北海道での青春

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佐久の地質調査物語-121

第Ⅴ章 北部域の沢

 平成14年度に地学委員会では、内山川本流の調査(7/6と8/4)をしましたが、それらの資料を夏休み中にまとめていると、もっと多くのことが一刻も早く知りたくなってきました。それで、尾滝沢(8/10)、内堀沢(8/11)、苦水の沢(8/12)、牛馬沢(8/12)、初谷沢(8/13)と、連続して内山川の北側の沢に単独で入りました。この調査により、多くの情報が得られました。 また、根津古沢は、車を使ったポイント調査(2002 11/3)だったので、再調査をしてみる予定です。各沢ごとに紹介していきたいと思います。

 

1. 内堀沢の調査から

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内堀沢と周辺のルート・マップ

 内山川本流の崖露頭(内山川本流図幅1/3【図-④】)と、近接する付近が、どんな関係になっているかが課題です。

 

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内山川本流・第④露頭(大月層) ←「崖露頭」のこと


 合流点付近が複雑そうなので、少し上流の堰堤の下から調査を始めました。堰堤から下流へ55m付近から、黄鉄鉱の入る暗灰色中粒砂岩層、灰色中粒砂岩層(25m下流)、灰色と黒色中粒砂岩層(15m下流)、堅い帯青灰色中粒砂岩層(堰堤の下)の順番で、分布していました。熱変質がありますが、中粒砂岩層は内山層ではないようです。
 砂防堰堤(【図-①】)は、「平成3年復旧治山事業第42号工事(豆の窪)」と記されていました。堰堤の上流は、黒色頁岩がやや優勢な灰色中粒砂岩との互層で、走向・傾斜は、N20°W・45°Wでした。(【図-②】)
 標高810m付近の二股を、左股沢に入りました。砂防堰堤(【図-③】)の下は、灰色中粒砂岩層で、川底と左岸側に石英斑岩の貫入が認められました。堰堤の上流25mから、連続して露頭が続き、標高840mの二股(【図-④】)までは、走向N20°W、傾斜20~45°Wと、走向・傾斜が極めて安定していました。ほぼ同層準を観察していると思われますが、上流に向けて、少しずつ下位の地層を見ていると思われます。下流側(層準では下位へ)から、(ア)凝灰質暗灰色粗粒砂岩層や灰色中粒砂岩と黒色頁岩の互層、(イ)ほぼ同質だが、互層部が砂優勢のストライプ(縞状)となる、(ウ)軽石が入るようになり、中粒~粗粒砂岩と黒色頁岩の互層の順でした。

 標高840m二股(【図-④】)から、北西に延びる枝沢に入りました。軽石の入る凝灰質粗粒砂岩層が、広く分布しています。(【図-⑤】)駒込層の、緑色凝灰岩層(軽石凝灰岩)に相当する層準ではないかと判断し、引き返しました。

 北に延びる沢を登りました。灰色中粒砂岩~暗灰色粗粒砂岩と黒色頁岩の互層でした。(【図-⑥】)表土が崩れ、立木の根が現れていましたが、根はわずかな表土の中を這うようにして根を広げている様子が見てとれました。

 標高860m付近で、灰色中粒砂岩層の露頭を最後に沢は伏流したので、左股沢の調査を終えました。標高810m二股まで戻り、再び本流を詰めていきます。

 二股の上流15m付近から、黒色頁岩の崩れ、灰色中粒砂岩層、砂優勢な互層、再び灰色中粒砂岩層、軽石の入る粗粒砂岩層と続きます。互層で、N20°W・60°Wでした。灰色中粒砂岩層が卓越していました。(【図-⑦】)

 砂防堰堤(【図-⑧】)のすぐ下では、左岸側(南側)が灰色中粒砂岩層の崖で、川底にも広がります。幅3~4cm×長さ1.5~2mのコングロ・ダイクの4露頭が認められました。黒色のレンズ状礫岩層で、熱変質していると思われます。堰堤の上は、熱変質した明灰色の細粒砂岩層(左岸側)と凝灰質粗粒砂岩層、灰色中粒砂岩と黒色頁岩の互層でした。

 標高830m前後の沢が、緩く曲がりながら東北東に延びる部分(【図-⑨~⑩】)は、両岸から山が迫りU字谷のようで、きれいな滑滝がみられました。(後日、調査した志賀川本流の標高905m付近の谷の風景の小規模版です。)青味がかる灰色の粗粒砂岩層で、緑色凝灰岩として良い岩相です。ここに、黒色頁岩やストライプ(縞状)が見られる砂泥互層が挟まっていました。ここにも、小規模な黒色のレンズ状礫層(コングロ・ダイク)が認められました。互層部で、N20°E・20°Wでした。これらは駒込層です。

