北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-133

雨川水系の沢

9. 仙ヶ沢の調査から

 平成16年8月11日、愛犬エルと一緒に、仙ヶ沢に入ることになりました。地質情報誌に、仙ヶ沢で「熊棚」を見つけたとあり、家内の『エル犬を連れて行けば』という提案を受けて、首輪に鈴を付けてお供させることになりました。綱を外して自由にさせておいても、私が呼べば必ず戻ってくる犬なので、里山とは言え、単独行より心強い。
 他の3匹の犬と共に平成10年10月10日に生まれ、平成27年1月10日に16歳3ヶ月で死んだので、この時は、エル犬(♀)も、5歳10ヶ月と若かった。

 

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仙ヶ沢のルート・マップ【日本の海から一番遠い地点】

 

 (注)正式な沢の名称がわからないので、私たちが「滝ノ沢林道の沢」と名付けた沢の下流部近くで、「仙ケ沢」は合流している。寧ろ、仙ヶ沢が主流であるかもしれない。いずれにしろ、沢の各地点については、上のルート・マップを見て欲しい。

 尚、本文中にも出てくるが、仙ケ沢の支流の「判行沢」を詰めると、『日本の海岸線から一番遠い地点』に到達できる。林道があるので、山歩きがてら訪れる人もいるようです。

 滝ヶ沢林道の橋、標高965m付近(【図-⑥】)から、沢を離れるようにして、林道は尾根の標高沿いに延びています。仙ヶ沢の【図-①】から林道沿いに「日本で海岸線から一番遠い地点」の碑(【図-⑦】)まで調査して、林道を途中まで下山しました。その後、標高950m堰堤の少し上流の二股から、滝の下(【図-⑫】)まで調査しました。

 滝ヶ沢林道の【図-①】では、熱変質した灰白色中粒砂岩層が見られました。標高に沿う林道のコーナー(【図-②】)では、閃緑岩(diorite)が見られました。仙ヶ沢の沢底から標高差で30mあり、標高1000mほどです。

 林道の標高1010m付近(【図-③】)では、熱変質した灰白色泥岩と灰色中粒砂岩の砂泥互層で、走向・傾斜はN60°E・10°Sでした。林道の南側に振るコーナーでは、同質の砂泥互層で、N30°W・10°Sでした。(この下に、閃緑岩(diorite)でできた、推定で落差10m以上の大きな滝がありました。少し大変そうなので、帰路に確認することにして、先に進みました。)

 標高990mほどで、林道と沢が併行するようになります。全体は、熱変質した灰白色泥岩ですが、砂泥互層となる露頭(【図-④】)をみつけ、N70°W・10°Sの走向・傾斜を測定しました。
 南から流入する沢との合流点から少し下流、標高1000m(【図-⑤】)では、熱変質した灰白色泥岩層が見られました。ここから上流へ、同質の泥岩層が観察できました。
 標高1080m二股で、熱変質した灰色中粒砂岩層が見られ、二股を右股へ、南東方向に進みます。小さな沢との合流点(標高1110m・1120m・1155m付近)では、熱変質した灰白色泥岩層~細粒砂岩層がありました。広範囲に渡って熱変質があるのに、熱源となった露頭が見つかりません。

 この沢の関係では、唯一、遙か下流【図-⑥】で、閃緑岩(diorite)が見られた程度です。玢岩の岩脈露頭も、なぜか見られませんでした。

 標高1200m(【図-⑮】)に、「日本で海岸線から一番遠い地点」の碑が立ってしました。【下の写真】

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日本の海から一番遠い地点の標識

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説明板(当時は、南佐久郡臼田街/現在は佐久市

 位置は、「北緯36°10'25''、東経138°35' 01''」で、日本海と太平洋の海岸線から、約114.858km離れているとの説明がありました。一人の大学生の投げかけた疑問に対して、国土地理院のコンピューターが検索した結果だそうです。発表された平成8年(1996年)当時は、長野県南佐久郡臼田町(現在は佐久市)に所属する山奥でしたが、群馬県甘楽郡南牧村との県境から、西へ100mほどです。
(4カ所の海岸線・港からの数値は、「雨川水系の主な沢」の図福に記載しましたので、参照してください。)

 ここに着いた時は、エル犬と私だけでしたが、お昼を食べていたら(11時40分頃)、年配の男性(立科町在住)が一人で登って来ました。そして、コンビニ弁当を日本酒カップで食べているのを見て、定年退職後は、「こんな散策もいいな」と思いました。その後、林道を使って堰堤まで下山しました。
            *   *   *


 標高950m付近の堰堤まで戻り、すぐ上流の二股から仙ヶ沢に入りました。
 標高960m付近(【図-⑧】)では、熱変質した灰白色泥岩層の中に、同質の礫と砂岩塊がわずかに含まれていました。(一部、二次堆積があったか?)
 標高965m付近(【図-⑨】)では、閃緑岩(diorite)(下流側)と、熱変質を受けた灰色中粒砂岩層(上流側)が接触している露頭がありました。
 標高975m付近(【図-⑩】)では、熱変質した中粒砂岩層の中に、比較的、層理面に沿う、軟着陸タイプのコングロ・ダイク(2.5m×3.0m)が認められました。礫種は、やはりチャート礫は無く、砂岩の礫がほとんどで、黒色頁岩片は少なかったです。

