北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-126

2. 小唐沢~大唐沢の調査から

 平成15年7月6日、つめた沢橋の上流から雨川に入り、合流点からは小唐沢に入って尾根まで詰め、南牧村との県境尾根を経由して、つめた沢を下りました。最後に、別荘の脇を流れる大唐沢に入り、一日で3本の沢の調査ができました。(「つめた沢~小唐沢~大唐沢」ルートマップを参照)

 雨川本流、つめた沢橋の上流、標高1015m付近(【図-①】)では、黒色の砂質泥岩層の中にコングロ・ダイク(幅10~15cm×長さ1.5m、N20°E・垂直)が見られました。小唐沢との合流点手前の川底には、露頭幅20m以上に渡って玢岩が分布していました。(【図-②】)合流点では、灰白色~明灰色の泥岩層が見られました。今までの観察から、この産状は、元は黒色(砂質)泥岩が熱変質により、明灰色になっているものと思われます。砂より泥が多くなってくると、灰白色になります。

 小唐沢に入りました。標高1025m付近(【図-③】)では、熱変質された明灰色泥岩層(N30°E・40~50°SE)の中に、幅5mほどの破砕帯が認められました。
 標高1030m(【図-④】)から、南西からの沢の合流点まで、同様な熱変質した泥岩層が続き、標高1040m付近(【図-⑤】)では、黒色泥岩層の中にコングロ・ダイクが見られました。
 その少し上流に玢岩岩脈があり、東からの沢の合流点(【図-⑥】)では、暗灰色泥岩層に黄鉄鉱(pyrite)の富化が見られました。

 東からの3本目の沢との合流点(【図-⑦】)では、熱変質した泥岩層・砂岩層があり、再び玢岩岩脈が見られました。
 そして、標高1060mの西からの沢との合流点(【図-⑨】)では、熱変質した礫岩層が現れました。最大直径15cmの亜角礫の巨大な礫を含みます。礫種は珪質の砂岩で、含有成分の差と変質からか、赤紫色・薄紫色・暗灰色など様々です。また、花崗岩や花崗閃緑岩の巨大な礫です。礫は、いずれも古い時代のものと思われます。今までと、明らかに岩相が異なります。
 そこで、重要な境になるだろうと考え、東側への延びが予想される【図-⑦】に戻って、少し上流部も確かめると、同様な産状が見られました。内山層との境や不整合は認められませんでしたが、ここから上流側が、兜岩層の分布域と考えて良さそうです。さらに、少し上流の【図-⑨】では、直径30cmの花崗岩塊が礫岩に含まれていました。不整合的な産状として良いと考えました。

 標高1070m二股(【図-⑩】)を左股に進みました。軽石を含む凝灰角礫岩層が続きました。標高1075m~1120m(最終二股)まで、軽石を含む凝灰角礫岩層が点在していました。(前述の範囲として【図-⑪】)崩れやすく層理面がわかりずらく、走向・傾斜が測定できないので、どのくらいの層厚になるかは不明です。

 「下まで戻るのが大変」なことと、詰めた沢の立木の様子から、尾根まで出られそうだと判断しました。南牧村との県境尾根のポコ(1210mASL)で昼食にした後、尾根を西に進み、つめた沢に降りることにしました。

 

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つめた沢~小唐沢~大唐沢のルート・マップ



 つめた沢の標高1120m付近に降りたようです。すぐに1110m二股を確認できました。そのわずかに下流(【図-⑬】)で、露頭幅15mの玢岩岩脈が現れました。さらに、西からの沢の合流点手前でも、同様な玢岩岩脈が認められました。

 標高1090m付近(【図-⑭】)では、熱変質した灰白色泥岩層、標高1080m付近(【図-⑮】)でも、同様な灰白色泥岩層が見られました。こちらは玢岩帯を含む破砕帯もあり、全体が脆くなっていました。

 隣の小唐沢からの延びが予想される兜岩層の礫岩層(巨大な礫を含む)や凝灰角礫岩層は、つめた沢には延びていないと思われます。2つの沢の間に断層がありそうです。(ちなみに、全体構造を見ると、大上峠~熊倉沢破砕帯~大滝~田口峠~本地域を経て内山断層にまで達する断層のあることがわかりました。)

