北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年4月の俳句と奉燈句

【卯月の句】

① 一枝の 山吹手折り 野良土産

②  簪(かんざし)か 豆腐に差した 山椒の芽

③  敷島の 昔の香り 山桜  《身近な山の植物・三題》

 

 令和4年になって1月・2月・3月と、月の俳句会は中止となってしまった。
 全国の新規コロナ感染者数は、554人/日(新年2日)でスタートしたが、日を追う毎に急増し、北京冬季五輪開会式の行なわれた2月4日(立春)には、10万4470人/日と、ピークを迎えた。原因は重症化は少ないものの、感染力の極めて強いオミクロン株の流行であった。
 4月の句会のあった20日でも、全国で4万人/日台と一向に減少せず、地元佐久市でも20人/日台と流行していた。しかし、倉沢薬師堂花祭りに向けて、奉燈俳句・俳額の制作という大切な恒例行事があるので、開催された。
 私の4月の俳句は、たまたま目にした「身近な山の植物」を題材にしてみようと思い、創作した。

 

 【俳句-①】は、文字通り、畑での農作業を終えて帰宅する時、美しさに感動したので、花を付けた山吹の一枝を折って、「野良土産」にしたことを詠んだ。
 昔ならのんびりとした風情だが、現代版では、山道の土手一面の山吹の群生に気づき、ブレーキをかけて、軽トラックを止める。そして、草刈り鎌で切った。帰宅後、一輪挿しに生ける時、水揚げが良いようにである。ただ、やがて枯れてしまうので、欲張らずに遠慮して一枝にした。

 ところで、山吹と言えば、戦国武将・太田道灌(どうかん)に関した有名なエピソードがある。
 狩りに出かけた道灌らは、俄雨に見舞われ、農家で蓑(みの)の借用を申し出た。対応した娘は、山吹の一枝を差し出した。(ここで、短歌を詠んだり、家臣が訳に気づいたりするパターンの話もある。)
 ずぶ濡れになって帰城し、古老から『古歌に“七重八重花は咲けども山吹の実の一つだに無きぞ悲しき”という歌があり「実の」に「蓑」を懸けています。貧しく蓑ひとつさえ無いことを山吹の古歌に例えたのです。』と聞く。太田道潅は自らを恥じて、その後、歌道に精進したという話である。
 これは戦前の教科書に載っていたようで、年配者には良く知られた話である。実話かどうか不明だが、江戸中期の儒学者・湯浅常山が書いた「常山紀談」に載っていて、庶民は好んでこの話を講談や落語で取り上げた。
 私は、古典落語の「長屋の熊さん・八さん」バージョンでの「落語の落ち」が印象深い。長屋の大家さんから山吹の古歌を聞いて「雨具を断る時の歌」と理解した熊さんの所に、雨降りの午後、友人の八さんが提灯を借りに来た。正確に再現できない古歌を披露するが、内容が理解できない八さんに対して、『お前は歌道(かどう)に暗いな』と言う。すると『そうさ、街角(かど)が暗いからさ』という落ちである。
 佐久市立中央図書館玄関脇に、賤女(しずのおんな)が道潅に山吹を掲げる像がある。周囲はヤマブキが植えられている。古典や先端の知識・学識に暗くならないように学びましょうと言う意味も込められていると聞く。

山吹(ヤマブキ)の花

 

 【俳句-②】 は、豆腐に山椒の芽(柔らかい葉)を添えて食卓に出された時、緑色をした可愛い「簪(かんざし)のように見えたので、詠んでみた。
 もっとも、私は簪の実物を見たことがない。TVドラマに登場する和服姿の町人の若い娘が結った髪に差すものとイメージしていたが、本来は簪の櫛(くし)で髪の毛を束ねて固定するものらしい。だから、私が、山椒の葉の形からイメージしたのは、簪の飾りと言うべきであったようだ。

山椒(サンショウ)の芽

 ところで、山椒(サンショウ)はミカン科・サンショウ属の落葉低木で、その葉や実は独特の香りが強く、香辛料として使われている。
 我が家でも、この俳句の食卓では山椒の葉をそのまま添えたが、多くは「山椒味噌」にしていただく。すり鉢・すりこぎで、主に葉をすりつぶして、味噌や砂糖などと混ぜる。何にも合わせられるが、やはり豆腐と良く合う。
 一方、『山椒の実は小粒でも辛い』の諺のように、優れた香辛料なので、山椒の球果を一粒ずつ集めて乾燥・保管しておいて、煮物料理などに入れると好評である。
 脱線するが、「サンショウバラ」なる日本固有種を前橋市の敷島薔薇園で見たことを思い出した。葉が山椒に良く似ていて驚いた。ちなみに、山椒の葉のような匂いは、しなくて安心した。

サンショウバラ


【俳句-③】は、芳しい匂いのする山桜を山路の帰りに採ってきて玄関に生けたが、途中からは香りが癖のある匂いで、寧ろ、気障りとなってきた。ふと、本居宣長の短歌を思い出すのと共に、昔の人々は桜と言えば、こんなにも強い匂いを嗅いでいたのかという思いがしてきて、俳句にしてみた。
 「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」
 本居宣長の61歳自画自賛像に賛として書かれていますが、「日本人(私)の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知って、その麗しさに感動する心です」というような意味です。私の母校の校章の謂われなので印象深い短歌でした。
 ただ、「にほふ(匂う)」が山桜の物理的臭いだと誤解していたようです。最初は芳香でしたが、癖のあるきつい香りが次第に気障りになりました。どんな美人でもどぎつい香水だと、少し気が引けてくる対応に通ずる感想です。
 同時に、今日、桜と言えば江戸時代に改良された「ソメイヨシノ」が代表株ですが、もし、山桜が日本国中に植えられていたら、その強烈な臭いで、春のお花見も盛んにならなかったろうなと思いました。美しい花弁を付ける改良種の桜が、あまり人が感じとれる程の強烈な匂いを放たないことが普及した理由ではないかとさえ思いました。
臭いは慣れると言いますが、玄関を通る度に、独特な山桜の匂いを嗅いで抜けました。

