北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-161

第Ⅹ章 コングロ・ダイクの成因

 

8.内山層の堆積盆とコングロ・ダイク

 

 「群馬県南西部の新第三系の地質発達史(野村 哲・小坂共栄 共著)」に添付された地質図を見る機会がありました。縮尺が大きいものなので、細かな場所は正確に特定できませんが、私たちのフィールドの地層分帯から類推すると、私たちが駒込層と内山上部層とした部分を、一括して駒込層として扱っています。また、内山中部層(広義の下部層)のごく一部も含まれているようです。この見解の意図は、火山性物質が入り始め、凝灰質要素のある地層を全て駒込層として扱っているように思われます。ただし、この図幅は極めて広範囲を網羅したもので、当地域は完全な端に当たり、先生方の調査も内山川側からの調査であった可能性も高いので、もう少し慎重に検討してみる必要があると思います。

 

8-(1) 内山層堆積輪廻の2回目は、極めて小規模である。

 

 さて、前述の地質図を見て驚いたことは、内山層と同時代であるとされる「下仁田層」と「牛伏層」の南縁が、三波川帯の結晶片岩と接していることと、その分布域の南北方向のあまりの狭さです。内山層から、東側へほぼ12kmぐらいの等間隔をおいて、3つの地層分布域は東西に連なっています。各地層の東西方向の分布は6kmほどと大差ありませんが、群馬県の2つの地層の南北方向への広がりは、最大でも1kmもなく、極めて小規模なのです。たぶん、内山層堆積の最盛期には、東西方向につながりをもっていた海が、太平洋側から侵入していたはずですが、海退期には小さな堆積盆となってしまい、互いに独立していたか、わずかな水路を通じてつながっていた程度だと想像できます。だから、内山上部層の堆積盆は、十分に東側に開いた状態ではなかったと思われます。
 ただし、内山上部層の堆積時代は、駒込層と指交関係(inter-finger)や一部が同時異相になっていた可能性も充分にあると、言われています。私たちには証明手段がないので、将来、地質絶対年代調査などから、『内山層上部層=駒込層』ということになれば、その結論に従うつもりでいます。

 

                       *   *   *   *

 

 ところで、内山上部層が、かなり浅海成であったとすると、『内山層の堆積輪廻が2回あった』というアイディアは、少し修正しなければなりません。私たちは、内山層堆積盆の大まかな変遷を、次のように理解していました。

 

①山中地域白亜系と、(跡倉ナップ群に相当する)大月層に挟まれた陸上域が、地向斜 の海となり、これが内山層の堆積盆となった。そして、基底礫岩層群が基盤岩類を 不整合に覆った。

②急速に深まる海に、砂泥互層や黒色泥岩の下部層が堆積した。

③さらに海が深まり、堆積盆は拡大した。安定して発達した泥岩層にコングロ・ダイ
 クが、他の砂や泥とともに混濁流によって運ばれ堆積した。

④堆積盆は急速に上昇し、砂礫層が発達した。やがて、模式地を中心とする地域は、
 再び沈降し、砂泥互層の上部層をためた。西側地域は、浅海性の堆積環境であった。

⑤内山層は収束し、この上に駒込層が整合関係で堆積した。

駒込層堆積盆の中心は、北側へ移動した。

 

 このため、内山層堆積盆は、下部層と上部層の2回の堆積輪廻(海進→海退→海進→海退)があったと理解していました。この考えは、模式地の柳沢や大沼沢付近をみれば、そう見えます。
 しかし、分水嶺を越えた雨川水系や谷川の調査結果も加えて検討してみると、大局的には、内山上部層の堆積盆は、一度縮小した後、浅海性を保ちながら縮小して、少しずつ収束に向かっていたのではないか。また、内山上部層の堆積盆は、十分に東側に開いた状態ではなかったと思われることからも、裏付けられるような気がします。そして、北部域の中心部にわずかに深い堆積盆を残していたと理解する方が、適切だと考えられるのです。

 

 

8-(2) 内山層堆積盆は、中央部西端に高まりがあった。

 

 内山川水系(北部域)や雨川水系(中部域)の調査から明らかになった内山層の層序と比べ、谷川の地質は、次のような特徴があります。

 

① 基底礫岩層の分級が極めて悪く、巨礫の形や堆積状況から重力方向が推定できないほど、 乱雑である。
 

② 内山下部層のコングロ・ダイク集中層準が下位層準に1露頭と少ない。また、上位層準は  ほとんど砂相で、泥相がない。

 ③ 基底礫岩層に、石英閃緑岩が貫入している。内山層は、ほとんど熱変成されている。

 

