北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久地質調査物語-140

 《中部域の沢》

 

5. 熊倉川 (象ヶ滝付近) の調査から

 平成17年7月9日、午前7時に青沼小学校に集合。いつもは8時半集合なので、少々遅刻をした人もいて、打ち合わせをしていたら、結局、7時50分の出発になってしまいました。車で大上峠を越えて、熊倉集落には9時半に着きました

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熊倉川・象ヶ滝付近のルート・マップ

 熊倉集落にはバス停があり、下仁田行きのバス便がありました。道路のコンクリート防護壁の無い所で見ると、黒色泥岩と砂岩の互層が、千枚岩(phyllite)化していました。所々に蛇紋岩(serpentine)が染みこんでいました。(【図-①】)熊倉川の川底にも、同じような連続露頭が見えました。
 千枚岩(phyllite)は、一般に泥質起源で、粘板岩(slate)から結晶片岩(crystalline schist)への中間変成度のものです。熱変成に加え動力変成の影響も受けたものです。ここだけの観察ですが、山中地域白亜系の調査で、鍵掛沢で観察した先白亜系(御座山層群)の産状と良く似ていると思いました。

 北からの沢の合流点、標高600m(【図-②】)では、黄土色砂岩と白色砂岩の互層で、走向・傾斜はN60°W・50°SWでした。

  北からの沢の合流点、尾根が南から張り出す川の湾曲部、標高650m(【図-③】)では、いくぶん砂が多くなり、千枚岩(phyllite)でした。橋の手前(【図-④】)では、砂質の千枚岩で、N40°W・40~50°SWの走向・傾斜でした。

 橋を渡ると、林道の遙か下を流れていた沢の標高が、林道へと近づいてきたので、沢に降りました。河床は千枚岩(phyllite)でできた美しい滑滝が続いていました。

 南西から小さな沢が入り、沢沿いに「自然公園」へ繋がる歩道があります。沢の先に、堰堤(【図-⑥】)がありました。

 標高700m付近(【図-⑦】)から、象ヶ滝を撮影しました。【写真】滝まで70~80mですが、落下する水の震動が伝わってくるようです。全貌がようやく捕らえられるほどの落差(推定20m)がありました。

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象ヶ滝 【図-⑦】から撮影

 

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象ヶ滝 【図-⑨】左岸側から

 滝の右岸側の川原露頭(【図-⑧】)では、緑色岩で、NS・40°Eの走向・傾斜でした。
 滝の左岸側露頭(【図-⑨】)では、やはり緑色岩で、N60°E・80°NWでした。
 滝自体には触れられませんでしたが、滝の下は、礫岩層でした。礫種は、白色~黒色チャート、結晶質砂岩、堅い粗粒砂岩で、全体は円礫、7cm×8cmが、最大径でした。
 地形から見ても、北からの尾根と西からの尾根が交わる場所で、熊倉川が狭められ、ちょうど風化浸食に強い礫岩層が造瀑層となって、象ヶ滝を形成しているようです。

 問題は、象ヶ滝は、【写真】からもわかるように、両岸のどちらからも高巻くことができません。この滝の上に出ることだけを目的にすれば、かなり急ですが、木々の生えている尾根を登攀する方法があります。
 しかし、私たちの目的は、もう少し広範囲に地質を概観することでしたので、堰堤の下まで戻り、歩道を利用して滝の上流に出ることにしました。

 自然公園へと繋がる歩道の途中、標高700m付近(【図-⑪】)では、結晶質黒色砂岩層が見られ、走向・傾斜は、N60°E・30°SWでした。
 歩道は、小さな沢を離れ、杉林のつづら折りの山道に変わっていきます。ちょうど道の分岐点(【図-⑫】)に、観世音像がありました。

 雑木林の中が歩けそうなので、標高900m付近から道を外れ、沢に降りようとしましたが急過ぎて危険でした。それで、コンタ沿いに進みながら、熊倉沢に降りられる場所を探しました。

 1本目の沢の標高920m付近(【図-⑬】)では、暗灰色中粒砂岩層(N10~20°W・15~18°NE)が見られました。走向・傾斜に幅があるのは、かなり崩れているからです。この沢からの下降も無理でした。

 2本目の沢の標高930m付近(【図-⑭】)では、熱変質した灰白色細粒砂岩層が見られました。N30~40°W・10°NEでした。先ほどの中粒砂岩層も含め、岩相から内山層だと思いました。貴重なデータです。ここからの下降も無理と判断しました。

 3番目の沢の少し手前、標高1000m付近、尾根からの傾斜が変わり始める所で、昼食にしました。(【図-⑮】)
 3本目の沢は、かなり急で滑りやすい沢でしたが、降りることにしました。
 沢の標高900~960m付近(【図-⑯】)では、風化色が黄土色になる暗灰色中粒~粗粒砂岩層でした。凝灰質で風化色の特徴から、内山層の上部層だと思いました。

