北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-146

  南部域の沢

3-(3) 大野沢支流・第4沢の調査から

 平成5年8月12日に、大野沢支流第4沢の調査をしました。大上林道から入った沢の入口は、礫岩層です。礫種は、主に白色~灰色チャートで、閃緑岩礫も含まれていました。最大経は、5cmです。(【図-①】)
 入口から80m入った所にも砂礫層があり、ここにも閃緑岩礫(最大経10cm)が含まれていました。
 沢が湾曲する標高1010~1030m付近では、珪質の灰色中粒砂岩層が卓越し、小さな構造谷のような地形になりました。
 標高1020m付近(【図-②】)では、薄い礫岩層を挟み、礫種はチャート礫の他に、結晶質砂岩礫(最大経10cm)が多いという特徴がありました。1030m付近では、珪質砂岩層に黒色泥岩と礫岩(灰色~黒色チャート)が挟まれていました。走向は、N70°W~N40°Eと振れ幅はありますが、傾斜は60~70°の南落ちでした。
  沢の標高1040m付近(【図-③】)には、珪質灰色中粒砂岩を造瀑層とする滝があり、礫岩層(最大経礫15cm)と、わずかに黒色細粒砂岩層を挟んでいました。ここに、構造不明な部分があり、断層角礫ではないかという話題も挙がりました。

 沢の標高1050m付近は、沢が再び、緩く東に振れる部分で、東側と正面から尾根が迫ってきます。なぜか、崖崩れが多く、珪質砂岩の転石に覆われていました。
 標高1055m付近(【図-④】)には、「三段滝」がありました。粗粒砂岩をマトリックスとする礫岩層で、白色チャートの礫が多いので、全体が白っぽく見えます。下から、一段目(落差3.5m)、左斜めに8mの滑滝、二段目(落差2.5m)、滝壺の脇で「EW・30~45°S」、三段目(下に滝壺・落差2m)でした。
 三段滝は、左岸側から登り始め、滑滝を横切り、右岸側から滝の上に出ました。
登攀に気が向いて、途中一カ所で走向・傾斜を測定しただけで、細部の情報は見逃してしまいました。途中には珪質の砂岩層も含んでいました。

 滝の上は、珪質の灰色中粒砂岩となり、標高1065m付近に、二枚貝化石(確認のみ・小林正昇資料・10.June.1990)を含む黒色泥岩層があり、礫岩層、珪質砂岩層となります。(【図-⑤】)やや平坦部が続きます。

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大野沢支流第4沢のルート・マップ

 

 

 「標高1070m付近二股」合流点から下流へ約8mの地点(【図-⑥】)から、内山層基底礫岩層が現れました。ここは腰越沢と共に、内山層分布域・南部地域の基底礫岩層を観察するのに適した場所です。分級(sorting)が悪く、直径30cmを優に越える巨大な礫、寧ろ、礫と言うより岩塊のまま入っています。ただし、全体が、みごとに削られた円礫であるという特徴があります。礫種は、白色~黒色チャート礫が多く、珪質および結晶質砂岩の礫も含まれています。露頭幅は、約10mです。

 二股の上流、標高1080m付近から、黒色頁岩層が、露頭幅30mに渡って続きました。礫相から泥相へと堆積相が急変するのは、内山層最下部の特徴のひとつです。傾斜も北落ちに変わりました。
 そのすぐ上流には、泥優勢な灰色中粒砂岩と黒色頁岩の互層部があり、走向・傾斜は、N40°W・48°NEでした。標高1085~1095m付近(【図-⑦】)は、黒色頁岩層が続き、二枚貝化石を多産する層準がありました。
 沢の標高1100m付近で、黒色頁岩層の中に、帯青灰色・凝灰質泥岩層(凝灰岩層として良いか、層厚60cm)が、2層準、挟まれていました。
 標高1105mの二股付近では、灰色細粒砂岩が優勢な、黒色頁岩との互層が見られ、砂質傾向が強まります。二股の上流では、凝灰質泥岩層(層厚8m)が、黒色細粒砂岩層に挟まれていました。層理面が不明瞭で、走向・傾斜の測定は難しいですが、南落ちに傾斜が変わっているようにも見えました。

