北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和3年10月(みゆき会)の俳句

 【神無月の句】

 ① 萩の影 石灯籠に もたれ掛け 

 ② 枯れ芒 ロマンスグレーを 風が梳く

 ③ 秋茜(アキアカネ)群れて飛び交う 平和かな

 

 佐久市総合文化祭(文化の日、今年は11月4日~5日の週休日)に出品する「俳画を添えた俳句」を10月の句会で準備するのが恒例となっている。
 文化祭は、今年もコロナ禍による感染防止策の為、会場を分散させ、分野別に開催することになった。ちなみに、舞台発表を伴うジャンル等は、昨年に引き続き中止となっている。
 俳句の題材や季語のヒントがないかと捜しながら、稲刈りの進行中の田圃道や、地元の古刹・貞祥寺境内を散策してみた。何んとか、「萩の花・芒・赤蜻蛉」が目に留まり、それらを俳句に詠んでみた。

 

 【俳句-①】は、ヤマハギが寺の石灯籠を覆い隠してしまうほど、繁茂している様子を詠んでみた。萩(ハギ)の枝は、自立してはいるが、先端の方の細枝は、石灯籠に、もたれ掛かっているようにも見えた。

 「ジェンダー・フリー」と言うものの、たおやかで女性的な萩の花が、木訥として男性的な石灯籠に、寄り掛かりながら佇んでいる姿をイメージしたからである。

 ところで、ヤマハギは、我が家の庭にも生えていて、毎年、みごとに花を咲かせる。しかし、自然界に自生する萩のように、自由に繁茂させるわけにもいかない。花の時期が過ぎれば、剪定してしまうから、石灯籠を隠してしまうほどにはならない。

 ふと、萩の名称から、かつて訪れたことのある山口県萩市の山城「指月山」で見た萩の花と、眼下に広がる日本海を眺めたことを思い出した。

 

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ヤマハギの花

 

 【俳句-②】は、地元の名刹・貞祥寺の裏山で、芒(ススキ)の穂を見た時、
それが微風になびいて、絡まったり解けたりするように見えた様を詠んだ。
 実際の光景は前述の通りだが、もう少し深い訳がある。ほぼ半世紀前の高校生の頃、
彼女とのデートで、ここに来たことがある。それを思い出した時、芒の穂が、人の髪の毛の銀髪めいた、つまりは自分にも増えてきた白髪のイメージに重なり、風という天然の櫛(くし)が髪の毛を梳かしていくように感じた。

 ちなみに、「ロマンスグレー」の意味を調べてみると、魅力的な白髪混じりの男性のことを指すようだ。和製英語で、謂われは、盛田昭夫氏が、ソニーSONYアメリカ支社長時代、30代で白髪が目立ってきて悩んでいたが、『こちらでは、ローマンティック・グレーと言ってお洒落で、憧れなんだ」と米国人から言われて気を良くし、帰国した折り、このエピソードを「ロマンスグレー」と言い換えて話したことが、契機だと言う。
 私にも、白髪はあるが、気にする程でもないし、第一「ロマンスグレー」の意味には、人への包容力を供え、経済的な余裕も兼ね備えた紳士と言ったイメージも伴うようなので、私とは無縁であろうと思う。
 ところで、季語は「枯れ芒(尾花)」で冬であるが、芒(薄)だけなら秋の季語となる。現実の季節は晩秋であったが、前述した青春の日々から半世紀を経た自分を重ねた時に、枯れていた方が風情があるかなと考えて、演出しました。

 

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 【俳句-③】は、赤蜻蛉(あかとんぼ)こと「アキアカネ」の大群が、いくぶん日暮れに近づく頃、飛行編隊を組んだかのように空を覆っている様に感動したことを詠んだ。ただし、多くの人が感じるであろう感動の中身と、私のそれは少し違っていたかもしれない。

 「戦争知らない子供たち」の私は、空襲体験もなければ、機関銃の連射を見たこともないが、創作された映画やテレビ映像で、見聞きし知っている。
 なぜか、秋茜が群れて飛び交うようすが、戦闘機の飛行編隊のように、私には感じられた。日本のADIZ(航空防衛識別圏)に侵入した正体不明機に航空自衛隊機が、スクランブル発進したニュースはたまに聞く。台湾への中国軍機の威嚇飛行の話題も、昨今、よく見聞きする。
 最近の軍事情勢では、無人偵察機が主力となりつつあり、戦闘は飛行機による空爆からミサイル攻撃に替わりつつある。世界の紛争地域では、まさに日々の現実の中で繰り返されている出来事である。
 一人、平和な日本の、しかも田舎にあって、安寧な日々に感謝はしているが、この秋の赤蜻蛉が飛ぶ平和な光景は、どこの国の、どの民族の人々にとっても、本来、味わえる幸せがあってもいいのではないかと思った。

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東京五輪ブルーインパルスの飛行

 


【編集後記】

  佐久市総合文化祭の「俳句の部」に、わたしたち「前山みゆき会」も参加しました。今年は、佐久市創練センターと野沢会館の2カ所に分散し、同時開催の運びとなりました。書道・篆刻(てんこく)・刻字・木彫・短歌・俳句・・川柳・工芸銅板・表装・仏像彫刻・絵手紙・切手・写真・絵画・盆栽・水墨画・華道・押し花・民芸・フラワーデザイン・陶芸、それに菊花展の部がありました。

 冒頭で触れたように、ステージ発表の各内容の部は残念ながら、ありませんでしたが、2会場とも盛況でした。

 それにつけても、多くの方々が、幅広い分野に興味を抱いて、日々研鑽されていることが伝わってきました。 

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佐久市総合文化祭(俳句の部)

  ちなみに、私の出品作は、【俳句―②】「枯れ芒 ロマンスグレーを風が梳く」でした。しかし、どうも納得がいかなくて、もう一枚の色紙(下記)を用意して、下に入れておきました。昨年の12月の作でしたが、それに俳画(ヒイラギ)を添えて、作品にしました。

 2日目に取り替えようかと思いましたが、結局、もうひとつの会場の展示内容を見学していて、時間が無くなってしまいました。幻の出品作品になりました。

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令和2年12月のみゆき会に提出した俳句

 余談ながら、広葉樹(例えばクヌギなど)の落ち葉は乾燥して枯れ葉となると、強い季節風によって吹きだまりに集められますが、多分、気流により選別されるのか、『帯付きの札束』のようになります。

 その光景を見た時、とても感激しました。そして、「これが札束だったら」等と思いましたが、そのまま俳句にできないので、「小判」と言い換えました。

 自虐ネタで、『昔はビボウのと言われましたが、今ではビンボウの私です。』ではありませんが、本当に何億円の札束か数えられないほどでした。(おとんとろ)