 
 熊倉沢に降り、北からの沢が接近して流入する標高830m付近(【図-⑰】)では、千枚岩化された灰白色細粒砂岩層にリニエーション(lineation・条線のようなもの)が見られました。上流側に向けて少なくなりました。
 そして、標高840m付近(【図-⑱】)では、滝がありました。【写真】では、白い水しぶきでわかり難いですが、三段になっています。上からA(2m)・B(2m)・C(2.5m)・滝の基盤です。
 Aは、白色(主)や黒色チャートを含む礫岩層で、白っぽく見えました。Bは、珪質の灰白色中粒~粗粒砂岩層です。Cは、チャート礫を多く含む珪質の粗粒砂岩層で、全体は少し黄土色がかる灰色です。
 そして、基盤は、【図-⑰】で見られた千枚岩化した砂岩層でした。

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標高840m付近の滝 【図-⑱】

 今日の調査は、ここまでです。
 勝手知ったる佐久の里山と違い、帰路にも不安が残ります。しかし、全体が、先白亜系(ジュラ系)かと思っていた熊倉川の沢底から、少し標高の高い斜面には、露頭の状態は良くないものの、岩相から内山層(上部層か?)と思われる証拠が見つかりました。
 実は、それにも増して嬉しいことに、熊倉川に降りるには、この「象ヶ滝の上流、3番目の沢が使える」ということがわかり、これからの更に上流部調査に向けて明るい展望が見えてきました。

                                  *  *  *

 しかし、正直なところ、帰路はとても辛かったです。
 石ころだらけの急坂を登って沢を詰めてくると、傾斜の変わる所に目印となるように、欅(ケヤキ)の大木(【図-⑲】)がありました。ここから、コンタ沿いに南東に進めば林道に出られそうなので、比較的平坦な草地を抜けて林道に出ることにしました。(【図-⑳】)
それから林道を降り、観世音像の分岐(【図-⑫】)を経て、熊倉集落に戻りました。 
 駐車してあった車に乗って、帰路は県道93号線を経由して、田口峠を越えて、出発点の青沼小学校に戻りました。到着時刻は、午後6時半でした。

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自然公園への遊歩道から見上げる杉林 【図-⑪】の少し上

 とにかく、筋肉痛です。
 普通なら、数日してから症状が出てくる筋肉痛が、その日の内に出たのは久しぶりでした。
 しかし、私はとても満足していました。学生時代から野山を歩き回ることが好きで、特に、地図だけを頼りに未踏の、沢や尾根筋のブッシュ漕ぎをしたり、目印のない雪原をスキー歩行したりすることにスリルを感じ、苦労をしても、やり遂げた時の成就感が喜びと感じられた青春の日々への郷愁があったのかもしれません。

 この日から1ヶ月後の夏休みに、2度目の熊倉沢に入ります。当時、地学委員長だった六川先生から相談を受けた時、象ヶ滝の上流・3番目の沢ルートが使えるので、余地峠を越えることを提案しました。

 

【編集後記】
 佐久の地質調査物語-139「秘境・熊倉川」で紹介したように、長野県佐久市(旧臼田町)と群馬県南牧村(なんもく)の境を流れる熊倉川(くまくら・がわ)は、入口を象ケ滝(ぞうがたき)で封じ込まれ、それから上流部は尾根から川底へ容易に降りられないので、ハイカーはもちろん、釣り人が訪れることもないと思います。

 上流部の森林地帯(国有林)は、林業関係者が入ることはありますが、本流や沢を歩いたのは、非常に限られた人でしょう。その中に、私たち地学委員会の数名が含まれると思いますが、わずかに3回です。内、1回は、偵察を兼ねた熊倉集落までです。

 本格的な訪問は、象ヶ滝付近~第3沢(やや下流部)と、第3沢合流点から上流部の併せて2回だけです。しかし、「もう一度、行ってみたい」と口にすることはあっても、体力的に無理だということは、自身が一番良く知っています。

 ・・・それだけに残念なのは、記録写真のことです。ひとつは、今回の「象ヶ滝」などの写真は、編集時にはあったのですが、保存板に収録してありませんでした。それで、原稿から複製したものを載せました。

 また、次回に多く紹介する予定ですが、上流部の写真は、画像の大きさと画質を落としてしまったので、鮮明さを欠いてしまいました。今のように、十分な容量がある処理ができなかったので、低画質にした保存していたからです。

 繰り返しになりますが、二度と行けない所なので、貴重な記録や画像は、丁寧に扱いたいと、改めて思いました。

 ところで、今年の夏は、お盆を夾む一週間ほどが、時ならぬ「秋霖パート1」となり、その異常気象ぶりに驚きました。その後、残暑は、佐久地方では、盛夏より寧ろ暑く、今季最高気温を記録したほどでした。その間、夏野菜は、次第に勢いを失っていき、8月の下旬には、枝豆や隠元豆、トウモロコシの片付けをしました。

 そして、9月に入ると再び「秋霖パート2」となりそうだとわかり、8月31日には、急遽、キュウリの棚を片付け、ネギや玉葱の種蒔きをしました。

 それで、今日の雨です。

 農作業もできないので、久し振りに「はてなブログ」を挙げることにしました。

 今日の未明からの雨は、かなりな降雨量だったので、蒔いた種が、苗床から流されていないかと心配しています。(おとんとろ)