北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-150

第Ⅸ章 内山層の層序

2.中部域・雨川水系の

    地質柱状図データーから

 雨川水系の北側の支流で、左側が西、右側が東です。西武道沢と林道「東山線」の間に南北性の断層が推定され、その西側ブロックでは背斜構造の南翼(主に南落ち)に当たり、東側ブロックでは向斜構造の北翼(主に北落ち)に当たっています。
 共に、北側になる内山川水系と雨川水系の分水嶺に向けて内山層上部が分布していると予想されますが、西武道沢上流部の他には露頭が見つかりませんでした。尾根の多くは、志賀溶結凝灰岩層(鮮新世・3.4Ma b.p.y)や凝灰角礫岩層(兜岩層)で覆われていました。
 観察できた範囲は、主に内山層の下部層で、林道・東山線では、最大170mほどと推定できました。
 コングロ・ダイクを含む層準は、西側の小屋たけ沢~アザミ沢で、また、東側のヌカリ久保沢~林道東山線で見られました。アザミ沢で見られた凝灰岩層が追跡できないので、両者の層準の位置関係は不明でした。

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雨川水系の北側支流の柱状図

 

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構造の理解の為、たびたび掲載している。雨川水系に注目されたし!

 

【編集後記】

 前回(第149号)の「北部域・内山川水系」のまとめでは、内山層は「海進~海退」の堆積輪廻が大きく2つあったようで、上部層と下部層に分けられますが、下部層の上位に「コングロ・ダイク」で特徴付けられる層準が認められ、中部層などとしました。

 しかし、尾根を南側に越した雨川水系の北側の支流のデーターからは、中部層として敢えて独立させるだけの資料は得られませんでした。この後、さらに南側の地域の様子を紹介していきますが、同様な結果です。

 北部域・内山層の構造は、東西に褶曲向軸が延びる構造が認められましたが、雨川水系でも同様です。ある意味、一連の大きな地質構造の中での出来事なので当然かもしれません。

 ところで、農閑期の今は、西北西~北西の厳しい寒風の中、連日のように60~70分の散歩をしているくらいなので、自由な時間はあるのですが、ついつい「はてなブログ」への投稿が毎日続きません。反省です。と言うのも、暇そうに見えて、毎日、何らかの出来事や、やらなければならない事柄があって、そちらを優先してしまいます。

 今日の午後、散歩の後、いつものように鐘楼で鐘突をして帰宅したら、「みゆき会」のM会長が自宅に訪れ、1月の句会の中止を伝えに来てくださいました。M会長も、全会員への配布物を歩いて配ったので、ちょうど私の散歩時間中、歩き回っていたことでしょう。理由は、新型コロナ・ウイルス、オミクロン株の感染拡大に対する処置です。

昨日の佐久市の新規感染者は、8名(10万人市民)でした。田舎にとっては、記録的に多い数字ですので、仕方ありません。各自が短冊に記入して、それを回収・印字して、選句します。来月の2月に句会が開催できれば、その時に、1月分も皆で鑑賞し合います。

 今季の冬は、朝の雪かき中に登校する小学生に出会ったり、午後の散歩中に下校する小中学生に合うことが多いです。感染力が強いと言われるオミクロン株の感染拡散で、休校というような事態にならないことを祈り、鐘を突いています。(おとんとろ)