北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-125

第Ⅵ章 雨川水系の沢

 平成15年度、地学委員会では、調査域を内山川水系から、田口峠を越えた広川原や、尾根の南側の雨川水系へと広げました。(次頁:【雨川水系の主な沢の位置と名称】を参照。)
 示した名称は、林務関係者が使用した森林地図(原図は大正時代)に記されていたもので、沢の名称というより、場合によっては尾根筋に付けられたものや、使用目的であった森林区分を示す名称が多く載っていました。ですから、私たちが知りたい沢の名称が記載されていない場合も多くありました。例えば、以下のような状況です。

 

(ア)雨川砂防ダム湖の「不老温泉(鉱泉)」に、湖月荘(当時の佐久町の公営宿泊施設)ができました。その西側の一帯は『うりう』と呼ばれ、小さな尾根を境に、東側から  「東うりう」・「中うりう」・「西うりう」と、森林区分で呼ばれています。
  また、「荷通り」も沢の名称ではなく、周囲の尾根に囲まれた沢の一帯が、この名称で呼ばれ、場所は、枝番を使って区分しています。

(イ)現在、林道「東山線」は、尾根を経て雨川水系と内山川水系が繋がっていますが、古くは「大沼林道」と記載されていました。

(ウ)「西武道」と「東武道」は、尾根で東西に区分されていて、尾根と沢を含む一帯の名称です。沢がその中心にあるので、私たちのフィールド・ネームでは、沢の名称として採用することにしました。(ただし、地図では「東武道」を流れている沢は、西武道沢川と記されていました。雨川との合流点の橋が、西武道橋なので記載の間違いではなさそうです。そして、ひとつ上流の橋は東武道橋です。)

 

 以上のような事情がありますが、私たちは沢の名称の方が都合が良いので、森林区分に付けられた場合でも、沢を「土地の名前+沢」として、呼ぶことにしました。
 また、調査した順番にできるだけ忠実に、紹介していきたいと思います。

 

 広川原方面・馬坂川支流(6/8 2003)・小唐沢~つめた沢~大唐沢(7/6 2003)・中原倉沢~ヌカリ久保沢(8/11 2003)・西武道沢(9/6 2003)・林道東山線(10/19 2003)・阿ざみ沢~片原沢(10/18 2003)・小屋たけ沢~程久保沢(8/7 2004)の順番です。
 そして、『滝ヶ沢林道・地獄沢(6/5 2004)・仙ヶ沢~判行沢(8/11 2004)・不老沢(2004)』の雨川水系の南西側の沢は、まとめて別項にします。

 

 

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雨川水系の沢の名称

 

1. 広川原・馬坂川の支流の調査から

 内山川本流と北側の支流の調査を終えた平成15年度の最初の調査は、田口峠を下った広川原で西から合流する馬坂川の支流に入りました。(下図、ルートマップを参照)

 

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馬坂川の支流の沢、ルート・マップ

 

 県道93号線(田口峠から広河原や狭岩集落を経て、群馬県に抜ける)の橋から支流に沿って、かつての生活道路があり、堰堤から沢に入った。「昭和51年、谷止工事・コンクリート広川原№1長野県林務部」とある。(【図-①】)
 凝灰質な火山砂をマトリックス(基質)にして、玄武岩質岩塊や黒色の結晶質砂岩の礫を含む凝灰角礫岩からなる層が見られました。山中地域白亜系の調査(平成4~8年度)で、白井層に影響を与えたと推定する「新三郎沢層(先白亜系、ジュラ系か?)」に類似しているとの感触を得ました。

 標高775m付近(【図-②】)では、軽石が含まれた粗粒砂岩~礫岩層がありました。そして、標高785m付近(【図-③】)では、再び凝灰角礫岩層が見られました。
 標高795mには「昭和40年コンクリート谷止工事」の堰堤(【図-④】)があり、直下は、緑色を帯びた灰色の結晶質砂岩の滑滝となっていました。一帯は、続成作用で変質したと考えられ緑色を帯びた結晶質砂岩層でした。緑色岩など、火山性堆積物の存在は、新三郎沢層の下部層を想起します。

 続く標高800m付近(【図-⑤】)でも、薄紫色(細粒黒雲母の変質)や、黒色、灰色の結晶質砂岩層が見られました。岩相から、先白亜系であることは確かなようです。

 北から小沢の合流する標高810m付近(【図-⑥】)では、珪質の灰色砂岩層が見られ、N20°W・60~70°Wの走向・傾斜を測定しました。
 標高830m付近(【図-⑦】)では、玢岩(porphyrite)が見られ、少し上流の川底では、暗灰色の結晶質砂岩層と接していました。わずか上流の左岸には、小さな祠(ほこら)がありました。

 南からの沢と北西からの沢の合流する標高840m付近(【図-⑧】)では、川幅が広がり、玢岩の岩脈が頻繁に見られました。標高880m付近(【図-⑨】)までは、玢岩岩脈だけでしたが、再び図-⑥と同様に、基盤岩の暗灰色結晶質砂岩と接する露頭が観察できました。

 そして、標高910m二股です。右股の標高920~930mに、緑色を帯びた暗灰色の粗粒砂岩層があり、断層粘土と思われる露頭が認められました。(【図-⑩】)

 戻って左股に入ります。標高950m付近(【図-⑪】)に、緑色を帯びた凝灰角礫岩でできた滝(落差5m)がありました。滝の下と滝の左岸は、玢岩で、この滝を境に断層が推定されます。断層面は、N20°W・70~80°Eでした。大滝は両岸とも登ることができず、滝の上流への調査は断念し、引き返しました。

