北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和3年8月(葉月)の俳句

【葉月の句】 

   【辛丑(かのとうし)の夏】

① 五京(けい)粒 迎えて送る 雨の盆

② 山滴(したた)る 瑞穂の國は 空に川

③ コロナ禍の 次を記念し 夏五輪

 

 長引いた雨の影響で、野菜の生育が大幅に遅れた昨年の夏は、お盆になってようやく茄子が採れ始め、夏らしい食卓となったが、今年の夏は、正反対だった。
 例年より少し早い梅雨明けの後は、晴天が続き、毎夕、水遣りをした。夏野菜は良く育ち、採れ過ぎる野菜の料理メニューや、保存方法を考えるほどとなった。

 ところが、雨降りで迎えたお盆(盂蘭盆会)は、送り盆になっても、雨降りが続いた。日照時間0分の異常な気象現象は、たとえ科学的に説明できたとしても、早過ぎる「秋霖」の訪れには、心底驚いた。

 今季は、中国内陸部の大規模砂嵐や大洪水、欧州ではドイツ・ベルギーの大洪水の一方で、地中海沿岸では熱波からの山火事など、世界各地で記録破りな異常気象があった。お盆の長雨も、その日本版なのかもしれない。

 幸い、東京オリンピック大会は、コロナ禍にあっても、ウイルス感染拡大という危機を伴いながらも、大過なく達成することができ、8月8日に閉会式を迎えた。
 今月は、「花鳥風月」というイメージの俳句からは大きく外れてしまう。日本列島の現実の姿を、敢えて「今月のテーマ」として、俳句を創作してみた。


 【俳句-①】は、夕立のお盆行事はあったが、秋霖での迎え盆は初めてです。しかも、お盆の4日間、断続的に雨が降り続き、日照時間も皆無のまま、送り盆も雨だったという異例さに複雑な気持ちになって、その思いを詠んでみました。

 お盆を夾んだ8月12日夕方から8月18日の午後までの一週間で、佐久地方でも300mm弱の降水量があった。8月の平均降水量は100mm強なので、3倍に近い数値です。
 普通に降る雨粒の直径は、0.1mm以下。だから、300mmに達するには、雨粒を3000粒以上積み重ねる計算になる。これが、私の住む地域だけでなく、更に日本列島規模の広範囲に降り注いだわけだから、雨粒の数は、億や兆の単位を越えた京(けい・10の16乗)でも足りないかもしれない。『とにかく多い』という気持ちを込めて、上五は『五京粒』と表現することにしました。

 それにしても、経験したことのない長雨のお盆でした。私は、平年の気候を大きく外れた暖冬や厳冬、それに冷夏と猛暑の夏などの天候を経験したことはありますが、還暦を迎えた頃以降、特異な体験が顕著です。
 佐久地方で積雪が1m以上(平成25年2月)、1日で300mmを越えた降水量(令和元年10月・台風19号)は、初めてでした。

野菜作りを始めてから雹(ひょう)被害にも遭いました。これらは、ここ数年の出来事です。そして、今年、辛丑(かのと・うし)年のお盆でした。

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「辛丑」年の夏

 ちなみに、特異なお盆の思い出は、平成5年(1993年)の冷夏でした。8月15日に、2階の部屋で夏休み中に地質調査してきた資料を整理していましたが、あまりに冷たい北東風に、ストーブを焚きました。まるで、オホーツク海側・知床の番屋と同じだと思いました。

 休みが明け、学校に行くと、またびっくり!冷夏で日本米が不足し、タイ国から米を緊急輸入することになりました。当時、学校給食は週一で「ご飯持参の日」が設けられていて、自宅からご飯を持って登校しました。(忘れて大騒ぎなこともありました。)

 お米を店で購入している家庭は、タイ国産のインデカ米を持ってきていました。米農家の私は、物珍しさから、生徒に「インデカ米のお握りを持ってきて」と、お願いして、食べてみました。その独特な食感触は、良く覚えています。


【俳句-②】は、夏の晴れた日に、里山や盆地を取り巻く少し離れた山々を眺めると、青緑とも深緑とも、いくぶん紫がかったとも表現し難いが、独特で趣ある色合いがすばらしい夏山が広がる。これも、瑞穂の国とも呼ばれる、我が国土・日本の夏の日照と降水に恵まれたお陰なんだという気持ちで詠んでみた。

