北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語・第205回

 

  第2章 佐久地方の新第三系

 

 平成20年度以降、私たちの地質調査は、内山層から、主に駒込層および新しい時代の地層(八重久保層・香坂層・兜岩層ほか)へと対象が移りました。調査した内容の具体は、これから順に述べていきたいと思いますが、先だって「日本海の成立(第1章)」で話題にしたように、新第三紀以降、日本列島が日本海を拡大しつつ、大陸との相対的位置を変えてきたことを意識して、佐久地方の地質概要を眺めてみたいと思います。


1.日本海拡大前の「山中地域白亜系・佐久地域」

 

 日本海の拡大前(白亜紀後期~古第三紀~新第三紀暁新世)には、後の日本列島はユーラシア大陸の東縁にあり、中央構造線や、その他の構造線は、【図-下】のように南北方向に延びていたと推定されています。
 山中地域白亜系は、黒瀬川構造帯の一部に属していて、中央構造線の東側(太平洋側)にできた、横ずれ断層などによる凹地が堆積盆となって、白亜紀前期(高知世~有田世~宮古世)に形成されたと考えられています。
 基盤岩となるジュラ紀の付加体(御座山層群・白井層の後背地=新三郎沢層)の上に、白亜系の白井層、石堂層、瀬林層(一部で上部層を欠く)、三山層(佐久地域では上部層を欠く)が重なっています。

日本海拡大前の地体構造(再掲・大藤 茂 教授の原図)

 【図-下】は、基盤岩と白亜系の境となる蛇紋岩帯断層と、褶曲構造が形成される前の姿がわかるように復元したものです。山中地域白亜系は形成された後、日本列島が移動する過程で、90°近く右回転してしまったので、元の方向に戻るように、90°反時計回りに回転させました。現在の方位では、図の上が東側、山中地域白亜系分布の群馬県側となり、図の右が南側、ジュラ紀付加体(御座山層群)が分布する地域です。
 山中地域白亜系の堆積盆は、当時の方向で、北側(図の上)と西側(図の左)に広がり、湾状に海が浸入していたと推定できます。一方、佐久側の調査から、堆積物の供給方向は、東側(図の右)および南側(図の下)からだとわかりました。
 最上位の三山層の堆積時期は「宮古世」に当たり、凡世界的な海進(宮古海進)時期に相当します。しかし、佐久地方では、石堂層の分布域を超えることはなく、かつ三山層上部層を欠いています。佐久地域は、全域の中の南端に位置し、堆積盆が早めに陸化に向かっていた結果かもしれません。
 その後、全域は陸化して削剥期間があり、この間に、褶曲構造を形成するような圧縮を受け、地層は変形と共に、断層による変位・移動もありました。
 白亜系の褶曲構造の特徴から、当時の方向で、東側(図の右)からの地塊が、潜り込むような力に対して、西側(図の左)からのやや上向きないし、覆い被さるような応力が働いていたのではないかと推定できます。

 

佐久地方の白亜系(復元図)


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 つまり、現在分布している方向でみると、【図】のように、褶曲(背斜・向斜)面が著しく南側に傾いた非対象な構造になっています。

 

 これらの構造が形成された時期は、7000万年前(白亜紀後期):北上していたイザナギ・プレートの移動する方向が北西方向に変わり、四万十帯の付加体が、海溝で形成されるようになった。中央構造線が形成された時期以降になるのか、または、その後のことかもしれません。3000万年前(漸新世前期):大陸から離れ始める。2500万年前(漸新世後期):イザナギプレートが消滅し、太平洋プレートとフィリピン海プレートができてきた。これに伴い、伊豆・小笠原弧(海底火山列)ができた。日本列島の西南日本東北日本は、一列に並び、北海道はまだ合体していない。大陸の内部に細長い湖ができていた時期まで、かかって形成されたはずです。
 いずれにしろ、当時の方向で、ほぼ東西方向(復元図の左右)からの応力による、地層の褶曲・断層が形造られたのではないかと想像します。尚、一部の断層は、内山層の堆積後にも活動していたと考えられる証拠があります。

 

2.日本海のでき始めの頃と「内山層」

 

 1700万年前(新第三紀中新世前期):ユーラシア大陸の東縁で「地溝」ができ、日本海ができ始めました。地下のプレートの動きによって、断層群による大地の割れ目が大地を引き裂きました。その後、極めて短い間に、日本海は拡大が進みました。
 1500万~1450万年前(中新世中期):日本列島は西南日本東北日本の間で、移動しながら折れ曲がるようになります。西南日本は、時計回り(右回り)に、東北日本は、反時計回り(左回り)に、回転したことが、地磁気などの証拠から明らかにされています。
そしてこの後、日本海の拡大は、一応収まります。オホーツク海も拡大して、千島弧ができました。また、伊豆・小笠原の海山列が移動して衝突が始まりました。
 
 800万年前(中新世後期):伊豆・小笠原海山列の衝突が続き、千島弧の前部が北海道に衝突しました。中新世中期(1200万年前頃に最盛期となる)の「グリーン・タフ変動帯」の緑色凝灰岩層(まだ海底)の上で、カルデラ活動が盛んに起こっていました。

