北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-130

 

 

 雨川水系の沢

6. アザミ沢~片原沢の調査から

 森林地図によると、「のつ久保」から「1203」を結ぶ尾根を境に、阿ざみ(東側)と片原(西側)に分けられて、名称が付いています。そこで、そこを流れている沢を、それぞれアザミ沢(カタカナ表記)と、片原沢(漢字表記)と呼ぶことにしました。
 (下図、阿ざみ~片原付近のルートマップを参照)

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アザミ沢~片原沢付近のルート・マップ

 平成15年10月18日、天野和孝先生(上越教育大学教授)を六川先生が迎えに行き、田口小学校で皆が合流しました。この年の3月、田口峠付近にバイクを残したまま失踪した由井俊三先生(元北海道大学教授)の捜索隊が山に入っていました。(失踪直後の警察や消防団とは別に、教え子の皆さんや有志での捜索は、その後も続いていて、私たちも2回参加しました。)

 一日中、快晴で、その晩は、内山の相立館に皆で泊まりました。ちなみに、翌19日は、北相木で化石調査をしました。

 県道から少し入った所に立つ別荘の東からアザミ沢に入り、最初の二股、標高989m付近(【図-①】)では、熱変質して灰白色になった泥岩層が見られました。同様な岩相が、標高1010m(【図-②】)、1015m、1025mにありました。

 標高1035m付近(【図-③】)では、風化した玢岩が見られました。
 標高1055m付近(【図-④】)では、熱変質した灰白色泥岩層があり、少し上流に玢岩岩脈が見られました。
 標高1070m付近(【図-⑤】)では、凝灰質灰色中粒砂岩層、風化すると黄土色となり、累帯構造のような茶色の縞模様が現れるのが、特徴的なタイプの産状でした。

 標高1080m付近(【図-⑥】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層が見られ、走向・傾斜は、N70~75°E・8°Sでした。

 標高1090m付近(【図-⑦】)から、熱変質の影響がなくなり、黒色泥岩層が現れました。軽石の入る凝灰岩層も挟まります。同様に、標高840m付近(【図-⑧】)でも、黒色泥岩層(N70°E・8~10°S)で、標高1110m二股までは、黒色泥岩層でした。

 沢を詰め、檜の植林の為の作業道を上って、分水嶺の尾根に出ました。
 標高1165mの鞍部(【図-⑨】)では、志賀溶結凝灰岩(welded tuff)が見られました。この後、尾根伝いに西に向かい、片原沢の標高1035m付近まで、随所に溶結凝灰岩が見られました。このアザミ沢の尾根から西側の標高の高い部分は、志賀溶結凝灰岩で覆われているようです。

 標高1105m二股を確認し、アザミ沢を下り、標高1070m付近(【図-⑩】)に至りました。黒色泥岩層(一部は黒色頁岩層)が見られました。この層が不透水層のようで、沢水が湧いてきていました。
 標高1055m二股(【図-⑪】)では、やや弱い剥離性のある黒色頁岩層が見られました。ちなみに、左股沢を経由して落下したと思われる溶結凝灰岩の転石も目立ちました。
 二股の東側に高さ5mほどの崖露頭(【図-⑫】)があり、層厚3.5mの礫岩層が見られました。走向・傾斜は、EW・5~10°Sでした。石英斑岩の巨大な礫が含まれていました。

 標高1040m付近(【図-⑬】)では、黒色頁岩層(N20~30°E・10~20°SE)が、連続して見られました。わずかに見られた粗粒砂岩層の走向・傾斜(N10°W・70~80°W)は、表示してありません。露頭は連続していても、内部は少し不安定になっている部分もあるようです。

 1030m二股の少し上流(【図-⑭】)では、全体は黒色頁岩層ですが、この中に熱変質した灰白色泥岩層と灰色細粒砂岩層が挟まれていました。境での走向・傾斜は、上流側のN5°E・22°Eから、下流側のN20°E・10°Eと移行していました。わかりにくい構造です。

