北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-127

3. 中原倉沢~ヌカリ久保沢の調査から

 森林地図によると、雨川本流右岸の標高1050m~1100mの間に、3本の沢が北から流れ込んでいて、森林区分を示すように、それぞれ尾根に名前が付れられています。下流側から「初手ばらくら」・「中ばらくら」・「詰ばらくら」です。私たちの入った沢は、中ばらくらの西側の沢なので、『中原倉(なかばらくら)沢』と漢字表記し、呼ぶことにしました。同様に、ぬかり久保の東側の沢を『ヌカリ久保沢』とカタカナ表記にして、命名しました。(下図【中原倉沢~ヌカリ久保沢ルートマップ】を参照)

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中原倉沢~ヌカリ久保沢のルートノップ

 平成15年の夏休み8月11日に、樽ヶ久保橋の近くの道に駐車して、中原倉沢に入りました。沢を詰めて稜線尾根に出て、踏み跡道を使って次のヌカリ久保沢の上流部に降りました。沢を下って県道に戻り、「林道東山線」の下見をしました。(林道情報は、別項)

 中原倉沢の入口とその東側の崖(【図-①】)で、凝灰角礫岩(tuff brecia)が見られました。崖露頭は、高さ15mほどあります。この尾根の東側にも類似の崖がありますが、特に崩れやすい訳でもないのに、なぜ崖になっているのか不思議でした。また、入口付近で川が小さく湾曲する理由もわかりません。(ちなみに、地質図では、大上峠~熊倉沢~大滝~初谷沢に至る断層を推定した場所になりました。)

 コンクリート製の砂防堰堤は、右岸を巻いて上に出ました。西から小沢の流入する標高1075m付近(【図-②】)では、凝灰角礫岩が見られました。北東から沢の流入する標高1085m付近(【図-③】)でも、同様に凝灰角礫岩が見られ、堆積物が入り混じり、炭化物も含まれていました。泥流のような堆積の仕方をしたのかもしれません。

 標高1087m付近(【図-④】)では、黒色の火山砂が礫となる礫岩層が造瀑層となる滑滝がありました。礫には最大15×20cmの火山砂の岩塊が含まれていました。沢の入口からここまでが、兜岩層だと思われます。

 

 そのわずか上流、標高1090m付近(【図-⑤】)には、灰色泥岩(シルト岩)があり、走向・傾斜はN80°E・10°Sでした。こちらから、内山層(上部層)だと思われます。
 東から流入する沢との合流点、標高1100m(【図-⑥】)付近には、軽石を含む暗灰色中粒砂岩層(風化面は黄土色)が見られました。
 標高1115m付近(【図-⑦】)では、灰色泥岩(シルト岩)が見られ、標高1120~1135m(【図-⑧】)では、灰白色中粒砂岩(火山砂)から暗灰色~黒色細粒砂岩層へと漸移していきました。標高1140m(【図-⑨】)では、灰白色の凝灰質細粒砂岩層が見られ、鉄分があるのか、風化面は累帯構造(zonal structure)のような縞模様ができていました。

 標高1140mから1150m二股(【図-⑩】)にかけて、灰白色で凝灰質の中粒砂岩層や粗粒砂岩層が、小さな滑滝を形成していました。わずかに挟まる黒色泥岩との挟みで、N40°E・5~10°NWを記録しました。

 二股から左股を詰め、稜線尾根に出ました。全体的になだらかな尾根の小さな鞍部で、標高1185m付近(【図-⑪】)では、人工的とも思えるほど完璧な形状の「すり鉢状地形」が認められました。完全円の直径は20mで、『隕石の落下した小クレーターではないか?』という話題も挙がりました。2万5千分の1地形図に現れてはいませんが、とても不思議な地形だと思いました。

 尾根の踏み跡道を進み、ヌカリ久保沢の源頭から沢を下ると、見慣れた内山層の黒色の砂質泥岩が現れました。標高1170m(【図-⑫】)です。しばらく露頭がありませんでしたが、標高1125m二股(【図-⑬】)からは、黒色砂質泥岩層が見られました。
 標高1118~1120m付近(【図-⑭】)では、ほぼEWで10°N、北落ちの黒色泥岩層の中に、3つの小規模なコングロ・ダイクが見られました。
 上流側から、(ア)幅5~10cm×長さ1.2m、N30°E・80°Eないし垂直、(イ)15cm×1.0m、N15°E・垂直、(ウ)軟着陸タイプ、幅40cm~10cm×長さ1.5mの板状のものでした。

 東からの沢が流入する、標高1105m(【図-⑮】)では、黒色の砂質泥岩層の中に、二枚貝Macoma sp.(ゴイサギガイ)と巻き貝Turritera sp.(キリガイダマシ)が認められました。この東の沢に入ってみると、コングロ・ダイク(5cm×40cm以上(両端が不明)N20°E・垂直)がありました。

