【弥生の句】
① 物言わぬ つくしんぼうの 宇宙服
② 仲直り 指のぬくもり 猫柳
③ 老梅や かはりし人と なりし母 《春の愁い》
令和3年度最後の俳句会も、コロナ禍のせいで中止となった。各自の俳句を書いた短冊を集めて紙上での「選句会」となったのは、1月から3ヶ月連続である。さらに、来年度の4月からの見通しも立てられないのは困ったものである。
ただ、メリットもあった。会員が、じっくりと作品を練り上げる時間の確保と意識の高まりがあったようで、皆さん良い俳句作りができていると思う。毎回、3句を選ぶのだが、今月は6句となってしまい、ようやく次点の3句を決めて、「選句会」へ提出した。
ところで、今月は、季語「春愁(はるうれい)」に挑戦しようと発想していた。そのせいか、「春の草花」の題材ではあるが、どこか複雑な心情面を表現するような内容となった。題して、春の愁い三題である。
【俳句-①】は、春先の土手から何本かの土筆(ツクシ・別名つくしんぼ)が、背比べをするかのように生えている様子を詠んだ。
ツクシは、スギナという後から生えてくる植物の「胞子嚢」を供えた胞子茎だということも、また古生代に繁茂したトクサの仲間の子孫だということも、知識としては知っている。
しかし、その独特な短いスカートが節々に付いているコスチュームが、長い時空を越えてくるのに必要だった「宇宙服」のように感じられて、思わず下句が出てきた。
当初は、背比べ(丈比べ)をしているように見えて、その感動を伝えようかと思案したが、寧ろ、春の他の植物と違って、異質に見えてきたことから、思い切って修正した。
ところで、ツクシは、スギナ(杉菜、接続草、学名:Equisetum arvense)の胞子茎である。後から生えてくる緑色のスギナが、栄養茎で、本体である。分類では、
シダ植物門・トクサ綱・トクサ目・トクサ科・トクサ属の植物の1種で、日本のトクサ類では最も小柄であるようだ。
トクサ類が所属するシダ植物は、古生代のデボン紀に出現して、さらに多様化して石炭紀には大繁栄して、大きな森ができた。幹に相当する部分は空洞だが、
樹木のように大きくなるシダ植物の森林である。 リンボクやカラミテス(トクサ類)が繁り、やや乾燥した所にはフウインボク(リンボク類)、メドゥロサ(シダ種子類:種子ができるが胞子で殖える進化上の絶滅種)、プサロニウス(リュウビンタイ類)が分布し、林床にはトクサ類やシダ類が繁茂していた。
石炭紀~ペルム紀は、繁栄したシダ植物や、シダ種子類が、大森林となり、埋没して石炭層となって残されている。
そんな遙か昔の植物の子孫が、大きさは小さくなってしまったが、激動の地球史の中、丈夫な宇宙服を着て、堪え忍んでいたと思うと感慨深い。
【俳句-②】は、猫柳(ネコヤナギ)の柔らかくて可愛い「花穂」の魅力を伝えようと、勝手に恋愛ストーリーを作ってみたという俳句です。
青春初期の頃の恋愛は、愛しく思う人や恋人が、異性と話しているのを見ただけで、嫉妬して仲違いしてしまうこともあります。誤解が解けて、二人は『指切りげんまん』をして仲直りします。
その時の彼女の指の柔らかさ、温かなぬくもりが忘れられません。ネコヤナギの花穂を見て、そして触れてみると、同じ感触が伝わってきました。青春の日の思い出です。
1月下旬に「みゆき会」H会長さん宅に伺うと、『温室に入れておいたから』と、既に花穂の色が変わっている枝を頂いた。さらに、庭の枝も切って来て頂いてきた。こちらは、玄関の水盤に生けてみた。1ヶ月半ほどして、赤紫色に花穂が変わり、白い産毛のようなものが出てきた。