 二股の黒色泥岩層と灰色中粒砂岩層の境で、N5°W・8°Eでした。走向は、あまり変わっていませんが、傾斜が緩くなっていきました。
 標高1030~1020m(【図-⑮】)は、黒色頁岩層や黒色泥岩層で、走向・傾斜はN5~10°E・10°Eでした。この中に、コングロ・ダイクが見られました。
 上流から、(ア)礫として黒色頁岩塊の入る、幅5~20cm×長さ1m、(イ)黒色頁岩塊と砂岩塊の入る1m×1.5m、(ウ)L字型、10cm×40cmです。(イ)と(ウ)は、板状(軟着陸)タイプです。

 標高1018m二股(【図-⑯】)では、黒色泥岩層に薄い凝灰岩層を挟んでいました。
N60~80°E・10°Sでした。 

 標高1010m付近(【図-⑰】)では、黒色泥岩層(N50~70°E・10°S)が、また、標高990m付近(【図-⑱】)では、5枚の凝灰岩層を挟む黒色泥岩と灰色中粒砂岩の互層が見られました。

 標高980m付近(【図-⑲】)では、玢岩(porphyite)岩脈がありました。これより下流では、玢岩の熱変質による灰色中粒~細粒砂岩層です。標高970m付近では、滑滝を形成していました。
 片原沢が雨川と合流する付近では、新鮮な玢岩露頭が見えました。

 

【編集後記】

 本調査域は、比較的、標高の高い部分には、「志賀溶結凝灰岩」が分布しています。

一番有名なのは、名前の由来となった地名の「志賀(しが)」もさることながら、内山峡(佐久市国道254号線)でしょう。【写真-下】

 

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志賀溶結凝灰岩の奇岩が残る「内山峡」

 かつては、これほど大規模な火山灰(火砕流)の証拠があるにも関わらず、どこの火山からもたらされたか不明とされていました。

 しかし、最近では、巨大カルデラ噴火に伴う灼熱の火砕流が、群馬県側から流れてきたと考えられています。さらに、「本宿(もとじゅく)カルデラ」からだったのではないかと言われています。

 今年の3月7日(日)、上田市丸子の箱畳池付近の「大杭層の下部層」の中に、志賀溶結凝灰岩に相当する地層が見られるので、見に来ないかと誘われ、そこと、少し離れた依田川沿いの「白岩」の溶結凝灰岩を観察しました。

 案内していただいた山辺邦彦先生の調査研究では、同時代の独鈷山(とっこさん)カルデラからのものではないかとのことでした。

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上田市丸子「白岩」の溶結凝灰岩

 また、比較的、新しい時代の火山灰の調査方法として、火山ガラスや鉱物を双眼実態顕微鏡を使って、噴出源を突き止めようとしているというお話もお聞きしました。もちろん、万能な手段ではありませんが、私たちには欠けていた大切な視点です。

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火山灰の中の六角柱石英

 

 ところで、この沢付近では、『 玢岩(ヒン岩)』露頭が多く見られました。

 先の、火山灰の研究のように、私たちは偏光顕微鏡を使って構成鉱物を調べるというような手段が取れていません。古くからの文献資料から、先輩諸氏が「ヒン岩」だと述べていれば、それに準じてしまいます。
 調べてみると、ヒン岩とは、『安山岩質のマグマが地下に貫入して、比較的ゆっくり冷えたときにできる岩石。ゆっくり冷えるためガラスは含まないが、深成岩ほどには大きな結晶がそろっていないという特徴がある。ただし、最近では「ひん岩」という用語は使わないことになっています。』とあります。・・・そう言われても困ります。

 閃緑玢岩(diorite porphyrite):閃緑岩と同じような鉱物組成であるが、斜長石の斑晶が大きく目立つもの。石英を含むものは石英閃緑ひん岩という。・・との解説もありますが、鉱物種ではなく、色合いから見ると、閃緑玢岩という分類になるのかもしれません。それ以上は、不明ですので、今まで通り、『 玢岩(ヒン岩)』のままでいくことにします。

 6月も残すこと、2日となり、いよいよ東京オリンピック大会の開催される7月に突入します。新規コロナ・ウイルス感染者数の推移を毎日チェックして、わずかながら減ってくると、少しだけ嬉しくなります。今日は、午前中が雨降りだったので、久しぶりの「はてなブログ」に投稿しました。(おとんとろ)