  標高1110m~1140mでは、砂質な黒色頁岩と灰色細粒砂岩の互層が続き、標高1130m付近(【図-⑧】)で、N30°W・20°SWと、明らかな南落ちを確認しました。また、二股手前8m地点では、N70°E・20°Sでした。
 ・・後述する「第3沢の調査」から、この傾斜が南落ちに変わる辺りに「都沢断層」が通過していることがわかりました。

 沢の標高1140mで、二股となります。右岸側からは流紋岩の転石がありますが、左岸側からはありません。本流には、落差2mの滝があり、青緑色を帯びた灰色凝灰質砂岩ないしは凝灰岩で構成されていました。ほぼ東西方向の走向で、南落ちと判断しました。本流を遡航する前に左股沢を調査し、沢の標高1170m付近(【図-⑨】)までは、凝灰岩層が分布していることを確かめました。
 この後、引き返して本流の調査に戻りました。
 標高1150m二股付近は、凝灰岩と黒色細粒砂岩の互層で、N60°W・60°Sでした。
 沢の標高1160m付近では、露頭幅15mの礫岩層がありました。分級が良く、最大径でも5mmと粒度が揃い、灰色~黒色チャート礫でした。
 標高1170m付近で、珪質の灰色細粒砂岩層、標高1180m付近で、礫岩層、標高1190mで、凝灰岩層を確認しました。
 沢の標高1200m付近の二股(【図-⑩】)で、二枚貝化石を含む黒色頁岩層が見られました。その上流5mで沢水は伏流してしまい、さらに上流で、再び水流を確認しましたが、ほとんど露頭が望めないと判断し、標高1220m付近で、調査を終えました。

 【編集後記】

 令和3年10月26日、冬型の気圧配置で、佐久平は晴れていたが、季節風が強く、長野県北信地方からの雪雲が流されてきて、浅間山にうっすらと初冠雪があった。

 佐久平から遠く眺められる飛騨山脈北アルプス)は、ずっと前に初冠雪があるはずだが、山の端は雲に覆われていた。

 夕日が浅間山を照らし出して、山の周囲を羽衣(はごろも)のような層雲が懸かり、絶好なシャッター・チャンスだと、急いで家に帰り、カメラを携えて、最初の目撃場所に戻ったが、時既に遅し! 雲で覆われてしまった。

 一時期、浅間山(釜山)の噴火が話題になった時、カメラを常に携えて散歩したことがあったが、それくらい、絶えず気にしながらシャッター・チャンスを伺っていないとだめなようだ。 ・・・ちなみに、下の写真は、平成25年の11月初めの写真です。

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佐久市駒場・長野牧場から浅間の初冠雪を臨む

 ところで、秋の地質調査は、気温も適当で有り難いのと、ブッシュが減って見通しが良くなる。そんな折り、雑木林の尾根筋を歩いていたら、少し下に【写真】のような、ササが踏みつけられたような跡があり、動物、大きさからニホンジカぐらいの寝床と思われる痕跡を発見した。写真を写している方向は、北東側からである。

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 下の【写真】は、南側からで、尾根の高くなる方向に撮したものである。

 確証はないが、南北に長いので、この方向に横たわるか、俯せしたかしたのだろう。

急な傾斜ではないが、北側が高いので、もし、人に例えれば、「北枕」にして寝ていたことになる。まさか、頭を低い方に向けたとは思われないので、そう推理してみた。          

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鹿の寝床(南側から撮影)・香坂川の上流部

 10月26日に、我が家の水田を委託栽培してもらっている方が、新米を届けてくれた。もう、そんな時期になったんだなあと思いました。(おとんとろ)