北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-123

3. 初谷沢の調査から

 地質調査を進めていく上で、いくつかの波があります。仲間と一緒に入ることはあっても、単独で入ることは、あまり多くありません。しかし、平成14年の夏休みは、夢中になって単独調査にのめり込みました。


初谷沢の内山川との合流点付近(【図-①】)と沢の入り口付近(【図-②】)については、内山川本流(3/3)で説明しましたが、内山層の「基底礫岩層群」が分布しています。明灰色粗粒砂岩層(2m)の上に、礫岩層(5m以上)が、載っています。

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再掲載:【図-①】露頭

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再掲載:【図-②】露頭

 「大月層」と内山層の不整合は、『内山川本流(2/3)【図-⑮露頭』で確認できますが、断層で接しています。但し、目視できる2つの断層で、大月層の黒色粘板岩や中粒砂岩が破壊されて、内山層の礫岩層と接しています。
 また、南部域(後述)の、例えば腰越沢では、山中地域白亜系を巨礫を含む基底礫岩層が、不整合関係で接しています。
 基底礫岩層の下位に粗粒砂岩層が認められる産状は、北部域だけの特徴のようです。

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 沢の湾曲部(【図-③】)では、やや砂質ではあるが、黒色粘板岩(slate)が見られました。黒色頁岩層も見られ、境でN80°W・30°Sでした。 次の湾曲部(【図-④】)では、黒色粘板岩層(EW・40°S)が見られました。

 沢が南東に湾曲する付近(【図-⑤】)では、黒色粘板岩層、暗灰色粗粒砂岩層、礫岩層(50cm以下)の互層が見られ、層理面でN70°W・45°Sでした。一部、黒色粘板岩の上に載る粗粒砂岩層が整合しない所があり、目視できる小断層が認められました。

 標高860m~865m付近(【図-⑥】)では、安定して黒色粘板岩層(slate)が続きました。一部に砂質な黒色頁岩層も挟まれています。同質の岩相の為、走向・傾斜は測定できませんでしたが、全体状況からは、南傾斜40°ほどと推定できそうなので、泥相部分の層厚は、120mぐらいになります。結構な厚さです。

 東からの小さな沢の合流点付近(【図-⑦】)では、川底に礫の入る粗粒砂岩層が見られました。

 標高870m付近の沢の湾曲部分(【図-⑧】と【図-⑨】)では、再び黒色粘板岩層が見られました。走向は、N80°Eで、湾曲部の小さな崩れでは、一部で30°Sと緩くなる所もありましたが、40°S~50°S~65°Sと、傾斜が増し、南落ちでした。

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 標高875m二股から、東南東に延びる沢(右股沢)に入りました。入口から20mほどで、暗灰色細粒砂岩層がありました。その上流から、標高950m付近までは、黒色粘板岩層で、わずかに黒色頁岩層も挟まれていました。走向・傾斜は、EW・垂直~60°Sと、南落ちでした。走向は、沢の延びる方向とほぼ一致しているようです。

 (【図-⑪】)岩相と厚く連続した露頭は、本流の【図-⑥】に対応しそうです。

 

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初谷沢のルート・マップ

 同じ二股に戻ります。本流のすぐ上流では、黒色頁岩層(N80°W・50°S)でしたが、沢の湾曲部分(【図-⑫】)では、下流側から中粒砂岩層(N10°E・60°E)/崩れた部分/黒色頁岩層(N20°W・30°E)と、走向・傾斜が乱れています。そこで、北から流入する小さな沢を登って、道路露頭を確認してみることにしました。

 【図-⑬】付近では、北から流入する小さな沢の西側に、コンクリートの防護壁がありました。沢の川底は中粒砂岩層です。そして沢の東側の黒色頁岩層(N60°W・垂直)に対して、防護壁の西側の黒色頁岩層(N60°E・70°N)は、走向・傾斜が大きく乱れていました。【図-⑫】の崩れ部分は、道路露頭【図-⑬】と関連しているものと思われます。周囲が、比較的安定した走向・傾斜なので、断層の可能性が高いです。

 同じ沢を使って再び、本流に戻りました。
 合流点から上流部は、黒色頁岩層が続き、EW・65°Sと、走向・傾斜は元の傾向に戻っていました。(【図-⑭】)
 ところが、標高890mの沢の湾曲部(【図-⑮】)では、黒色頁岩層の中に、暗灰色中粒砂岩片が入っていて、N70°W・50°Nと、北落ちに変わりました。少し上流でも、黒色頁岩層(EW・40°N)は、同様な傾向でした。

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 共に東から小さな沢の流入する標高895~905m付近(【図-⑯】)では、黒色頁岩層が続き、EW・80°Nでした。

 標高910m付近では、黒色頁岩層(N80°W・80°N)があり、右岸側に、礫岩層がブロック状に貫入していました。内山層で話題にしてきたコングロ・ダイクに似た産状
です。幅5cm×長さ3mが、曲がりながら入っていました。(【図-⑰】)

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内山断層か? 【図-⑱】露頭

 標高915m付近(【図-⑱】)では、下流側から黒色頁岩層が続き、層厚40cmほどの礫岩層が見られました。その上に、熱変質による珪酸分の富化した泥岩層があり、石英斑岩(Quartz-Porphyry)(【図-⑲】)と接していました。

 礫岩層は、長さ1~2mの3ブロックが、上流側から長い敷石を並べたように分布していました。ちなみに、N50°W/N60°W/N20°Wの方向に蛇行するように配置されていました。
 また、礫は現世の川底の石かと見間違えるような印象を感じさせるもので、最大20×15×15cm3もありました。

 砂岩の礫が多く、珪質砂岩や火成岩(流紋岩や粗面岩など)の礫も認められました。
珪質化した泥岩と石英斑岩は、シャープであるので、断層で接しているのではないかと思われます。方向は、N50°E・30°NWと測定できました。
 石英斑岩の露頭(【図-⑲】)の上流側は確認してありません。

 

 《初谷沢の地質のついての解釈》

 初谷沢全体の情報から走向・傾斜だけを見ると、中流部の【図-⑭】と【図-⑮】の間に、背斜軸がある褶曲構造も考えられます。(そういう風に解釈した先人の資料もあります。)
 しかし、下流側は黒色粘板岩層で、上流側は黒色頁岩層で、変成程度は大きく違います。

 寧ろ、【図-⑫】と【図-⑬】付近で断層が推定されるので、褶曲構造(背斜)ではないと考えています。

         

 【編集後記】

 初谷鉱泉の少し下流で、『内山断層ではないか?』と思われる断層面を観察した時、

感動しました。

 しかし、大きな時代を画する割には地味な存在で、それにも驚きました。ただ、この露頭は、小坂共栄先生や野村哲先生らが、存在を証明してくれたものなので、きっと確かなんだろうなと、思いました。

 ところで、今日は、ニンニクの土寄せ(午前)と、ジャガイモの土寄せ(午後)と、鍬での農作業だったので、疲れた一日でした。(おとんとろ)