 さて、佐久地方では、山中地域白亜系の中央構造線寄り(現在の方向で北側)には、海成層の「内山層」が分布しています。さらに、より北側には新しい時代の地層(八重久保層・香坂層など)が重なります。
 この「内山層」の形成された時代は、1900万~1600万年前(中新世前期)と言われています。形成時期に注目すると、内山層は日本海ができ始める少し前に堆積が始まり、堆積中は、日本列島全体と共に移動しつつあったことになります。
 そして、内山層の堆積に引き続き、ほぼ整合的に漸移して堆積した「駒込層」の時代には、西南日本東北日本とに分かれて大きく回転するように動いていく日本列島(西南日本に属する)の上で、大陸との相対的位置を大きく変えていったと考えられます。

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 ちなみに、日本列島全体(特に、東北日本日本海側)では、緑色凝灰岩層の堆積した最盛期(グリーン・タフ活動)は、1200万年前頃と言われています。しかし、佐久地方での緑色凝灰岩層は、駒込層で特徴的に見られます。(佐久地方に隣接する上小地域では、同等層準として内村(うちむら)層が知られています。)
 上位の「八重久保層(上部層)」の溶岩の地質年代情報(12.2Ma~12.4Ma)があるので、日本列島全域でのグリーン・タフ活動時期の中で、いくぶん早い時期に、海底火山活動に伴う緑色凝灰岩層の堆積が始まっていたのかもしれません。

 内山層の堆積盆は、現在分布する方向で見ると、南と北からと西側から堆積物が供給され、東側の群馬県側に開かれた海があり、内山層と対比される下仁田層などの堆積盆とも繋がっていた時期もあると考えています。

内山層の堆積物運搬の2系列(仮説)

 【上図】は、現在の方向(上が北方向)なので、白亜系の図版で行なったように、反時計回りに90°回転させると、当時の方向になります。すなわち、当時の方向では、北(右)・東(下)・南(左)・西(上)となります。
 山中地域白亜系と同様に、日本列島が移動する前に堆積した内山層だとすれば、当時の方向で、北側に海が広がり、南側を中心とした西・南・東の3方向から堆積物が供給されたと推定できます。
 私たちの観察から、特に、当時の南側からの堆積物に粗粒物質が多いという情報(例えば谷川)から、中央部に浅瀬があり、コングロ・ダイクの混濁流は、その両側2系列からもたらされたと思われます。当時の北に向かって広がっていた海の大きな入江の陸側になります。

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【閑話】 コングロ・ダイクの礫は、どこから供給されたのか?

 内山層下部層で、「小規模な棒状のものから、最大で厚さ1.2m・幅5m・長さ15mほどの直方体か層状だと推定できる礫岩層」が、正常に堆積した黒色泥岩層の中に、不調和に貫入している産状が、頻繁に見られます。礫岩(コングロメレイト)が、岩脈(ダイク)のように見えるので、コングロ・ダイクとフィ-ルドネームで呼ぶことにしました。私たちは長年、調べてきましたが、その原因が解明できていません。
(詳しくは、「続・佐久の地質調査物語」の中の項目を参照してください。)
 ここで、話題にしたいのは、異常堆積構造としての特徴より、コングロ・ダイクの礫種構成の特徴が、佐久地域のどこでも見られる礫岩層と違っていることです。
 それに対して、堆積層の形成される常識に従って見ないで、『日本海を移動してくる前の大陸の中か、日本海に沈んだ地域からのものとするくらいの奇抜な発想をしてみたら?』という助言をしてくれた友がいます。

 

 次の頁に、「山中地域白亜系を中心とした佐久地方の地質」(佐久の地質調査物語から)を載せました。下部白亜系の層序や、内山層の関係、断層や褶曲構造の形成時期などについて参照してください。
 また、その次の頁に、佐久地方の新第三紀~第四紀の主な地層の層序と、佐久を代表する3火山(荒船山八ヶ岳浅間山)の話題を記入した「地質学的歴史年表(Geological Time Table)」を載せました。絶対年代については、比較的、流布している数値を選んだつもりですが、文献や研究者によって、異なる場合もあるようです。

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佐久地方の新第三系(修正版)

 

 

  編集後記

 佐久の地質調査物語では、「山中地域白亜系」の後、「内山層」を扱いました。

 この段階では、「日本海の成立」という考えがイメージがありませんでしたが、もう少し新しい時代を扱うようになり、内山層の堆積する時代は、日本海が形成されつつ、後背地も一緒に動いていることを強く意識しました。

 これって、地球の自転レベルでは、公転のことを意識しないで、また、銀河系の中での回転の中に太陽系全体が回転していることを知らないという感じです。しかし、地球の大地は、どんなレベルから見ても動いていたのです。

 慣性系の中で生活していると、私の場合、類似したサブ・ルーチンの退屈さから、時には、別なものを求めるのかもしれません。今日は、天気が良いのに散歩をしないで、だらだらしていたことを後悔しています。明日は、すっきりとして過ごしたいと思っています。  (おとんとろ)