 標高980mから995m(【図-⑪】)にかけて、両岸から岩盤が迫り、クランク状の渓谷になっていました。全体は熱変質した灰色中粒~粗粒砂岩層で、中間に露頭幅10mの熱変質した灰白色泥岩層を挟むものの、砂相です。そんな岩相を反映して、沢底は連続露頭になっていました。

 標高1005m、北東に延びる沢と仙ヶ沢本流との合流点(【図-⑫】)です。全体で、4段の小さな滝が連なり、本流の沢は南に延びていました。参考値NS・8°Eの走向・傾斜の熱変質した灰白色泥岩層が、階段状に小滝を形成しています。滝の先の上流部は、午前中に林道の上から簡単に観察した閃緑岩(diorite)が見られるはずです。これらをすべて合わせて、落差10m以上になります。

 ところが、危なくて登攀できないような小滝ではなかったのですが、途中の2段目で沢に落ちて、全身、特に下半身が、ずぶ濡れになってしまいました。こうなると、急にやる気が失せてしまいました。しばらく私の周りから離れていたエル犬を大きな声で呼ぶと、しばらくして鈴の音と共に、やって来ました。とても安心しました。『帰るか、エル』と、帰宅することにしました。

 

 《滝ヶ沢林道の沢と仙ヶ沢で、

       共通することから》

 滝ヶ沢林道の沢の渓谷(標高1000m付近)と、仙ヶ沢の渓谷(標高995m付近)は、熱変質した泥岩層で、沢がクランク状に湾曲しているという共通項があります。
 また、上流にはケスタ状の小滝(滝ケ沢林道の沢)と、4段の小滝(仙ヶ沢)が続き、共に流路を変える二股がある点も似ていて、さらに地質構造も、N5°E・10°E(林道の沢)に対して、NS・8°E(仙ヶ沢)であるので、ほとんど同じと見て良いかもしれません。もっとも直線距離で、500mも離れていないので、同一層準か、似た熱変質条件であったのかもしれません。
 ところで、情報がそろってくると、「滝ヶ沢林道の下流側の砂相の部分が内山層上部層であり、渓谷の辺りに断層がある」と解釈することが、合理的となってきました。【下の図】

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仙ヶ沢と地獄沢付近の地質図(特に、断層に注目してください)

 滝ヶ沢林道の沢では、小規模断層証拠がありましたが、仙ヶ沢では見あたりません。仙ヶ沢【図-⑩】~【図-⑪】間、および尾根の林道の【図-②】~【図-③】間が、推定断層の通過していそうな候補地です。
推定断層は、落差(西側が下がる)もありますが、右横ずれ的要素の大きい断層で、北に向かい落差・横ずれともに解消していくので、証拠は残していないかもしれません。
 仙ヶ沢「4段の滝」の観察が途中だったので、再調査の必要が、あるのかもしれません。再び、知的好奇心に火をつけ、地質調査に挑戦してみますか。

 

【編集後記】

 本文の最後に、小滝からの滑落(正確には、滑り落ちた程度)で観察を断念した地点を含み、推定断層の通過の証拠を捜しにいこうと述べていますが、その後は、訪れていません。

 実地に地質調査をしたことのある人ならお分かりかと思いますが、余程、特別な場所か、どうしても証拠が欲しい地点でないと、広範囲の調査地域を対象とした場合、なかなか二度目の踏査ということは、物理的にもできません。まして、年齢と共に、単独で山に入るという気力も体力も無くなってしまいます。

 

 ところで、令和3年度になってからの俳句が、まだ、一度も「はてなブログ」に登場していないので、4月・5月・6月・7月の俳句を載せようと思います。

 それで、しばらく佐久の地質調査物語は、中断してます。次回からのシリーズは、『中部域の沢』になります。

・・・今日も雨降りです。やはり、田畑に出て太陽を浴びない室内だけの生活は、気持ちが、滅入ってしまいます。それ以上に、新聞やテレビ、インターネット情報を通じて入ってくる大雨による水害や土石流での被害には、胸を痛めております。

 私の住む地域も、2019年(令和元年)10月の台風19号では、大変な水害に見舞われました。江戸中期の「戌の満水(1742年)」に匹敵すると言われましたが、多くの場合、県内や佐久を取り巻く山岳地帯に囲まれ、東・南・西からの強風や雨雲がやってきても、山岳地帯が壁となって、かなり守られているようです。北は浅間山ですが、こちらからの雨雲侵入は、あまり考えられません。

 『みんな、佐久へ引っ越しておいでよ』と言いたいところですが、冬は寒過ぎます。それに、都会から実際に引っ越して来た方が、『夜になると、虫の音がうるさくて、せせらぎの水音が気になって眠れない』という理由で、元の都会生活に戻ったという話も聞きました。やはり、人は、長年その地に適応した生き方を、選んでしまうのでしょうか。(おとんとろ)