北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年2月の俳句(令和3年度)

 【如月の句】

 

① 山路ゆく 配達員に 春の風

② 空の藍(あを)少し薄れて 土手青む

③ 歩を止めて 逢瀬重ねる 梅暦                

《春の訪れ・三題》 

 

 2月の俳句会も、早々に中止が決まった。言うまでもなく、コロナ禍のせいである。みゆき会・H会長が、会員宅を回って俳句を記した短冊を集め、紙上での「選句会」となった。私は、季語を見つけ出すのに苦労しているが、今月は自然に出てきた。また、珍しく3句とも散歩をしながら練っていたらできてしまった。特別な思い入れもなく、見て思いついたままを、そのまま俳句にすることができたようだ。
 例年になく厳しい寒さと降雪に苦しめられた冬(特に2月)だったので、春の訪れが、とても待ち遠しくて、その思いを詠んでみた。 
 ところで、私にとっては、忘れ難い2月となったかもしれない。平成26年・佐久の積雪量記録1mに達する積雪ではなかったものの、朝の寒さと、本格的な4回の雪掻き、そして母の見舞いの日々。更には、北京冬季五輪パラリンピック大会と、世界史の教科書には必ず記されるであろう「ロシア軍のウクライナ侵攻」があったからだ。そんな激動の国際情勢の中で、小市民的な世界ではあるが、春の訪れを楽しみにする風情を吟じてみた。

 【俳句-①】は、山間のアスファルト道を郵便配達員さんが、オートバイクを走らせていく。木枯らしの初冬から、寒風の真冬を過ぎて、今の季節風も冷たいが、それでもだいぶ優しくなった春風の中を駆けていった。『少しは楽になりましたか?』と声がけしてみたい気持ちを詠んでみた。
 この俳句の元の素材は、散歩中に見た
新築中の3階建ビルの外壁工事で働いていた作業員の姿だった。田舎には珍しいビル工事なので、いくつかある散歩コースの中で、必ず足を止めて進捗状況を眺めていた。
 季節風の強い日、足場を覆うネットも激しく揺れて、その中で彼らは働いていた。ところが、ある日、大きな笑い声が聞こえてきた。休憩時間らしく、ネットの隙間から車座になった3人ほどが見え、面白い話題で盛り上がっていたようだ。風も弱く、暖かな日差しがネットに注ぐ。 屋外で働く人々にとって、天候などの自然条件は、直に人の皮膚に突き刺さるようにして感じられるはずである。その日は、作業員の笑い声だけでなく、長閑な陽気も、嬉しく共感することができて、俳句にしたいと思った。
 ただ、散文でないと表現できないほどの内容なので、屋外の労働者は郵便配達員の方に代わってしまったが、こちらも散歩中に何度も目撃したことだった。
 ところで、コロナ禍により、在宅勤務をする人が多くなってきたことを受けて、『エッセンシャル・ワーカー』なる新語を耳にするようになってきた。新型コロナ・ウイルス感染拡大防止策として、「テレ・ワーク」や「リモート・ワーク」ができない職種や業務内容に携わる人々に敬意を込めて使われるようになった。
しかし、かつて使われたことのある「ブルーカラー」・「ホワイトカラー」というような呼称とは少し意味合いは違うが、個人的には、あまり好んで使いたくない表現である。どこかに、「エッセンシャル」で無い方の仕事は、一体何なの?・・・という意地悪な疑問も湧いてくるからだ。

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Essential Workers(インターネットから)

 

 【俳句-②】は、田圃道を散歩中に土手を見ると、ナズナオオイヌノフグリなどの小さな草花が芽を出していた。
 もっとも正確には、冬の間も地表に張り付くようにしてあったものだが、存在がより確かなものになった。雪解けの水分を含んだ黒土は、とても柔らかく暖かそうである。「土手青む」という季語が似合いそうである。
 空を眺めると、冬晴れの日の藍色の空は、いくぶん薄れて普通の青空になっていた。
空気中の水分量が多くなり、霞の時期までにはならないが、どこまでも藍色に近い冬の群青の空ではなくなっていたことに気がついた。
 厳しい季節風が吹く中、見上げる藍色の空は、空を見ているというより、宇宙空間を眺めているような錯覚になるほど、空が深い。そんな冬の空が懐かしくもあったが、
優しい空の青と、土手の春は良く似合う。

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「故郷」とともに、人気のある童謡のひとつ「朧月夜」

 

 

 【俳句-③】は、散歩コースのひとつに、梅の木があって、度々、足を止めて、梅の花のほころび具合を観察した。枝に積もった雪が解けて垂れ、小さな氷柱になっていたこともある。赤紫色の冬芽は、少しずつ変化してきたのだろうが、気がつかないほど、ゆっくりとした歩みだった。そして、だいぶ膨らんだと思うと、私も散歩中に汗ばむほどとなった。
 恋人との「逢瀬」ではないが、梅の木に会ことを楽しみにしていたので、少し洒落てみた。まさしく、日めくりの梅暦のようです。

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梅の蕾が膨らんできた

 

【編集後記】はてなブログ)  【令和4年 3月14日】

 3月は、別れの季節である上に、「3・11東日本大震災」の大きな影が今もなお、重くのし掛かる。加えて、世界史の教科書に確実に記載され、戦争犯罪が追究されるであろう「ロシア軍によるウクライナ侵攻」は、とても他人事とは思えず、毎日のように苛立ちを覚え、深く心を痛めている。

 私は生まれてはいなかったが、確かな情報が伝わっていれば、かつての日本軍も、「大東亜共栄圏」の理想を抱え、中国大陸や南方の島々へ進撃していく様子は、ロシア軍の侵攻と似た姿に見えたのかもしれない。

 現代の新しい太平洋戦争史観は、(日本の戦争犯罪を弁解したり、正当化したりする意図ではないが・・)少し変化してきている。それは、欧米列強国によるブロック経済の包囲網の中で、日本が戦争によって活路を見いださなければならないような状況下に導かれて行ったというものだ。日本の亜細亜進出は、広義では、明らかに侵略・植民地化であろうが、そこには、とりわけ欧州人(白人)の現地人を奴隷と見る感覚ではなく、日本人と同じ「天皇の民」という人格を認めた対応もあったと聞く。現地人への教育や産業育成にも目を向けていた。もちろん、例外も多々あるが・・・。

 ただ、そんな観点から戦争を見ると、少なくともロシアのウクライナ侵攻には、客観的理由もない。世界が、ロシアを侵攻へと追い込んだわけでもない。テレビ解説で、「まるでストーカーです」という表現があったが、「相手を脅し、強引に自分の物にしようとする狂人」以外の何者でもないと思う。(おとんとろ)