北海道での青春

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佐久の地質調査物語-153

第Ⅸ章 内山層の層序

 

6.層序や岩相から示唆されたこと

 

 これまで地質柱状図で示してきた地域で、雨川水系の北側の支流と抜井川の北側支流は、主に内山層の下部層のみの分布でした。また、矢沢と灰立沢は、上部層だけのようです。

 ですから、下部層から上部層まで、内山層が連続して見られるのは、北部域の沢(特に、柳沢や大沼沢など)と、谷川だけです。
しかし、北部域・中部域・南部域を総括してみると、模式地(柳沢・大沼沢)は、全体の岩相を代表してはいませんが、堆積輪廻としての変遷や層序・堆積物の粒度変化を考える上で、以下のような内山層の特徴を表しています。

 以下の4つの観点から、模試地とその他の地域を比較して見てみます。

【観点-①】基底礫岩層の特徴(粗粒砂岩層の存在・礫の大きさ)

【観点-②】下部層の岩相と、その変化

【観点-③】下部層と上部層の境目(上部層最下部の粗粒岩の存在)

【観点-④】上部層の岩相と、その変化

 

【観点-①】

・模式地(柳沢や大沼沢)では、粗粒砂岩や粒度の小さい礫岩の上に、巨礫を含む礫岩  が載る。(基底礫岩層群)

◆その他の地域では、(ア)基底礫岩の下の粗粒砂岩のような存在は認められなかった。

  (古谷集落北側の沢は、例外)

 (イ)相立(内山川本流)と抜井川支流では、優に直径50cmを越える極めて大きな角のとれたブロックがある。

【観点-②】

・模試地では、砂優勢な砂泥互層→泥優勢な砂泥互層→黒色泥岩層にコングロ・ダイクが含まれる→泥岩層という順番で重なる。

・特定層準ということはないが、(砂質)黒色泥岩層に海棲動物化石(二枚貝化石が多い)が見られる。

◆その他の地域では、(ア)砂優勢→泥優勢という傾向は認められない。
  内山川黒田付近や抜井川第4沢では、基底礫岩のすぐ上位から、二枚貝化石を含む黒色泥岩層が厚く堆積している。

(イ)コングロ・ダイクを含む層準は、下部層の比較的上部がほとんどだが、それ以外でも1例認められた。(古谷集落北側の沢)

(ウ)コングロ・ダイクの分布は、西側に偏る。(詳しくは、別項で)

(エ)多産する神封沢付近では、灰色泥岩(シルト岩)~灰色細粒砂岩で産出している。

 

【観点-③】

・柳沢:粗粒砂岩と礫岩で、層厚2m(露頭幅10m)

・大沼沢:間に砂質泥岩層0.5mを挟み、上下に層厚2.5mの砂礫岩層
 隣接していて、層準からも、連続した砂礫岩層が顕著に認められる。

◆その他の地域では、(ア)全域で粗粒砂岩層や礫岩層の「砂礫岩相」が認められる。

(イ)巨礫が入ることはない。角礫であることもある。(基底礫岩の大きくても円礫と対照的である)

(ウ)神封沢では、礫岩層が下位層を不整合で覆う。(一時的な陸化が予想される。)

(エ)林道東山線では礫混じり層準の後、水棲植物の炭化物が入った中粒砂岩が認められる。

(オ)武道沢ではカキ殻、黒色頁岩塊が見られた。

 

【観点-④】

・模式地では、「砂礫岩相」層準の上に泥岩層が載り、海棲動物化石が見られる。その上位は砂泥互層が続く。

・上位に向けて、砂優勢・凝灰質傾向があり、凝灰岩層を含む。

・大沼沢では、玉葱状風化をする砂岩、緑色凝灰岩層が見られた。

◆その他の地域では、(ア)泥岩層はほとんど発達することなく、細粒砂岩層や中粒砂岩層のまま上位の層準へ推移する。(北部域の西側の沢、谷川)

