北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-162

 Ⅹ.コングロ・ダイクの成因

 

9.混濁流説の問題点

 

9-(1) 形が精巧すぎる小規模コングロ・ダイク

 佐久教育会・夏季研修講座(平成19年7月28日)で、武道沢〔C〕露頭付近を案内していた時、小規模コングロ・ダイクを発見しました。長さは1.5mですが、幅4cm(上流側)~8cm(下流側)と、極めて小規模です。N20°W・垂直の走向・傾斜で、上流から1/3の位置に、礫層が2cmほど切れて、周囲の泥岩がつながっている部分がありました。
 ダイヤモンド・カッターで切れれば、内部の真相はわかることですが、それは、かないません。原因として、①小規模なので、泥が表面に付いているだけ、②泥に重力貫入した時、一部が割れ、間を泥が埋めた(NHa説)、③泥岩の割れ目に礫が、ジェット水流で貫入した(NHt中沢説)が、提案されました。地学委員のNHtさんは、私の重力貫入説に懐疑的です。

 ただ、次の反論ができ、疑問が生まれます。何度も話題に上がりますが、内山層の中に供給できる礫自体がありません。これが決定的な反論理由です。供給できる礫がありさえすれば、NHt説も可能となります。

 また、周囲の泥岩にきれいな層理面があって、その隙間に調和的に(sill・シルのように)貫入したのであれば、直線的な形態を説明できますが、貫入は非調和的な岩脈(dyke・ダイク)のようです。

 ところが、小規模コングロ・ダイクが、大きなものが割れた一部と考えると、『どうして、こんなにも精巧に、直線的に割れるのか?』という疑問が生まれてきます。何しろ、黒色泥岩への深さは不明ですが、厚さが4~8cmで、長さ1.5mの精巧な棒状(板状)な形状になります。剥離性のある頁岩や、板状節理の溶岩でさえ、これほどきれいには割れません。今まで小規模なものは、大きなものの破片と考えていました。確かに、それも存在するはずです。しかし、これだけ小規模であっても、精巧なコングロ・ダイクを見ると、単純に割れただけでは、明らかに説明がつきません。

 

 また、同じコングロ・ダイクではありませんが、二次堆積を示す証拠も認められました。コングロ・ダイクを構成する砂岩礫の中に、黒色泥岩礫が、貫入している部分がありました。このことは、「堆積し固結する時、砂より泥の方が、既に固結が進んでいて、砂の間に黒色頁岩片が突き刺さった」ことを意味しています。寧ろ、重力貫入説を裏付けます。

 「ひじき構造」で指摘したように、コングロ・ダイクを構成する粒子群の中には、既に一次堆積し固結が進んでいた状態で破壊され、二次、場合によっては、三次堆積したことが、わかっています。

 内山層プロパーに重力貫入する前の、コングロ・ダイクの礫層が作られた時と場所では、①供給場所から礫の状態のまま運ばれた礫、②少し固結が進んでいた状態で破壊された砂岩片や泥岩片、③未凝固ではないにしろ、可塑性を残した砂や泥、④マトリックスとなる砂や泥などが、同居していたことを伺わせます。コングロ・ダイクの礫の供給源は、一次堆積した内山層プロパーのものとは、異なっていると思われます。・・・・という仮定をしていますが、かなり特別な条件になり、不自然さも感じています。

 

 

9-(2) 海底に尖塔となっていたコングロ・ダイク

 次の写真とスケッチは、雨川水系の林道「東山線」、東武道沢右岸のコングロ・ダイクを含む地層で、正断層と逆断層が見られる露頭です。見ている方向は、北西です。
 中央のコングロ・ダイクの礫岩層は、これまでの観察中、最大の層厚を示し、110cmありました。周囲は、砂優勢な砂泥互層で、走向・傾斜は、左側(南)で、N70°E・10°N、右側(北)で、N80°E・5°Nと、ほぼ東西に近い走向で、緩やかに北に傾いています。

