲れました。林道を使って下山しました。

 

  【 閑 話 】
 日が西に傾き始め、林道を歩いて下山途中、木々の間から荒船山の艫岩(ともいわ)が見えたので撮影しました。

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1123峰の東、林道から荒船山(艫岩・ともいわ)を望む

 荒船山は、新第三紀鮮新世の輝石安山岩溶岩などを主体とした火山です。かなり古い時代の火山なので、風化・浸食が進み、どこが火口かわかりません。

 山頂は、Mesa(メサ)のように平らで、船を逆さにしたような山体をしています。

 艫岩は船尾です。舳先(へさき)は、経塚山(きょうづかやま)と呼ばれ、最高峰(1422.8mASL)です。

 ところで、「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき」(猿丸太夫)ではありませんが、私も秋の調査で初めて雄鹿(ニホンジカ)の求愛の声を聞いて、感動しました。しかし、悲しくも寂しくもなく、実体験できたという意味で感激し、行方を捜しました。
 一方、羆(ヒグマ)や熊(ツキノワグマ)は、その形跡のたとえ一部でも見れば、怖くてしかたありません。一人の調査は恐怖との闘いでもあります。今日は3人なので安心でした。
 熊の痕跡は、内山層の調査でも何度か遭遇したことがあります。そのひとつは、立ち木への爪跡です。(写真・右→)

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熊(ツキノワグマ)の爪痕 

 爪跡は、熊のMarking(マーキング)』だと思っていたので、私たちは高さから熊の大きさを話題にしていましたが、NHKスペシャル「ツキノワグマの生態」(平成29年1月15日放送)を視聴して、目から鱗でした。
 動物写真家の横田 博 氏(当時68歳)が、足尾山地で、28年間もの長きに渡り、熊の行動を取材してきた成果です。幹を傷つけたり、樹皮を剥がしたりして、親子の熊が樹液の糖分をなめている場面の映像撮影に成功したのです。

 ・・・・他の大変貴重な映像も含めて、とても感動しました。そして、爪痕の真実がわかり、急に恐怖の対象から、親しみのもてる存在に変わりました。

 【編集後記】

 本文中、「赤い文字」で強調しましたが、隣の沢の調査が済むと、そこで観察された地層の延長先を予想しながら、調査を進めていきます。この時、地勢図(国土地理院発行の地形図、できれば2万5000分の1程度)を見て、硬い岩盤が続いているかとか、層理面を反映していないかとか、様々な予測をします。それが、外れた場合は、逆に何かの地質的な理由があることも経験します。河川の流路や、沢の二股、地形の高まりは、何んらかの地下の地質構造が影響している場合が多いです。

 文末の「NHKスペシャル・ツキノワグマの生態」は、実に興味深い番組でした。

私たちは、熊とはなるべく逢わないようにと歩いていますが、横田さんは、逢おうとして山道からファインダーを覗いていたわけです。長年に渡る地道な観察と決定的な証拠から、真実がわかりました。

 このところ私たちは、定期的、組織的にフィールドに入るのを止めてしまっていますが、まだ身体は十分に動きますので、活動していきたいと思います。(おとんとろ)