 右股の標高970m付近から、暗灰色粗粒砂岩層が現れ始め、これらが造瀑層となって小さな滑滝を形成しています。標高1010m付近(【図-⑫】)で、粗粒砂岩層の走向・傾斜は、N10°W・70~80°Wでした。

 これら大滝と推定断層の上流側(層位的には上位)は、断層を挟んでいますが、走向・傾斜はほとんど同じです。ただし、岩相は違い、緑色岩や緑色を帯びた凝灰質の傾向はありません。兜岩層だと考えています。

 

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田口峠から群馬県側(東)を臨む・・狭岩へは峠を南東に下っていく

 

【 閑 話 】 広川原の思い出

 標高差で田口峠から300m以上も下った広川原は、分水嶺を越えて群馬県側になりますが、なぜか、佐久市(旧・南佐久郡臼田町)に属しています。

 佐久の民話に、『昔、田口と下仁田の殿様が、日の出から双方で城を出発して出会った所を国境にするという約束をしました。田口の殿様は、馬でなく牛に乗って出かけるので、夜明け前に城を立ちました。ところが、田口峠を越えた広川原の狭岩(せばいわ)で、下仁田の殿様と出会い、そこが国境となりました。』という趣旨の話があります。

 佐久市との南の境は熊倉川ですが、東の境は馬坂川の狭まった辺りで、群馬県甘楽郡南牧(なんもく)村と接しています。

 調査年度(平成15年)、杉林の手入れをしていた老人の話では、『現在、私たち夫婦を含め、4世帯5人で、若い人は群馬県側に出てしまい誰もいない』ということでしたが、かつては、田口小学校「広川原分校」がありました。

 私が野沢中学校1年生(昭和41年)の夏休み、この分校で一泊二日のキャンプをしました。所属していた理科クラブ(現在の専門部活動)の顧問(故)小林茂男先生のご指導の下、狭岩にある「地下湖」の水質調査の為のサンプリングをしました。神秘的で巨大な地下洞窟や地下湖、特に、抜け穴の細い岩盤の「ほふく前進」は強く印象に残っています。
 翌年の夏休み、理科クラブを止めて、バスケットボールクラブに移りましたが、級友と自転車で再び訪れました。片道でも優に25km、自動車でも1時間以上かかる山道の、しかも往復、よくもまあ自転車で移動したかと思うと、今では感心してしまいます。

 

 【編集後記】

  広川原のことを、もう一度思い出す機会は、令和元年(2019年)10月11日(金)~12日(土)に佐久地方を含めて、日本各地を襲った台風19号でした。

 下の長野県内各地の10月の降水量は、ほぼ2日間に渡る台風による雨です。

 長野・群馬県境が特に多いことがわかります。ちなみに、10月12日の24時間雨量は、北相木395.5mm、佐久市303.5mmでした。

 この台風による洪水被害は、長野市の「新幹線車両基地の浸水」や「千曲川堤防の決壊」などが、全国に大きく報道されました。佐久地方でも、千曲川の主に東側から流れ込む支流が溢れ、床上浸水や堤防の決壊などの被害が多く発生しました。

 ところで、広川原集落は、佐久市に所属しますが、地形的には湿った大気が秩父山系や県境の山にぶつかって上昇し、激しい雨雲となる条件を備えた場所に当たります。

 正式な気象データはありませんが、北相木や佐久市の東部地域よりも、もっと多くの降水量だったことが予想されます。数名が暮らす集落からは、田口峠を越えて長野県側(佐久市臼田)へも移動できず、反対に群馬県下仁田側にも下れません。まさに、陸の孤島として、高齢者ばかりが取り残されました。台風通過後、ヘリコプターが出動して、佐久市側に救出されたニュースが流れました。 

 

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令和元年(2019年)10月の長野県内各地の降水量

 令和元年の10月の俳句会へ、

『秋出水 案ずる行方 難無きと』という句を出しました。

 私の住まいは、同じ佐久市内でも西山の際で、やや高台にあるので、降った雨は、そのまま低い佐久平に流れて行ってしまいます。だから、どうしても、高見の見物のように聞こえてしまいそうですが、この日は、『これだけ降れば、下流域では大きな被害になるだろうな』と予感し、流れていく水の行方がとても気に掛かりました。そして、案の定という災害となってしまいました。

 流行時期には、やや遅れてしまいましたが、新書ベストセラー「人新世の『資本論』(斉藤幸平氏)」の本を、最近読み返しました。筆者の述べたい趣旨は、最後半の、人々の意識が変わり、政治・経済体制が改善されないと、例えば、二酸化炭素の削減をめざしたとしても、根本的解決には繋がらないということの意味も、多少なりとも理解できるようになりました。

 そんな目線で、『米国ユナイティド航空が、現行のジャット旅客機の2倍の速度が出せる超音速旅客機(Overture)を購入する』と発表したニュース(6/5)を見ると、そんな必要ないよ!と感じます。この計画には、日本航空も投資していると言います。

 海外など、私の場合は、滅多に行かないですが、渡航に半年もかかるようでは困るけれど、一日二日で行ければ、それで十分ではないかと思う。長野新幹線は、東京まで行くのに大変有り難いが、リニア新幹線まで・・・必要なの?と思う。

 物欲を離れて、悟りを開いた人間では決してないが、自分の幼少期と比べ、もう十分に物については幸せ過ぎるからいいです、満足していますという心境です。それだけ、老人になったのかな・・。(おとんとろ)