北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-160

第Ⅹ章 コングロ・ダイクの成因

 7 混濁流説を裏付ける露頭証拠

 

7-(2) 軟着陸しているコングロ・ダイクがあった。

 

 武道沢の最初の調査(16Nov 2002)は、カラマツの枯葉を軍手で払いながら露頭を観察するような晩秋でした。詳細に捜せば、垂直貫入だけでなく、侵入角度の異なるコングロ・ダイクが見つかるはずだと思いついたら机上推理は無駄と考え、時期はずれでしたが、ひとりで沢に入ってみました。

 

武道沢890~910mASL付近のルート・マップ

 【武道沢890~910mASL付近】図は、観察した時のメモと、その後の2回の詳細な調査(1July ・28Aug 2006)の結果を加筆したものです。

 

【旧20番露頭の一部の様子】


 写真はかつて「20番露頭」と呼んでいた小滝の上、左岸側(図のC)のコングロ・ダイク露頭の一部です。覆われていたカラマツの落ち葉を払って写したものです。典型的なコングロ・ダイクと大きく違うので、不思議に思いましたが、次のように考えると、一気に解決できました。
 典型的なタイプは、層理面を横から見ているので、泥岩との境界はシャープに見えます。しかし、「20番露頭」は、層理面を上から見ているので、層理面の端となる泥岩との境目は小さな波を打ったように不規則な形になっています。

 身近なものに例えると、一枚のお煎餅(せんべい)を割った時、横から見た断面は平坦ですが、上から見ると割れ方が直線的ではなく、波を打ったように見えるのと似ているのかもしれません。

 

 詳細に調べると、その他にもコングロ・ダイクの層理面を上から見ていると思われるものが見つかりました。 図の〔I〕と〔J〕も、このタイプです。
 コングロ・ダイクの産状に注目すると、周囲の黒色頁岩など正常に堆積した地層に対して、非調和的なもの〔A・B〕タイプと、比較的調和的なもの〔C〕タイプの2類型があります。

 もうひとつ注目すべきことがあります。全体は緩やかな南傾斜なので、上流側ほど新しい時代の堆積物であることを示しています。混濁流で、コングロ・ダイクの礫層、砂岩、泥岩が運ばれ、海中で分級し、礫→砂→泥の順に堆積する過程は、この武道沢露頭では砂相が無いので、全体が泥相となります。
 しかし、未凝固堆積物→〔A・B〕タイプのコングロ・ダイク→〔C〕タイプのコングロ・ダイク→泥岩の順番になっています。もし、砂相があれば、〔C〕タイプは、砂と一緒に静かに泥相の上に軟着陸するはずです。            
 
 つまり、この武道沢露頭では、(1)〔A・B〕→〔CとC'〕、(2)〔D・E・F・G・H〕→〔IとJ〕   (cf) 〔D〕は、(1)に含めてもよいかもしれない。)  の2つの混濁流サイクルがあったと見ることもできます。

 つまり、小滝の下流側と、それより上流側が、次の堆積サイクルだったと考えられます。

 

 

7-(3) 軟着陸タイプは、分級では砂相と同レベル

 

(再掲)雨川水系・小屋たけ沢のルート・マップ

 (原文では、いきなり説明図版にしましたが、途中からの読者にはわからないと思いますので、「小屋たけ沢」の位地を示します。)

小屋たけ沢1000~1010mASLの露頭

 雨川水系の小屋たけ沢の標高1000m~1010m付近のコングロ・ダイク露頭を見ると、ふたつの堆積サイクルがあるように見えます。

 

 周囲の基盤岩は、黒色泥岩層や暗灰色細粒砂岩層で、ほぼEW・緩い北落ち(推定、5°N)です。
 ほとんど水平に近いものの、上流側ほど新しい時代の地層が堆積しています。
 コングロ・ダイク(ア・イ)→(ウ)が最初のサイクルで、コングロ・ダイク(エ・オ)→上位の砂相が、次の混濁流のサイクルになります。

 第1サイクルの砂相の位置に、軟着陸タイプのコングロ・ダイクの礫層が堆積したので、浸食に強く、小さな滝となって残っていたと思われます。

小滝となったコングロ・ダイク(ウ)【露頭C】

 

【編集後記】

 今日の午後は、激しい雷雨となって、農作業ができないので、『いつか続きの第160号を載せなくては・・・』と思っていましたが、実現できました。第159号との間には、令和4年の4月(卯月・奉燈句)と5月(皐月)の俳句が入りました。

 

 ところで、「コングロメレイト」すなわち「礫岩」にまつわり、私は、国歌「君が代」のなかの歌詞が、これまで気になっていました。

  君が代は 千代に八千代に さざれ石の  いわおとなりて こけのむすまで

 それは、細石・・つまり礫や砂の粒子が、固まって・・巌・・つまり礫岩となり、そこに苔むすなどと言うのは、自然科学的に、特に地質学の観点から見た時には、まったくあり得ないからです。細石は、時間が経てば、風化・浸食して粘土鉱物にまで分解されてしまう。もし、礫が礫岩となるのなら、湖底や地下に埋没して、固結から石化し、規模には差があっても地殻変動で陸上に露頭として現れる過程がなくてはならないからでしょう。

 しかし、国歌「君が代」の歌詞の意味について、別な解釈もあることを知り、考えが大きく変わりました。

               

  【 閑 話 】   国歌「君が代」と礫岩

 国家・君が代を、文字通り現代語訳すると、「君が代は、千年も八千年も、小さな石が大きな岩になって、それに苔が生えるほどまで、長く続きますように」となる。
 これに対して、「君」が天皇だと主張して、独裁者国家の国歌だとする主張をする輩もいるが、歌詞の内容を見ても、諸外国のかなり攻撃的で、異民族(敵)排他的な国歌よりは、遙かに高級な日本国国歌だと、私は思う。最近、国歌に対する別な解釈を見つけ、さらに感動している。

 「き・み」を完璧に成長した男女と訳した。日本神話は、「いざなき」・「いざなみ」の命の「成り余る所」と「成り足らざる所」の補完によって完璧となった日本人の子孫であると、説く。時代を超えて、永遠に、《さざれ石が巌となるように》皆で協力・団結して、苔のむすまで、絆と信頼で結びついていこう・・と解釈している。実にいいと思う。
 私は、細石(さざれいし)は時間が立てば、砂や泥・粘土鉱物になるのに、なぜ巌になるのかと批判してきましたが、『礫の堆積物が、固結・石化して、礫岩へとなる』過程を、国民の協力の象徴として、国歌に読み込んだと解釈するのは、すばらしいと思います。

       最後になりますが、今日の雷雨の雨雲の動きを見ていて、『あたかも空にも川のように流れがあるのでは・・』と思いました。

 佐久市では、(6月10日)13:50俄雨に始まり、14:20雷鳴を伴う雷雨、そして、15:00には、雨雲は群馬県側に移ったようでした。

 この様子を「雨雲ズームレーダー」で見ていると、全体の雨雲は、SW―NE方向に移動していました。日本海福井県岐阜県・・・ここから長野県北部と中部に分かれます。北部は、福島県と北関東の北部へ、中部は群馬県から、栃木県・茨城県(北関東南部)への2つの流れがありました。

 なぜ? 私の推理は、北アルプスが、やや壁となって大気の流れを分けたのではないか・・・などと思っていました。(おとんとろ)