 これに対して、コングロ・ダイクの走向・傾斜は、N80°W・80°Nなので、周囲の砂泥互層と斜交しながら、ほぼ垂直に貫入しています。貫入の深さは、見えている部分で、5mほどです。露頭全体は、高さが10mほどの切り通しです。礫種は、砂岩と黒色頁岩片が主で、チャート礫は含まれていません。最大な礫は、直径が20~25cmにもなる巨礫でしたが、堆積時の重力方向は特定できませんでした。
 上部の茶褐色に風化した砂岩層に着目すると、左下から右上に筋状に延びている正断層があり、左側が2mほど落ちています。その後で、この構造を右下から左上にかけて、逆断層が乗り上げるように切っています。移動は、すこし色の変わった砂岩層からみると、2.5m以上です。(説明図を参照)     

 

林道東山線の露頭

露頭の説明図

 

                               *   *

 

 もうひとつ、重要な情報があります。私たちは、コングロ・ダイクの成因は、混濁流によって運ばれた礫岩層・砂・泥が、海水中で分級され、未凝固の泥堆積物層にコングロ・ダイクの礫岩層が重力貫入し、続いて、砂・泥の順に堆積したと考えました。
 だから、露頭スケッチのコングロ・ダイクを覆う砂岩層や砂優勢泥岩層は、この考えで十分説明できます。ところが、上部の茶褐色に風化した(破壊された形跡のない)砂岩層が含まれていることで、事情は違ってきます。この砂岩層は、火山性起源の物質や火山砂が風化したものです。同じ砂粒子でも、同一の混濁流の中で都合よく火山砂だけが分かれて堆積したとは、考えられません。                

 そこで、茶褐色の砂岩層が堆積するまでの間、コングロ・ダイク貫入に関わった同一周期の堆積サイクルは、終わっているはずです。その境界は、コングロ・ダイクの分布する途中なので、コングロ・ダイクの礫岩層は、しばらくの間、海底から尖塔のように頭を出していた可能性があります。
 その影響は、次に堆積してくる地層構造に残っているはずだと思いますが、この露頭ではわかりません。

 

 

最大幅の露頭を正面から写したもの

 ちなみに、以前の機会にも紹介しましたが、この最大幅110cm×高さ5mほどの林道・東山線の露頭は、下の写真のようにコンクリート壁で覆われてしまっています。

話題の露頭はコンクリート壁で覆われてしまっている

 

 【編集後記】

 佐久地域に分布する新第三系「内山層」についての地質調査の様子と、資料を載せてきましたが、今回で、やや尻切れトンボのようですが、「コングロ・ダイクの成因は仮説を立ててみたが、疑問が残されたままです」という状態で幕を閉じます。

 「山中地域白亜系」での地質調査の様子や資料も、今回のシリーズの前に載せましたが、統一した「連番」を付けなかったので、わかり難いと考え、内山層では、100番をスタートの「はじめに」としました。以下、101番から今回の162番まで続きました。

 実は、124番前後の「根津古沢の調査から」は、未完成のままにしてあります。

資料としては小坂共栄先生(信州大学)らのルート・マップや仲間の資料もあるのですが、写真を撮りに一度、沢に入っただけで、私自身が調査をしてありません。それで、いつかと思いながら、「まとめ」の原稿作りは果たせませんでした。

 尚、このシリーズには、文献資料をまとめた「ⅩⅠ.地球の歴史」が付随しています。ただし、2020年(令和2年)6月頃からに、既に「はてなブログ」に載せましたので、割愛致します。

 

  ~予告~ 

 次回(地質調査物語-163回)に、全体の「もくじ」を掲載します。そして、その次に、「おわりに」(164回)を載せて、内山層を終わりにします。その後は、調査地域が少し北側に移り、駒込層から八重久保層・香坂層(香坂礫岩層)などのシリーズを載せていこうと予定しています。(おとんとろ)

 ただし、俳句も同じ「はてなブログ」に載せていますので、途中に登場しますが、宜しくお願いします。