 標高1100m付近(【図-⑯】)には、タイプの異なるコングロ・ダイクが認められました。黒色泥岩層の走向・傾斜60~80°W・10°Nに対して、上流側露頭から、
 (ア)走向が類似して、N70°W・60°N、幅15~20cm×2m、
 (イ)基盤が単層ではなく黒色と灰色の泥岩の互層となっている中、N10°E・垂直、   15cm×3mと、貫入している、
 (ウ)それぞれ幅15cm×長さ2mほどの2つのコングロ・ダイクが、ほぼEWとNS   走向で、直角に交わっている、
 (エ)幅40cm(先端は細くなる)×長さ6mの大きなコングロ・ダイク(N10°W)に、小さなコングロ・ダイクの一部が、それを切るように入っている、このタイプは、比較的珍しいものでした。

 標高1087m三股から上流へ25mの地点(【図-⑰】)には、黒色泥岩の小さな滑滝があり、コングロ・ダイクと玢岩岩脈が貫入していました。

 標高1083mで北西から流入する沢との合流点付近は、全体的に泥岩が熱変質し、灰白色を帯びていました。そこで、小さな沢に入ってみると、熱変質した灰白色泥岩の中に、こちらも熱変質したコングロ・ダイク(N10°W・垂直)が貫入している様子が観察できました。(【図-⑱】)
 これから下流側へ、熱変質した泥岩層が分布していました。(【図-⑲】)
 標高1068m二股付近(【図-⑳】)で、玢岩岩脈が現れます。ここから下流側の随所で、同様な玢岩露頭が見られました。そして、標高1040m付近(図-★)では、玢岩が激しく風化していました。断層などによる破砕帯なのかもしれません。

 

 【編集後記】

 沢の名称は、正式には無名沢のようです。それで、私たちが、森林地図に記されている尾根の名前から転用して名付けました。林業関係者は、沢も利用したと思いますが、主に尾根に名前を付けて、区別しています。ここの「原倉(ばらくら)」という全体の地域名に対して、初手~中~詰(つめ)という形容を冠しています。

 ところで、本文中の「小さなクレーターのように見えた窪地」の写真があれば、興味深いですが、残念ながらありません。クレーターのようと表現していますが、もちろん、本物ではありません。ただ、気になる地形でした。

 平成18年(2006年)の第5回信州自然学・下伊那大会の2日目(8/9)に、飯田市上(遠山郷・旧上村)の「御池山隕石クレーター」を見学しました。

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チャート中のPDFsからわかった衝突の証拠を説明する坂本正夫氏と露頭

 坂本正夫先生らは、御池山山頂の北側尾根に同心円状の高まりが点在していることに気づき、隕石衝突の仮説のもとに、長年の調査・研究から、最後は隕石衝突による結晶構造の分析から、隕石衝突の痕跡だと結論づけました。

 直径900mほどの同心円状地形ができるには、少なくとも直径40~45mの小惑星が、2~3万年前に、御池山の南東斜面に衝突したと推測されます。(尾根沿いを中心に、約40%のクレーター地形が残っていると言われます。)

 極めて高速で隕石(小惑星)が地球に衝突したことを示す証拠は、石英の結晶内に形成された面状微細変形組織(PDFs)の存在です。石英の他形の一種です。隕石物質が、残っているのは稀なことなので、その証拠が得られたことも貴重な存在です。

 この夏で、15年も前のことになりますが、クレーターの話題から、御池山露頭のことを、ふと思い出して紹介しました。

 ところで、もうひとつ、「標高1140m(【図-⑨】)では、灰白色の凝灰質細粒砂岩層が見られ、鉄分があるのか、風化面は累帯構造(zonal structure)のような縞模様ができていました。」というエピソードで、急遽、庭の片隅に置いてあった砂岩を写真撮影してきました。

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累帯構造のように見える黄土色(風化色)中粒砂岩

 動物や植物の化石も採集してきますが、面白い形や堆積構造を示す岩石も、家に持ち帰ることがあります。

 累帯構造とは、造岩鉱物の長石(チョウ石)で良く見られる結晶構造で、マグマが冷えて固まって行く時、回りへと少しずつ結晶構造が拡大していった痕跡のようです。専門的には、相平衡や化学成分、冷却速度など、もう少し複雑なものがあるようですが・・

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斜長石の累帯構造(偏光顕微鏡の観察による)

 そこで、この採集してきた砂岩は、どうなっているのでしょう。

 まさか、砂岩が外側へと成長(堆積)したという訳ではありません。今、見ている面が堆積面なので、平面状を外側にという感じです。どうしてなのか、わかりません。

 砂岩には、「玉葱状風化」という現象も見られますが、風化のひとつの姿だとは思います。素人の推理では、『濾紙や和紙の一部に、染料を垂らすと広がっていく現象の、「ペーパー・クロマト・グラフィ』のように、茶色く見える成分(例えば、酸化鉄など)が、砂粒の中を移動していくのに、何らかの速度の統一性・規則性があったのかな?』と推理するのですが、知っている人がいましたら、教えてください。

 本文のような、ルート・マップを解説する地質調査記録は、あまり面白くないと、自分でも思いますので、山や沢から拾ってきた、面白い石やエピソードも載せていきたいと思います。今日は、雷雨がありそうなので、農作業は、畑の点検だけです。(おとんとろ)