(イ)上位に向けて凝灰質傾向が強まるのは、全域で見られる。

(ウ)北部域の東側(ワチバ林道の沢、舘ヶ沢)では、上位層準で凝灰岩層が頻繁に挟まるようになる。(かつて、駒込層として扱われていた経緯もある。)

(エ)堅い岩相でクランク状の渓谷を作る層準があるのか?(滝ケ沢林道の沢、障子岩)

 

 

6-(1) 滝ヶ沢林道の沢~仙ヶ沢付近の下部層と上部層

 

 様々な情報から「矢沢断層」が、都沢上流部から抜井川(柏木橋の西10m付近)、矢沢(コンクリート橋付近)、余地川(湯川と温泉の沢の間)を通り、滝ヶ沢林道の沢~仙ヶ沢を抜けていると推定されました。
 一方、雨川本流~滝ヶ沢林道の沢の岩相を見ると、中流部に内山層上部層を挟み、下流部~雨川本流と上流部が、内山層下部層のように思われます。また、仙ヶ沢下流部には、
内山層の下部層と上部層があるように思われます。
 それで、「まとめ」からの情報を手がかりに、地質構造を以下のように解釈しました。(数字は、ルートマップの数字です。)

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6-(2)熊倉川の内山層分布について

 

 標高865m付近にある滝(「知床滝」と名付けた)から下流側の熊倉川本流は、象ヶ滝、熊倉集落付近まで、明らかに先白亜系だと思われます。しかし、「象ヶ滝」を観察した後、本流の南側・尾根斜面から本流に降りる場所を探している途中で見かけた2露頭は、内山層上部層でした。象ヶ滝の上流側へ1本目の沢の標高920m付近(【図-⑬】)の暗灰色中粒砂岩層(N10~20°W・15~18°NE)と、2本目の沢の標高930m付近(【図-⑭】)の熱変質した灰白色細粒砂岩層(N30~40°W・10°NE)のことです。(数字は、ルートマップの数字)

 また、余地峠から東に延びる林道沿いも内山層です。標高1260m付近(【図-②】の熱変質灰白色細粒砂岩層(N25°W・20°NE)、標高1230m付近(【図-③】)の熱変質灰色細粒砂岩層・黄鉄鉱(pyrite)の晶出が顕著、(N20~30°W・10°NE)の2露頭は、内山層下部層としました。そして、「四方原山-大上峠」断層が推定され、林道分岐点(標高1140m)を過ぎた(【図-④】)の粘板岩(N40~50°W・15°SW)露頭は、内山層上部層と解釈しました。
 次に解釈の上で問題になるのが、熊倉川の【図-⑥】~【図-⑬】の扱いです。

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 問題は、礫岩層(⑧・⑨)です。礫岩層(⑥)と礫種は共通していても摩耗程度の違いから、別の時代の可能性もありますが、次の3つの理由で、全部が先白亜系だと解釈しました。

(ア)巨礫を含む礫岩は内山層基底礫岩層にもあるが、堆積盆の性質(東には開いていたと推測)から、基底礫岩層ではあり得ない。また、下部と上部の境の「砂礫相」に、巨礫は含まれない。

(イ)礫岩層の走向・傾斜がEW・北落ちである。周囲の内山層の走向は寧ろNSに近く、調和的ではない。(断層を境に変わっているとの解釈が合理的)

(ウ)推定断層の上流の帯青灰白色中粒~粗粒砂岩の変成前の原岩は、凝灰質砂岩で、内山層上部層に特徴的に見られる岩相であるのではないか。

 

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6-(3) 大上林道沿い露頭と

 第5沢の内山層分布について 

 大野沢支流第5沢と、その沢沿いに大上峠に至る大上林道で、内山層が見られるのはわかりましたが、その層序はわかりずらいです。特に、成因不明な小断層の話題(林道露頭【図-⑩】)は、依然として疑問のまま残りますが、ある程度明らかになった内山層の層序に当てはめて各露頭の所属を決め、以下のように全体像を解釈しました。