 標高835m(【図-⑪】)付近では、明灰色粗粒砂岩層の連続露頭でした。暗灰色から熱変質をして、明灰色となっていると思われます。N20°W・25°Wでした。
 標高840m(南東から流入する沢の合流点)(【図-⑫】)の下流側と上流側へそれぞれ10mで、石英斑岩の貫入(岩枝の一部)が認められました。
 本流に対して小さな沢状地形となる【図-⑬~⑮】は、いずれも熱変質を受けた泥岩や砂岩だと思われます。白色~灰白色の泥岩(【図-⑬】)、灰白色の砂岩(【図-⑭】)、白色泥岩、北西からの沢で、白色泥岩と粗粒砂岩(【図-⑮】)でした。
 ここで、「マムシ」を目撃しました。伝え聞いたオレンジがかった銭形模様という意味も理解しました。勇気を出して、石の下に入った蛇の写真を撮りました。

 標高860m二股(【図-⑯】)では、凝灰質灰色粗粒砂岩層でした。
 標高870m(【図-⑰】)付近では、灰色中粒砂岩と黒色頁岩の互層部で、間に層厚40cmの礫岩層を挟んでいました。N10°W・30°Wでした。
 標高885m(【図-⑱】)付近では、同様な岩相で、N10°W・20°Wでした。 標高900m二股(【図-⑲】)付近では、砂優勢な黒色頁岩との砂泥互層と、軽石の入る粗粒砂岩層でした。N10°W・30°Wと、この砂が優勢な砂泥互層の範囲は走向・傾斜が安定していました。これらも、駒込層の分布域です。

 しかし、「マムシ」との遭遇以降、岩石を見るよりも蛇がいないかの方を気になっていましたが、1mを優に越える茶色系の蛇(多分、オアダイショウ)が、少し先の岩の上にいて、先に進む気持ちは完全に失せてしまい、引き返すことにしました。この後、沢を下りてくる途中でも、足を踏み出そうとした下に蛇がいて、空中で足を変えました。崩れた砂岩岩塊が住処となり、沢筋には小動物もいるので、蛇にとって良い環境だったのかもしれません。

 

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墓地の対岸(左岸側)のケッチ

 一度、内堀橋まで戻った後、本流との合流点から沢に入り直しました。
 合流点から10m入った【図-a】では、黒色頁岩と灰色中粒砂岩の互層でした。
 畑に出る所の川底と右岸(【図-b】)では、
泥質メランジェのような岩相が見られました。
【a&b】は、内山層のものではないいう感触をもちました。

 そして、墓地の対岸(左岸側)(【図-⑳】)、畑から伸びる小径に沿った全体で30mほどの露頭です。岩相の特徴は、ありきたりの泥(E・F)を挟む、細粒から粗粒砂岩ですが、崩れ部分を境に北側と南側(下流側)の構造が違います。それで、スケッチをしました。(スケールはあるものの、印象と理解してください。)
 堰堤の南側の小さな崖(【図-c】)は、凝灰質粗粒砂岩でした。
 この後、駒込(地域名)に至る道路沿いに観察をしました。

 【図-d】では、凝灰質灰色細粒砂岩層、【図-e】では、凝灰質暗灰色粗粒砂岩層でした。【図-f】では、風化したぼろぼろの凝灰岩層、【図-g】では、灰色中粒砂岩層でした。そして、【図-h】では、灰白色凝灰岩層で、N20°W・40°Wでした。

 内堀沢周辺を概観すると、熱変質を受けた部分もありますが、全体的に凝灰質な砂優勢な砂泥互層がおおく、緑色凝灰岩としても良い層も含まれているので、「駒込層」という感じがします。しかし、【図-a・b】は「大月層」でしょう。
 そうなると、ちょうど両者の境付近となるスケッチをした箇所(【図-⑳】)は、深い意味のある露頭になるかもしれません。

 

 【編集後記】

 既に、「地質調査物語-山中地域白亜系」で掲載した「内山層~白亜系」の地質図ですが、本文に関わる地域は、大月層との境目に当たるので、位置関係がわかり難いと思い、再掲載しました。

 内堀沢から尾滝沢にかけての地域は、内山層の基底礫岩層群が点々と不連続で繋がり、南北性の断層で切られています。本流の第④露頭は、大月層の分布する一番西側になります。

 

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修正・内山層の地質図

  今日は、朝から一日中、雨降りで、午前中は、久しぶりに英語の勉強をしました。かつては、毎日30分ぐらい、短文書き取りや、英作文を続けていましたが、はてなブログを挙げるようになってから、気が向いた時ぐらいになっていました。

 昨日、アスパラガスの苗を48ポット定植したので、願ってもみない慈雨となり、私の学習習慣を復活させてくれた記憶起こしの雨にもなったようです。この雨は、夕方には上がり、明日は再び晴れるので、農作業に追われる日々です・・・・と言いながら、身体を動かしていることが好きなのです。

 M78星雲の惑星・「光の國」からやってきた「ウルトラマン」と同じで、太陽光を浴びていないと調子が出ません。(おとんとろ)