北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-137

         中部域の沢

 

3. 余地ダム湖周辺の調査から

 平成17年9月3日、午前中に石切場に通ずる「湯沢」を、午後「余地ダム北側の沢」を観察しました。石切場では、安山岩質溶岩の「火道」跡を見つけ、写真撮影しました。また、余地ダム北側の沢では、内山層と先白亜系の不整合を見つけ、不明だった地質構造が見えてきました。(【余地ダム湖周辺ルートマップ】を参照)

 

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余地ダム湖周辺のルート・マップ

 余地ダム湖の脇に車を置いて、工事用の新しい道路から湯沢に入ると、標高1075m付近(【図-①】)では、礫岩層が見られました。

 標高1080m付近(【図-②】)では、帯青灰白色細粒砂岩層が見られました。さらに、1090m~1100m付近でも、道路の東側で、同質の露頭が続きました。

 標高1100m付近(【図-③】)では、巨礫が入る帯青灰白色細粒砂岩層が見られました。礫種は、白チャート(最大は、5×7cmの亜角礫)と、砂岩(最大は、5×8cm)でした。標高1005~1015mも同様ですが、礫の大きさは小さくなり、最大でも、白チャートの2cm大でした。

 標高1120m付近(【図-④】)では、礫岩層(N40°E・20°SE)が見られました。礫種は、白~灰色チャートや珪質の粗粒砂岩です。北からの水の流れていない沢との合流点手前、1128m付近でも、一部、珪質の粗粒砂岩層もありましたが、同質の礫岩層が見られました。標高1130mの沢状地形は、見逃すほどでした。

 そして、標高1140m付近(【図-⑤】)では、礫岩層と粗粒砂岩層が見られました。礫岩は白チャートが多く、また粗粒砂岩は珪質で、これが共通する特徴ですが、上流ほど礫の最大径が小さくなっています。走向・傾斜は、EW・5~10°Nで、上流側ほど上位の地層であるので、一連の礫・粗粒砂岩層として良いのではないかと思いました。そうなると、【図-④】~【図-⑤】は、内山層の基底礫岩層に相当する層準なのかもしれません。

 標高1155m二股(【図-⑥】)では、熱変質した明灰色細粒砂岩層が見られました。同質の地層は、道路に沿う右岸の尾根にも見られました。
 標高1170m付近(【図-⑦】)では、同様に熱変質した明灰色細粒砂岩層が見られ、走向・傾斜は、N60°E・10°Nでした。同質の地層は、標高1200m付近の道路が大きくヘアピンカーブする所でも見られました。。

 「金子鉄平石」の私道(アスファルト道)は、傾斜10~15°で、曲がりくねりながら山頂に繋がります。標高1250m付近(【図-⑧】)では、熱変質した細粒砂岩層が優勢な泥岩層との互層が見られ、N70°W・18°Nでした。ほぼ同じ標高で、東に15mほどの所(【図-⑨】)で、比較的熱変質の少ない砂泥互層部があり、走向・傾斜を測ると、N40°W・25°NEでした。この少し上は、安山岩(鉄平石)を掘り出した跡でした。

 安山岩溶岩の貫入があったにも関わらず、内山層の堆積層が山頂直下まで、それほど乱されることなく整然していることに、驚きました。

 私道を東へ、少し登りながら移動すると、標高1310m付近に、石切場がありました。(【図-⑩】)
 この地域の標高の高い尾根の部分は、安山岩露頭で、【図-⑨】の上と、西側が既に切り出した場所(写真)のようで、東側を現在掘り出していました。
採石済みの板状節理の傾向は、N20~40°E・40~50°SEで、現在、採石中の節理は、ほぼ水平でした。

 ところで、「鉄平石(てっぺいせき)」というのは、安山岩(Andesite)の中でも、特に板状節理が発達していて、一定の厚みのある板のように割れる性質がある石材に付けられた名前です。地下のマグマが地表や比較的浅所で冷えて固まった時、冷却面に平行に割れ目ができやすくなると言われています。
 安山岩溶岩の崖で、やや茶褐色の場所を見てみると、周囲の板状節理の堅固な溶岩に対して、巨大な安山岩塊や溶岩ではない岩片(捕獲岩)が、ルーズに乱雑に配置されているゾーンがありました。
 地表で見られる安山岩でない深部の火成岩(最大径60~100cm、最小径5~10cm)や、時代不明のシルト岩が、取り込まれていました。これは、この部分が、「火道(かどう)」と言って、マグマの地表への通り道だったろうと思われます。地下深部の岩石をマグマと一緒に持ち上げてきたり、反対に、周囲の溶岩塊を崩して取り込んだりして、乱雑に通り道を埋めた跡だと考えられるからです。
 採石が済めば、無くなってしまう地形や露頭なので、貴重です。全体の写真や各部分の拡大写真などを撮影しました。

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石切場の山頂付近・左側が「火道」跡

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ルーズな巨岩塊や捕獲岩が見られる


 ・・・・・石切場で昼食を取り、午後は、下山した後、余地ダム湖に東北東から流入している「余地ダム北側の沢」に入りました。

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余地(よじ)ダム(ダムの下から撮す)

 標高1065m付近(【図-①】)では、チャート層が見られました。灰色チャートも見られますが、ほとんどが白チャートから構成されていました。粘板岩や珪質で縞状砂泥互層も含まれていました。岩相から先白亜系だと思われます。

 標高1075m付近(【図-②】)でも、同質の地層が続いていました。
 標高1085m付近(【図-③】)では、礫が混じる珪質砂岩が見られました。そのすぐ上流の1085~1090m(【図-④】)では、塩基性火山噴出物(輝緑凝灰岩・schalstein)や帯青明灰色の細粒砂岩層が見られました。(いわゆる、グリーン・ロックです。)