(ちなみに、生け花のネコヤナギの他は、南天の実(赤色)やスターチスの乾燥花(紫色)と蘭の造花(白色・黄色)で、船型の水盤は、自作の焼き物です。)
【俳句-③】は、昨年の大晦日に救急搬送された母が、救急病棟から普通病棟に転院して、現在リハビリ療養中だが、以前のようには身体機能は回復しない。春が来れば、老梅でも花を咲かせて蘇るのに、母はどうなっていくのだろうかという気持ちを詠んでみた。
佐久地方では、3月下旬に梅の蕾がほころび、花が咲き出す。桜は4月中旬頃、5月連休にはライラックが花を付ける。これらに、チューリップや海棠(かいどう)・山吹の花なども加わり、春から初夏へと花暦は進んで行く。
早春の庭先や土手で最初に目にする花は、福寿草やオオイヌノフグリ等の草花ではあるが、やはり、『耐雪梅花麗・雪に耐え梅花麗し』(西郷南州の漢詩の一節)ではないが、趣深さは、梅花の方が数枚上手という感はある。
加えて、個人的趣味だが、桜より梅の方が好きである。下世話な例え話で恐縮だが、聡明で美人、気配りもできて愛想の良い女性でも、なんとなく私には「この女(ひと)の方が相性が合う」という、分析的な理由ではないフィーリングの世界がある。それが、梅の花となるようだ。
母も、私にとっては極めて素敵な人で、庇護者であり理解者であり、晩年は守るべき人でもあったのだが、今は、どうしたものかと迷っている。脳血栓による認知症になったわけではないが、コロナ禍の為、ガラス窓越しに、看護師さんの通訳を通して接する母は、喜怒哀楽の感情が薄れている。元々、「おすまし」型ではあったが、会話が成立しない。私の存在や氏名は覚えているが、『Yes or No』の応答のみで、『5W1H』には反応できない。それ故、「かはりし人」と表現した。
今でも、母の部屋は、毎朝夕、カーテンの開け閉めをしている。どうなるか?
【編集後記】
3月・弥生の俳句で、令和3年度「みゆき会」が終了した。先輩諸氏に誘われ入会したのが、平成28年5月なので、ほぼ6年が過ぎた。その間、毎月3句ずつ採り上げては、俳句創作に関わる背景を解説してきた。わずか17文字でしか許されない俳句の世界なので、どうしても表現したい真意や背景が伝えられなくて始めたものだった。それでも、私の歩んできた記録にはなったと思っている。
ところで、今年も5月連休に開催される薬師堂の花祭り(一月遅れ)に掲げる「奉灯俳句」の額を用意しなければならない。載せる奉灯句もさることながら、俳画のアイディアも練らないといけない。
一昨年(令和2年)の私の句は、『瑠璃色の 五輪待つ空 燕交ふ』で、俳画には、地元の浅間山を背景に、咲き誇るアヤメを描いた。
「TOKYO2020」五輪・パラリンピックが、できますようにとの願いからだったが、コロナ禍で1年延期となった。
それで、昨年(令和3年)には『夏空へ 届け薬師の 鐘聖し』という句を奉納し、夏(7/23開会式)には大会が無事に開催できることを祈念した。俳画は、室生寺の五重塔や貞祥寺の三重塔を参考に、架空の寺の三重塔が空に延びていく様を強調してみた。
今年(令和4年)は、どうしたものか?
会員の皆さんの奉燈俳句の題材や季語の内容にも配慮しなければならないが、これだけ大きな国際問題となっている「戦争と平和、人権と民主主義を守り、国際秩序の中で、経済・安全保障で安心できる世界の実現」を願わずにはいられないという思いもあります。
昨年、少し閃いた「渓谷の水が滴る滝の上に安置された観音像」という構想もあります。しかし、仏像や石仏などは難しそう。会員のTさんは、水墨画もやっているので、お願いすれば可能かもしれないな。
まあ、まだ4月の予定も見通せないので、もう少し思案してみます。 (おとんとろ)