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 当範囲付近は、「四方原山-大上峠(よもっぱら・おおかみとうげ)」断層の通過が予想されました。走向・傾斜を見ると、【図-③】より西側は西落ち、【図-④】より東側は東落ちとなりますが、傾斜は50°~80°と高角度で立っています。一方、走向は、基底礫岩層(第4沢の基底礫岩と結んだ値)の「N40°W」が全体を代表しているように思います。
 それで、当地域は、全体的に見ると東傾斜で、一連のものだと解釈しました。
 また、周囲の情報(大野沢支流第6沢・第7沢や大野沢本流調査の結果)から、当地域は四方原山-大上峠断層の北側にあることが明らかになりました。ちなみに、断層の南側は、瀬林層(下部層と上部層)が、向斜構造で接している北翼になります。

 

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 【 閑 話 】

 内山層上部層の特徴について、『堅い岩相でクランク状の渓谷を作る層準があるのか?(滝ケ沢林道の沢、障子岩)』と付記しましたが、大野沢支流第5沢の標高1055m付近(【図-⑤】)の落差4mほどの滝も、非常に堅い珪質細粒砂岩で、チャート層と見間違えたほどでした。

 (ア)矢沢の第1・第2・第3クランク:珪質砂岩層が見られる、(イ)熊倉川の障子岩:全体は粗粒砂岩だが、珪質傾向である、(ウ)滝ヶ沢林道の沢のクランク状渓谷:熱変質した灰白色泥岩~細粒砂岩層、(エ)仙ヶ沢のクランク状渓谷:熱変質した中粒~粗粒砂岩層、(オ)第5沢の滝:珪質細粒砂岩層と、泥や砂で粒度は違いますが、どれも堅いです。
 堅くなった原因は、(ア)・(イ)・(オ)が珪質(siliceous)であること、(ウ)・(エ)が玢岩による熱変質であることのようです。偶然にも、内山上部層が多いですが、矢沢クランクは、内山下部層に属します。

 

【編集後記】

 元の原稿には、各沢のルートマップはありませんでしたが、もし、この章のこの内容だけ見た人は、さすがに、露頭番号がなければ、何のことだかわからないと思い、追加しました。

 内山層の分布している各地域を概観した内容をまとめたものですが、要は、模式地と言われる「柳沢や大沼沢」の岩相やその変化は、内山層全体を代表していないという結論です。それだけ、内山層の堆積盆は、広大なものではなく、地域によって堆積環境に差があったことを示しています。

 次の章では、「コングロ・ダイクの成因」について話題にしますが、この中で、堆積盆の様子についても言及したいと思います。

 ところで、前回に続き、今月のファイル使用量がまだまだ1%にも達していないので、既に、各沢のデーター紹介の折りに使った写真も含め、熊倉川の印象的なものを紹介します。

 

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「知床滝」と名付けた、いきなり川底に落下する小滝

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円形の滝壺 【破砕帯の上流】

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障子岩の大岸壁

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熊倉川の象ヶ滝

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熊倉川の自然公園

  

 救急の 母案じつつ 去年今年

 奇しくも令和3年の大晦日(12/31)の午後、119に要請をして、私の母を救急搬送してもらいました。この俳句のように、大晦日の晩から新年(元旦)にかけて時刻が移ろい、年越しの瞬間を過ごしました。

 佐久医療センターに入院した母は、明日ようやく転院できそうです。退院なら嬉しい限りですが、コロナ禍で、一番近くと希望していた病院では、一般病棟(リハビリを兼ねる)に空きがなくて、佐久総合病院(本院)へ入院の運びとなりました。

 救急隊員の方や、病院での医療関係の多くの方々のお陰です。感謝申し上げます。

 CTで見せてもらった脳の血管の様子から、かつての母の姿と同じようにとは期待できません。毎朝、午前7時には、私の作った(もちろん妻も基本的には用意しますが)味噌汁を持って、一緒に朝食を摂っていた生活に戻ることは、不可能かなと覚悟はしています。寒さ厳しい「大寒」ですが、私たち家族にとっても厳しい年明けとなりそうです。(おとんとろ)