 真夏の晴れ上がった日には、雄大な積乱雲が発達し、夕立となって水を大地に還元してくれる。あたかも、空にも川が流れていて、適度に水を循環させてくれているかのようである。

 俳句歳時記で夏の季語を捜していて、『山滴る』が気に入った。解説によれば、中国の北宋時代(平安時代後半)の画家・郭煕の画論「伏遊録」の中に、春夏秋冬の山を表現した記述があると言う。
 『春山淡冶(たんや)にして笑うが如く、夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如く、秋山明浄(めいじょう)にして粧うが如く、冬山惨淡(さんたん)にして眠るが如く』とある。もちろん原文は漢文だと思うが、漢文に素養のある俳人が、「山笑う・山滴る山粧う・山眠る」と四季の季語にしたようだ。

 ところで、俳句は夏山の青々とした美しさを詠んだものだが、下五を『空の川』としたのは、気象用語の『大気の川』を意識したからである。
 停滞前線に沿って、南方海上から湿った大量な大気が大河のように流れる現象が伴うことがあるようだ。上空3000mほどまでの範囲で、本州付近だと、西南西→東北東方向に移動することが多い。
 このお盆の秋霖の雨雲の動きを、PC画像で見ると、複数ルートで、雨雲は次々と流れている。まさしく、豪雨被害を増幅させている「線状降水帯」の原因の説明にもなる。
 日本の夏山の美しさを保つには、適度な降雨量が不可欠だが、「大気の川」では災害となってしまう。せめて、空から水を運んでくれる川、それも小川があるぐらいの解釈がいいのかもしれない。
 さらに補足すれば、敢えて「日本の夏山」と強調したのは訳がある。藷外国の中には、熱波と乾燥から山林火災が頻発する例もあり、火災に見舞われなかったとしても、夏山は日照りが続き、木々が枯れ葉になっていることも多いと聞いた。
改めて、瑞穂の国の自然環境に感謝である。

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豪雨をもたらした「大気の川」


 【俳句-③】は、東京五輪大会名誉総裁の天皇陛下が、開会式で、「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する東京大会の開会を宣言します」と述べられたこと、及び、新型コロナ・ウイルス感染の拡大はあったが、なんとか大会が大過なく運営されて閉会式を終えられた喜びを、詠んでみた。
 特に、新型コロナ・ウイルス及び、その変異株に対抗するワクチン接種体制が十分に整い、世界全体がコロナ禍を乗り越えた「希望の持てる」新時代の到来を願っている。民族・人種・宗教・信条等の対立によって、既に世界は、様々な人権侵害や紛争の渦の中にある。ここにコロナ禍が加わり、病疫的災害だけでなく経済的な側面からも、人々の生きようとする意欲を蝕んでいる。
 せめて、まずはコロナ禍を人類の英知で克服し、疾病を制御できる時代の実現を切に希求している。

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国立競技場とドローンが描いた地球(開会式)

 ところで、1964年(昭和39年)東京大会で、昭和天皇の、開会式での宣言文にあった「祝い」が、「記念する」に変更されたことが話題になった。

 そこで、背景をインターネットで調べてみたら、宣言の内容は、五輪憲章で短い定型が決められていると言う。原文はフランス語が優先され、次に英文があり、次のように規定される。

I declear open the Games of Tokyo clebrating the thirty second Olympiad of the modern era.

 私なりに直訳すれば、『第32回目の近代オリンピアードを祝して、(開催される)東京競技大会を開催することを、私は宣言致します』となるだろうか?

 訳していて気になった「オリンピアード」という意味は、『夏季五輪の開催される年の1月1日から、4年目の12月31日までを近代オリンピアードと規定している』とのことだ。つまり、1年が1月1日~12月31日と定義されるのを、4年分をひとつの期間として規定されているという訳だ。