 標高1095mで、余地峠に続く林道のヘアピンカーブにぶつかりました。道路下のコンクリート製トンネルは流木で詰まって通り抜けられないので、道に上がりました。

 林道脇(【図-⑤】)は、巨礫が入る礫岩層で、結晶質砂岩塊や黒色頁岩片は見られましたが、チャート礫をほとんど含まない、分級の悪い、汚れた感じのする礫岩です。結晶質砂岩の最大径は60×100cmでした。
 林道から沢に降りた標高1100m(【図-⑥】)でも、巨礫が入る同様な礫岩層が見られました。
 標高1105m付近(【図-⑦】)では、灰色中粒砂岩層がわずかにありましたが、標高1110m付近(【図-⑧】)では、再び礫岩層が現れ、上流に行くにつれチャート礫の割合が増えてきました。

 標高1118m二股(【図-⑨】)では、北から流入する合流点から下流側がチャート層で、合流点の本流上流側が、巨礫を含む礫岩層でした。チャート層は先白亜系(ジュラ系)で、礫岩層は内山層基底礫岩層と考えられ、両者は不整合関係です。整理すると、「湯沢」と「余地ダム北側の沢」の対応関係および層序は、以下のような対応があります。

  《 湯 沢 》  【 主な岩相 】     《 余地ダム北側の沢 》

【図-②】   ・帯青灰白色細粒砂岩層      【図-④】
【図-③】   ・巨礫の入る帯青灰白色細粒砂岩層 【図-⑤】【図-⑥】
(1005~   (小さな礫入り帯青灰色細粒砂岩層) 【図-⑦】【図-⑧】

 1015m) 
【図-④】図-⑤】 ・礫岩層(分級・角礫→円礫へ) 【図-⑨】~【図-⑬】
【図-⑥】【図-⑦】・熱変質明灰色細粒砂岩層  【図-⑭】~【図-⑮】
【図-⑧】【図-⑨】・互層           【図-⑯】

 

 標高1118m二股から上流は礫岩層で、標高1125m付近(【図-⑩】)には、礫岩が造瀑層となる滝がありました。亜角礫の最大径は30×50cmでした。

 南から流入する小さな沢との合流点のわずか下流、(【図-⑪】)では、結晶質の明灰色細粒砂岩層が見られました。そして、標高1130m付近(【図-⑫】)では、明灰色細粒砂岩層と、巨礫を含まない礫岩層が見られました。砂岩が見られるようになり、チャート礫の少ない汚れた(分級の悪い)感じの礫岩から、珪長質な礫岩になりました。

 標高1135m付近(【図-⑬】)では、礫岩層でできた滝(落差2.5m)がありました。チャート礫や結晶質砂岩礫は、全て円礫で、最大径も5cmと粒度が小さくなっています。N80°E・10°Nの走向・傾斜でした。

 南東からの沢の合流する標高1145m(【図-⑭】)では、熱変質した灰白色細粒砂岩層が見られ、標高1160m二股まで、同様な産状が続いていました。
 二股から、北に延びる左股、標高1170m(【図-⑮】)では、凝灰質暗灰色中粒砂岩層が見られました。一方、右股の標高1175m(次の二股)・(【図-⑯】)では、暗灰色中粒砂岩と灰色泥岩の互層が見られました。やや熱変質していました。調査終了です。

 この後、下山し、青沼小に着いた頃(15:30)から激しい雷雨に見舞われました。

 

 【編集後記】

 平成17年(2005年)9月3日(土)の「湯沢」調査に先立ち、前年の11月に、単独で芦ケ沢(湯沢の西側の沢)に入っている。なぜ、こんな時期に一人で調査したのか、なかなか思い出せなかったので、当時の記録を振り返ってみた。 

 第31回信州理科研究会佐久大会の2日目・11月6日(土)の午後、放送係の仕事が終わったので、余地と赤谷を繋ぐ林道の様子を偵察にでかけた。目的は、断層があるのではないかと考えていたので、その形跡を探るための予備調査だった。

 地図に沢の名称はないが、この時、沢に懸かる橋が「湯沢橋」とあったので、沢を湯沢と呼ぶことにした。また、同様に「芦ケ沢(あしがさわ)橋」とあったので、芦ケ沢と呼ぶことにしたようだ。

 目的の推定断層の確認はできなかったが、八ヶ岳の夕陽のシルエットを楽しんだとあった。石切場に向かう整備された道路はあるものの、既に利用されなくなっている寂しい山道なので、あまりいい気分ではないはずだが、当時は、地質構造解析に燃えていた。

 

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季節は違うが南八ヶ岳(左から、赤岳・横岳・硫黄岳・東西の天狗岳

 ところで、東京五輪も、大会15日目を迎えました。日本選手の活躍も目ざましく、連日感動的な場面を視聴しています。しかし、新型コロナ・ウイルス感染の拡大の勢いも止まらず、東京都ばかりか、全国的に広がってきていて、心配な毎日です。

 ついに私の住む地域も、長野県の警戒レベルで5(特別警報Ⅱ)になり、連日、市の広報(音声放送)で「外出の自粛」を呼びかけています。もっとも、繁華街への外出と心得て、山や畑仕事には出かけていますが、ワクチン接種の2回目は、8月中旬の予定なので、緊張感は高まっています。

 私個人の力では、まったくどうすることもできませんが、せめて感染拡大の勢いが、減少へと転じてくれないかと、祈るばかりです。(おとんとろ)