北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-138

 中部域の沢

 

4. 湯川~温泉の沢の調査から

 平成18年5月27日、「湯川」と「温泉の沢(名称不詳:温泉跡があるので命名した)」に入りました。岩相については、特筆するような話題はありませんが、隣接するふたつの沢の地層に関連性がなく、まったく繋がらないという、別な意味で重要な情報を得ました。断層を推定する根拠になりました。(【余地川支流のルートマップ】を参照)

 尚、前日(5月26日)の夕刻、長年にわたり地学委員会委員長をされた伴野拓也先生が、ご逝去されました。私たちは、この日の調査の後の汚れた服装で失礼かとも思いましたが、共に大自然の中を歩き回った先生なら、寧ろ、懐かしんでくれるかもしれません。自宅に寄って、お焼香をさせていただきました。代表して六川先生が弔辞を述べました。

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余地川支流のルート・マップ(谷川本流との対比)

 湯川橋の上流20m(【図-①】)では、熱変質した帯青灰白色泥岩層が見られました。内山層の泥岩層と思われます。標高1030m付近(【図-②】)では、熱変質した泥岩層と灰白色中粒砂岩層が見られました。変色の様子から凝灰質です。

 標高1035m付近で、白色・灰色・黒色チャートの入った礫岩の転石を見つけました。東側の湯沢などで見られた礫岩なので、東側の内山層が尾根付近まで連続していることを示唆してくれます。

 標高1055m付近(【図-③】)では、軽石(pumice)が入る黒色の泥岩が見られました。ここが周囲と比べて、熱変質していないのは不思議な感じがしました。

 標高1070m二股付近(【図-④】)では、熱変質した灰白色泥岩層が見られました。(中沢先生は、「玢岩の急冷縁部の風化ではないか?」という見解でした。)

 標高1090m付近(【図-⑤】)では、熱変質した灰白色泥岩層が見られました。そして、標高1100m付近には、かつての鉱泉なのか、湧水を集める設備がありました。酸化鉄や硫黄の析出があり、湧き水には、あまり味がしませんが、硫黄臭がしました。
 標高1125m付近(【図-⑥】)で、石英閃緑岩の転石がありました。この地点の高度から考えて、谷川本流の石英閃緑岩体の一部が、尾根にあって、そこからの落下の可能性があります。

 標高1140m付近(【図-⑦】)では、熱変質した灰白色泥岩層で、わずかに砂岩層も挟んでいました。走向・傾斜は、EW・10°Nでした。

 沢の様子から露頭が望めないので、西に沢を詰め、谷川と余地川の分水嶺尾根に出ました。標高1200mの鞍部に出ると、霧雨となり、南側の降りる尾根がわかりません。北西に延びる尾根の「☆」印まで偵察に行き、鞍部から西に下り始めたところで間違えに気づきました。スタートのわずかな違いで、谷川水系に降りてしまうところでした。

 気持ち西南西に余分に進んでから、沢を下り、【図-⑧】(1120m付近)に出ました。珪質の暗灰色砂岩が見られました。

 1080m二股を確認し、一気に下りした。標高1030m付近(【図-⑨】)では、珪質の暗灰色砂岩層の露頭がありました。岩相から、内山層のものとは考えられないので、ジュラ系かもしれません。

 標高950m付近で、谷川の「赤谷」集落に通じる林道に出ました。周囲は、熱変質して原岩の様子がわからなくなっていましたが、石英閃緑岩(Qurtz-Diorite)が見られました。(【図-⑩】)地図上の温泉は、現在は使われていません。

 露頭がほとんど見られなかった「温泉の沢」でしたが、内山層らしい地層は皆無で、先白亜系(ジュラ系)と思われます。直線距離で数100mしか離れていない隣接した沢で、まったく違う時代の地層が展開していることから、この2つの沢の間に断層のような構造があるのは確かなようです。(地形から見て、湯川の西の尾根の少し西側ではないか?)
 また、谷川本流の内山層基底礫岩層が、北へも南へも追跡できないことから、この延長先にも断層を推定しても良さそうです。
 それで、矢川水系と余地川~ダム湖周辺の地質図に関して、内山層と先白亜系の分布、および断層を下図のように推定しました。

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余地川~ダム湖周辺の調査から、推定断層の位置が明らかになった (地質図の関係部分)

 内山層は、湯沢と余地ダム北側の沢では、基底礫岩層で先白亜系を不整合に覆っています。それ以外の南縁は、断層で先白亜系と接しています。
 湯川と温泉の沢の間には、「矢沢断層」が抜けていると推定しています。
 「矢沢断層」は、四方原山(よもっぱら)の西から、都沢上流部を経て、矢沢(推定・標高978mのコンクリート製橋付近)を抜け、余地川に達しています。
 この先は、谷川上流部から滝ヶ沢林道の沢(標高1000m付近)を経て、雨川水系右岸の阿ざみ沢下流部で解消すると推定しています。

 

【編集後記】

  この付近の地質構造解析は、比較的、証拠がl得られたという感触があります。内山層の下部層、それも基底礫岩やそれに準ずる層準と、ジュラ紀付加体と思われる従来の地層名「海瀬層」との違いを見つけていけば良かったからです。

 後述しますが、「矢沢(やざわ)」では内山層が、何が原因か不明ですが、ものすごく珪質でチャートに匹敵するくらいの産状で、化石の発見がなければ騙されるところでしたが、さすがに、新第三紀層とジュラ系では、岩相が明らかに違うので、容易に見分けられました。

 それで、推定断層ですが、大胆にも、南北に連なる「矢沢断層」と、東西に連なる断層(名称は付けていませんが、延長は熊倉川にも延びている内山層と基盤岩を画する)

で、構造を説明しました。最新版は、内山断層の北側を含む地質図ですが、前述の内容がわかるように、地質図を再掲げします。

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山中地域白亜系から内山層の地質図(仁科原図の修正版)

 

 ところで、今日の午後に、Pfizer(ファイザー)社製のCorona Vaccine(コロナ・ワクチン)の2回目の接種をします。それで、午前中は、農作業には出かけないで、しばらく滞っている「はてなブログ」を挙げることにしました。

 早いもので、佐久地方の伝統行事8月1日の「お墓参り」をつい先日に行なったという感覚がありますが、明日は、迎え盆の前日、昔なら「花市」と言って、仏壇を飾る生花を買い求めたり、野山に採取に行ったりする日となります。

 一日早いですが、私は、仏間や仏壇の掃除をして、先祖のお位牌や盆提灯の飾り付けを始めようと予定しています。伝え聞くところによると、接種の2回目では、発熱する事例もあるとのことですが、どうか元気にお盆の準備ができますようにと祈っています。(おとんとろ)