 だから、新年に「良い年であることを祝い、ご挨拶申し上げます」と言う感じで、「良い4年間であることを祝う為に開催される式典(五輪)です」と言うのと同じ感覚となる。

 ただし、東京五輪は異例の1年延期となり、オリンピアードは3年となった。
また、いつの時代も平和とは言い難いが、少なくともコロナ禍で苦しむ時代ではなかった。
 それで、大会組織委員会は、世界的なコロナ禍(パンデミック)を踏まえて、和訳の一部を、すなわち原文の「celebrating」の解釈を祝祭色の薄い言葉に変えるという判断をしたらしい。
 私の検索した情報では、この判断に、外国語に堪能な天皇陛下自身も関わったようだとあったが、少し疑問には感じたが、与えられた文章を代読するような、天皇陛下ではないと、私も思う。

 五輪憲章は、開催国の元首が開会宣言を行うと定められていて、宣言の内容の変更には国際オリンピック委員会IOC)の承認が必要だが、和訳のみの変更とあって、事前に承認を得られたという説明であった。

 

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中国ペアを破り金メダル

 

【編集後記】

 五輪大会の開催の中止や再延期まで含めて、世論を大きく賑わせてきたが、新型コロナ・ウイルス感染の拡散防止対策として、結局、「無観客での競技続行」という結論となった。開会式会場となった国立競技場も、6万8000人収容の施設が、完全に空いたままのスタートとなったのは、残念でならない。
 しかし、競技種目が始まり、連日、様々な種目で日本人選手の活躍する様子が、テレビ映像で紹介されるにつれ、国内の熱気も盛り上がってきた。お家芸の柔道やレスリング、体操、今大会から採用されたスケート・ボードやスポーツ・クライミング、サーフィンでは、驚くような結果がでた。
 人によって興味のある種目は違うし、選手に寄せる期待も様々なので、一概に、どの競技種目・選手という話題には絞り難いが、結果のメダルの色や順位に違いはあっても、全選手は、国内の競技者を代表して、精一杯やってくれたと思う。 日本選手に限らず、全アスリートたちが、誘惑に負けず、日々の鍛錬に情熱を注いできたことは一般的には理解しているが、インタビューや裏話を見聞きして、改めて感動したことも多かった。
 また、地元長野県に縁のある選手へは、少し別な意味から応援していた。ちょうど、高校生の駅伝全国大会や野球の甲子園大会で地元を応援するのと同じ発想である。

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女子バスケが銀メダルの快挙

 ところで、心配された新型コロナ・ウイルス感染の拡大は、オリンピック開催のせいだとも言い切れないが、結果として感染者は急増した。
 地元紙「信濃毎日新聞」掲載の国内の様子を見ると、大会初日(7月23日)の全国の新規感染者は、4,225人/日であった。2日後に5,020人/日で5千人を越えた。7日後に10,693日/日で1万人を越えた。13日目には15,232人/日で1万5千人を越えた。よく、実際の感染から潜伏期間を経て2週間後ぐらいで顕在化すると言われるので、もし、五輪が引き金だったとすれば、3倍増だった。(ただし、より感染力の強いコロナδ(デルタ)株が、主原因だとも推理されている。)
 そして、大会日程17日間を終えた閉会式の8月8日には、14,472人/日と、ちょうど1日当たり1万人を上乗せした状況だった。その後も増え続け、迎えお盆(8月13日)には2万人/日を突破した。ピークかどうかは不明だが、その後、幾分減少してきたが、1日の新規感染者2万人レベルの危機的な状況は続いている。
 8月24日には、東京パラリンピック大会が始まる。9月5日までの13日間という、また次の試練がやってくる。

           *   *   *

 新型コロナ・ウイルス感染拡大の第5波とも言われるが、その影響は、静かな山里の、私たちの句会(みゆき会)にも影響した。
 一番若い私ですら高齢者で、8月11日にワクチン接種の2回目が終わった。それより遙かに、ご高齢の皆さんは、疾(と)うの昔に接種済みで、元気だが、会長の判断で、8月18日に予定していた俳句会は中止とした。
 それで、その会に提出するつもりで創作してきた8月の俳句3題を、「はてなブログ」に載せることにしました。
 まだ、『佐久の秘境・熊倉沢』シリーズに入ったばかりで、地質調査の様子を載せる予定が完了していませんが、今日も、朝から降ったり止んだりの天気なので、外の作業は止めて、俳句のまとめをしていました。

 今晩は晴れそうですが、本格的な太陽の日差しが戻るには、もう1日か2日ほど先のようです。太陽の日差しが、とても待ち遠しいです。(おとんとろ)