 この後、標高1070m、1055m付近で、玢岩岩脈が認められました。そして、東からの沢との合流点、標高1040m付近(【図-⑯】)で、熱変質した灰色~暗灰色の泥岩層と砂岩層が見られました。
 標高1030m付近(【図-⑰】)では、泥岩層の中に3本のコングロ・ダイクが認められました。奇妙なことに熱変質した部分と影響のない部分(西側)がありました。すく下流にもコングロ・ダイク(小規模)がありました。
 標高1022m付近(【図-⑱】)では、黒色泥岩層が見られ、こちらは完全に熱変質の痕跡がありませんでした。玢岩の岩体が小規模なことが原因と考えられますが、熱変質の範囲は限られているようです。

 出発点の「つめた沢橋」に戻りました。まだ日が高いので、樽久保沢方面に向かいました。都会から週末に訪れ愉しむ為の別荘があり、手製橋が懸かっていました。おじゃまして、橋の少し上流から沢に入りました。すぐに凝灰角礫岩(tuff breccia)が、現れました。上流部は、凝灰質の暗灰色砂岩層でしたが、全体の岩相から見て、兜岩層だと考えました。小唐沢の上流部とほぼ同質だと思われます。(データーは図に記載)

          

 【編集後記】

  沢の露頭からは、内山層と、それを覆う「兜岩層」が観察できたり、南側から延びてきていると推定される断層の証拠が得られたりと、収穫の多かった調査でした。

 しかし、目新しい写真データもないので、この尾根から臨める荒船山を紹介します。

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荒船山(山頂が平らな「メサ」のような山体)

 上の写真は、佐久市下平~竹田の近くの「虚空蔵山」(多福寺の南東)から、東側を臨み、カメラでズームしたものです。

 ちょうど船を逆さにいたような山体の荒船山が見えます。左(北)側が、「とも岩」と呼ばれ、船尾のこと(とも・・船偏に慮)です。佐久と下仁田を結ぶ道路から、断崖絶壁が臨めます。

 反対の右(南)側は、荒船山の最高峰「経塚山(1423mASL)」です。

 平べったい山頂全体は、地学用語で「メサ(mesa)」と呼ばれる地形です。語源は、スペイン梧の食卓テーブルの意味です。上位に硬い水平な地層があって、下位に侵食されやすい柔らかい地層がある場合、下の地層が侵食されて急崖を形成し、上部は侵食されないためにテーブル状の台地となるようです。荒船山の場合、「とも岩」の断崖絶壁もこの類です。

 佐久を代表する3火山、「浅間山八ヶ岳荒船山」の内、荒船山は、他の2つよりはるかに古い第三紀の火山(新世末頃・7Maか?)なので、溶岩の浸食が進んで平らになっているようです。こんな例は、日本では、屋島琴平山香川県)・万年山(大分県玖珠町などが知られています。

 ちなみに、「屋島」は、源平の戦いの一つの舞台となった所に近い古い火山です。私が学生の頃、四国の地質巡検をした、お土産に「サヌカイト」という名前の、この屋島火山のガラス質安山岩を買って帰りました。お仏壇に供え、鐘のようにして叩いていました。割れてしまい、今はありませんが・・・

 下の写真は、佐久市内山の国道から、荒船山の南側に位置する「兜岩山」を撮したものです。「兜岩層」の名称となった山で、まさに武者の被った兜を連想します。

 ちなみに、「兜岩層」については、内山層のシリーズが終わった後で、香坂層などと共に話題にする予定です。

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荒船山の最高峰「経塚山」~星尾峠~山(無名)~兜岩山

 ところで、改めてブログに載せようとすると、推敲や写真の確認など、手間がかかります。今日も好天で、午前中は農作業を予定していましたが、文筆活動を始めてみると既に正午近くになってしまいました。

 今年は、梅雨入り前に、まとまった降雨が何回かあり、野菜への水遣りが省かれて助かりました。しかし、ここに来て、好天・高温続きで、昨日あたりから、水遣りを始めました。やり甲斐は感じますが、正直、大変です。(おとんとろ)