 ③については、北部域や雨川水系の右岸で見られるヒン岩の貫入に対して、さらに大規模な石英閃緑岩体の貫入があり、この熱源により、谷川の内山層が熱変成されていると思われます。問題は、①や②の内容です。
 基底礫岩層が谷川に認められることで、内山層堆積盆の西側への広がりの限界がわかりました。礫種は他の地域と共通していますが、岩相から、供給源に近く、より浅海性の堆積環境であったことが予想されます。また、中部内山層のコングロ・ダイクが集中する上位層準は、泥相ではなく、砂相となっています。コングロ・ダイクは西側から供給されたと考えられるので、堆積盆の西端に当たる谷川で、上位層準に相当する部分が砂相ということは、既に本格的な浅海性環境(上部層最下部の砂礫岩層)に向かって動き出していたと考えられます。この時、コングロ・ダイクが1露頭と少ないことから、コングロ・ダイクを運んだ混濁流堆積物で埋められたとは考えられません。

 つまり、北部域・南部域よりも、元々浅い堆積環境にあり、堆積盆が拡大した時期も、浅海であったと推理できます。

 そうなると、谷川付近は、内山層堆積盆の中央部・西端にあたるので、中央部に高まりがあり、北側と南側に、2列の堆積盆が存在した可能性があります。【下図】

内山層の2列堆積盆(想像図)

 次のように推理しました。

(ア)内山下部層の下位層の堆積した時代
  北部域~南部域に連なる、ひとつの大きな堆積盆があった。内山層プロパーは、白亜系や先白亜系の基盤岩地域から供給されたと考えられる。現在の方向で、南と北から堆積物が供給されている。
 一方、中部域・谷川付近は、極めて分級の悪い基底礫岩層の特徴から、西側から堆積物が供
給されている。

 

(イ)内山下部層コングロ・ダイクの堆積した時代
  拡大した堆積盆に西側から、コングロ・ダイクが供給された。中部域・谷川付近に、わずかしかコングロ・ダイクがないことを考えると、供給ルートは北と南に偏っていたことが予想される。

 

(ウ)内山層上部層の堆積した時代
  内山層の堆積盆全体は縮小し、一部は極端な浅海となった。北部域の東側(例えば神封沢)では陸化(不整合)の証拠もある。この後、堆積盆全体は、元の海水域と同じ程度まで戻るが、海は深まらず、浅海性の環境を保ったまま、凝灰質の要素を強めていく。
 駒込層の分布が、内山層の北側に偏ることから、その影響はわからない。

 

内山層の堆積の様子(想像図)

 

【編集後記】

 令和4年3月6日(日)・佐久穂町の茂来館(公民館)に、松川正樹先生(東京学芸大学名誉教授)が来られ、『アンモナイトによる山中白亜系の最新研究』と題する講演をお聞きしました。

 佐久穂町地学同好会(佐々木泰久会長)の皆さんが、佐久穂町公民館の後援を得て、松川先生をお呼びしたものです。私たちも、山中地域白亜系の調査では、長年にわたりご指導いただいた先生にお会いしたくて会場に駆けつけました。

 先生は、東京学芸大学を退官された後、以前にも増して精力的に「日本各地の白亜系アンモナイトを研究され、アンモナイトによる国際的な時代区分への対比」に取り組まれているとのことでした。研究では、数ヶ月単位で海外研究もされ、多忙ですが、退官後の自由になる時間が充実できて嬉しいとのことでする。

 さて、専門的な内容については、私には概要はかろうじて理解できましたが、細かいことは難し過ぎました。佐久地域に関しては、『石堂層からは、当時のテーチス海・北極海・太平洋の3区域の化石が産出するという珍しい場所(これから古地理の推定も可)で、しかも、バレミアンとアプチアンの境(113.0Ma)を確認できる露頭が見つかった』という話は、特に印象的でした。 

 ところで、先生の佐久訪問を受けて、平田圭佑さんを思い出しました。

平田さんが大学院生の頃、松川正樹先生の門下生として、北相木層を中心に新第三紀の化石研究をされました。彼が歩いた北相木の尾根で発見した化石を案内してくれるというので、渡辺正喜氏と共に踏査しました。(目的は果たせなかったが、ウニ化石発見のエピソードは、既に他のシリーズに掲載)

 その平田さんの論文から、内山層の堆積盆に関連した話題を紹介します。

内山層の堆積した時代と、ほぼ同じ頃、形成されたと考えられている地層に、北相木層と下仁田層があります。これらの共通化石種情報や岩相の変化などから、それぞれの堆積物の供給方向がわかりました。【下図参照】

 

古地理や古水流の推定

 また、日本海の拡大メカニズムなどの研究から、内山層が堆積した時代と現代の日本列島の位地関係を比べると、約90°反時計回りに回転していると言われています。それで、堆積当時の位地との関係を下のように示しています。帯状配列の「四万十帯・秩父帯・三波川帯」の関係も、同様に回転しています。

 

 本文でも述べましたが、今日、露頭として見られる近隣の地層分布域は、もしかすると海水域が繋がっていた可能性もあります。どんな風であったのかは、想像するしかないですが、とても夢の多い話です。

 今日は、1日曇りの日でしたが、我が家に造園業者さん(庭師)が来て、松木などの植木の剪定をしてくれていますので、自宅でデスク・ワークでした。今晩から明日の午前中は雨の予報ですが、その後は晴れるので、それらを山の畑の山林に片付けることに忙しくなりそうです。(おとんとろ)