北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-101

         《 内山層について 》

 内山層(うちやまそう)は、新第三紀・中新世の海成層です。
 北は、佐久市の内山川の上流部から、佐久市田口の雨川(あまかわ)流域、佐久市入沢の谷川(やがわ)上流域を経て、南は、南佐久郡佐久穂町大日向の抜井川(ぬくいがわ)にかけて分布しています。南北方向に約9km、東西方向に約5kmの幅で広がっています。
 いくつかの褶曲構造があり、繰り返して分布しています。また、海進~海退に至る堆積輪廻(りんね)が2回あったことが認められ、堆積盆の変動があったらしいことも示唆されます。南側には「山中地域白亜系」が、そして北側には「大月層(初谷層)」があり、一部、断層で接することもありますが、基本的には、それらの地層を不整合関係で覆っています。(【下の図・内山層の分布(概要)】を参照)

 内山層の分布域を説明する場合、大きく3つに分けて扱います。

(ⅰ)北部域:内山川本流とその左岸側・右岸側の支流、

(ⅱ)中部域:雨川水系と谷川・余地川

(ⅲ)南部域:灰立沢・矢沢・抜井川の北側支流です。

 さらに、(ⅳ)熊倉川(くまくらがわ)上流部と余地峠付近、馬坂川の支流等は、中部域に属しますが、項目を別に挙げて説明します。

     

        *  *  *  *

 

 地質絶対年代では、内山層は、今から約1900万~1600万年前に堆積したと推定されています。新第三紀・中新世前期に当たります。
 中新世中期(今から1200万年前を中心に、前後数百万年間)は、日本列島規模で、海底火山活動(いわゆる、グリーン・タフ変動)があった時代なので、内山層の堆積した時代は、その少し前の頃になります。

 ところで、これらの地層の佐久地方から関東平野に至る分布は、日本列島規模の地質構造を考える上で、大きな意義があります。
 それは、今日の研究で、中央構造線(Median Tectonic Line)が、佐久地方を通り、関東地方へ抜けていると考えられているからです。
 日本列島を二分する大きな断層である中央構造線は、九州地方から四国・紀伊半島赤石山脈を経て、長野県の伊那谷・諏訪盆地までは、かなりはっきりと追跡できますが、糸魚川-静岡構造線(フォッサ・マグナ西縁)で途切れてしまい、佐久地方では、わかり難くなっています。

 しかし、諏訪湖付近が分岐点となって大きく東に折れ曲がり、関東地方へとつながっていると推定されています。つまり、佐久地方の地下には、中央構造線延長の証拠が残されている可能性があり、その謎を解く鍵があるかもしれないのです。

 この時、佐久地方の千曲川以西は、第四紀八ヶ岳火山群の噴出物などで広く覆われてしまい、手がかりは極めて少ない状況です。千曲川以東は、ジュラ系・白亜系から新第三系などが広く分布しています。内山層の分布域と、その周辺地域は、まさに地質構造を研究する上で大きな意義をもち、手がかり発見の可能性を秘めた場所なのです。

 

 

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内山層の分布(概要)


  

 第Ⅰ章 研究課題の発見

 平成9~11年度の3年間、私は、「長野県望月少年自然の家」勤務の為、佐久教育会地学委員会を離れていました。ここでは、それまでの白亜系調査をまとめる機会が得られましたが、実地のフィールド調査については、ブランク期間となりました。
 この間、地学委員会の調査対象は、山中地域白亜系から新第三系(内山層など)に移りました。(本格的には平成10年度から)
 調査は、六川源一委員長を中心に、内山川水系の東側から始め、館ケ沢(たてがさわ)や、内山層の模式地とされる大沼沢・柳沢などの調査が行われていました。また、当委員会のご指導を天野和孝先生(上越教育大学教授)にお願いするようになっていました。
 私は、平成12年度(2000年)から、再び委員会の調査に加わりました。武道沢の最上流部の調査(6/10)を皮切りに、夏休みは釜の沢下流部に入りました。帰宅後、調査資料をまとめていた時、次のような疑問が湧いてきました。(平成12年8/5)

 

○黒色泥岩層の層理面を切るようにして、その大きさや形は様々ですが、「礫岩層」が 貫入している「異常堆積構造」が認められます。その産状から「コングロ・ダイク」 とフィールドネームで呼ぶことにしました。「コングロ」は、conglomerate(礫岩) から、「ダイク」は、dyke(dike)(岩脈)からの地学用語をもじって繋げ、命名した ものです。もちろん、正式な用語ではありません。

 ①コングロ・ダイクを構成する礫の出所は、一体どこからなのか?

 ②そもそもコングロ・ダイクの成因は、どうなっているのだろうか?

 どうしても私は、この疑問を解決したくなってきて、その次の週末、単独で釜の沢左股沢(8/11)と、釜の沢上流部(8/12)へ入りました。

 


         【内山川水系の主な沢】

 地図がないと位置関係がわからないと思いますので、内山川水系の主な沢を示します。
ちなみに、内山川は、千曲川の支流「滑津川(なめずがわ)」の上流部になる川です。
滑津川には、北側から香坂川・志賀川・内山川・田子川などが流入しています。)

 

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内山川水系の主な沢

 

【編集後記】

 既に原稿ができている内容について報告している訳ですが、「はてなブログ」の場合、文章と画像を別々に入力することになります。今日の場合、【内山層の分布】は、すぐに見つかったのですが、【内山川水系の沢】の図版が、なかなか見つからなくて苦労しました。

 ・・・でも、「はてなブログ」に載せるに当たり、うまく整理してなかった資料がわかり、改めて系統的に分類・整理したファイル管理が進行しています。

 とても有り難いです。ただし、内山層の掲載が始まったばかりで、この状況ですので、この先が危ぶまれます。

 まずは、3年間のブランクの後、地学質委員会に復帰し、自分なりの課題を発見したことを載せました。(おとんとろ)