自作の俳画と「山桜(ヤマザクラ)」

 

  【倉沢薬師・奉燈俳句】  

 

 戦なき 御代を祈願す 甘茶仏   (仁科秀明)

 

令和4年度 薬師堂花祭り・奉燈俳句の額 (鐘楼の下)

 

 【奉燈俳句】は、ロシア軍のウクライナ侵攻を憂い、1日も早く戦闘が終結して、破壊されたインフラ整備や国土の復興が始まるようにと、祈願して詠んだものです。
 ちなみに、昨年度(令和3年)は 、『夏空へ 届け薬師の 鐘聖し』でした。
夏に「東京オリンピック大会・パラリンピック大会」が無事に開催できますようにと、毎日の散歩の後で薬師堂の鐘楼に登って鐘を突いては祈ったことを詠んでみました。新型コロナ・ウイルス感染防止の為に、無観客での競技開催を始め、
様々な制約はあったものの、何とか無事に大会を終了することができました。
 その前年度(令和2年)は、『瑠璃色の 五輪待つ空 燕交ふ』でした。
 1964年(昭和39年)以来、56年振りとなる「東京2020」なる東京五輪大会が、丸1年延期となることが決定とながました。それで、1年経って燕が飛び交う頃には、夏に開催される五輪への期待感が高まっているだろうなという思いと願いを込めて詠んだものです。
 ですから、今年度(令和4年)の奉燈句の俳額には、今一番強く願っている、少し公的(私的なものもありますが)な内容を題材にしようと決めていました。
もちろん、漠然とした自然災害や紛争、人権侵害、飢餓の無い地球環境ですが、特にウクライナ問題が気になっていました。
 そんな視点でいたせいか、同じような思いで憂いている方は多いようで、新聞の俳壇でもいくつか拝見しました。信濃毎日新聞の「俳壇」と、家内が日曜日に購入してくる朝日新聞の「俳壇」からの掲載です。

①『葉牡丹の 崩れ戦禍の 傍観者』

 西田和彦(佐久市)《信濃毎日3/31》

②『四月馬鹿 みんなイワンの ばかとなれ』

 額田浩文(八王子市)

③『しゃぼん玉 吹く児のゑない 戦の地』

 青柳 悠(川口市)《朝日4/17》

④『戦なき 国に住む幸 花仰ぐ』

 大串若竹(八王子市)《朝日4/24》

 

 ところで、俳額の絵は、紫木蓮と観世音像です。毎年、新しい画題にしているので、悩みました。ただ、墨書は清書をしてないので、自分でも少し手を抜いてしまったと思っています。今年度は、やはり私生活でも少し大変で時間が取れませんでした。

 

【編集後記】

 今日は、5月31日(火)で皐月の晦日です。前回の「はてなブログ・佐久の地質調査物語―159」の【編集後記】でお話したような事情で、なかなかパソコンを使った作業ができませんでした。それでも、5月中に1回でも多く「はてなブログ」に載せようとがんばりました。地質の159号に続いて、160号の予定でしたが、俳句の題材には、季節感も必要かと思い、今回は『4月の俳句と倉澤薬師奉燈句』を載せました。

 ちなみに、苦しんだ左肩胛骨から左腕・指先に至る神経痛は、現在、改善されてきています。往復120km、車で3~4時間かけて通った塩尻市の吉田原整骨院さんでの治療のお陰です。先生の『必ず治りますから』は本当でした。ただし、まだ完治ではなく、姿勢が悪かったり、疲労が重なったりして、身体(骨格)のバランスが崩れると、再発の可能性がありそうです。

 これで、今季も農作業に励めるかと少しだけ安心しました。と言うのも、私は動いていると体調が良くなっていく方ですが、今年は春先からだんだん身体に無理が利かなくなってくるのを自覚するようになりました。やはり、老化ですかね。それでも、作物栽培は楽しいので、がんばろうと思います。

 そんな折り、自家用に栽培しているニンニク300株の一部に「さび病」が発生したようです。インターネット情報で、原因や対策は調べましたが、どうしても農薬は使いたくない気持ちもあり、悩んでいます。家内は、農薬をお店へ捜しに行ったようです。

なにしろ、クロニンニクに加工して食べている健康食品の原材料ですから、必死です。 

ニンニクの「さび病

 さらに、アスパラガスの害虫「ジュウシホシ・クビナガ・ハムシ」の被害もあります。5年間ほどしっかり収穫でき、年々作付けを増やしてきましたが、害虫が発生した翌年からは収穫できなくなりました。昨年は10本ほど、今年は0本です。今も、害虫を見つけますが、減っています。彼らが餌が無くなり死に絶えるのを待っています。

 それで、今、温室で育てている苗を、秋に違う畑へ定植しようと計画しています。

 害虫対策は、ジャガイモなら、葉に付いたテントウムシを、毎日、点検しては手でつぶしてきました。今日は、2匹だけになりました。ところが、ハムシの方は、飛んで行ったり、土の中で越冬したりするようなので、やっかいです。それでも、無農薬へのこだわりがあって、なかなか害虫駆除に踏み出せません。

 明日から6月。毎年、6月を迎えてから「オクラ」の種蒔きをします。今季の夏野菜は、どんなふうになるか、心配しつ、楽しい収穫に期待しています。(おとんとろ)