北海道での青春

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佐久の地質調査物語-102

1. 釜の沢の調査から

 まずは、周辺域を見てみようと、釜の沢の上流部と左股沢に入ってみました。

 山中地域白亜系の山深い沢と違い、国道脇に駐車して沢を調査した後は、林道を使って下山できるので精査でなければ、一日で調べられます。(図を参照)

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釜の沢のルートマップ

 内山川本流を見てから、釜の沢に入りました。本流右岸には、黄鉄鉱(pyrite)を含み珪質で灰色の中粒砂岩層が、釜の沢の左岸には黒色泥岩層(*-注)があり、わずかながら二枚貝が認められました。(【図-①】)
 (*-注)黒色泥岩は、厳密な粒度分類に従うと、砂質泥岩ないし極細粒~細粒砂岩になるかもしれません。しかし、当地域では代表的な岩相であり、また砂相と泥相を対比させた方が岩相変化がわかるという意味で、「黒色泥岩」と統一しておこうと思います。
 ただし、剥離性があるものについては「黒色頁岩」、さらに、それらが熱変成されたものを、「粘板岩(slate)」と呼ぶのは言うまでもありません。

 

 釜の沢は、国道254号線の下をトンネルで流れています。トンネルのすぐ上流は、黒色泥岩層にコングロ・ダイクが見られました。礫層(層厚10cm)が途中で、2.5mずれています。礫種は、灰色砂岩(最大6×4cm)と結晶質砂岩です。(【図-②】)

 すぐ上流の送電線の真下でも、黒色泥岩に挟まり、正常な堆積構造をする灰色砂岩層に、ぶつかるようなコングロ・ダイクが見られました。

 水田からの水路が見える付近(【図-③】)から、黒色泥岩層は剥離性が出てきました。ここにもコングロ・ダイクがあり、先端部分が割れて枝分かれしている産状でした。

 【図-④】は、ため池付近で、東側は、黄土色に風化しやすい粗粒砂岩と黒色頁岩の互層です。変色の原因は凝灰質のせいだと思われます。黒色頁岩層(5~10cm)を挟み、下位から粗粒砂岩層が30/30/20/25/15/45/100cm以上と、7互層を確認しました。ため池の南側の黒色泥岩層から、二枚貝化石(Macoma sp. Yoldia sp. )と、ウニの殻(種名?)の印象化石を見つけました。

 釜の沢の左股沢との合流点から上流は、凝灰質粗粒砂岩(主)と黒色頁岩(従)の砂泥互層が続きます。
 標高830m付近(【図-⑤】)では、新鮮な粗粒砂岩が多く、凝灰質の特徴でもある「青味を帯びた灰色」の露頭が見られました。

 標高835m(【図-⑥】)付近から、855m付近にかけて、同様な砂泥互層は続きますが、走向と傾斜が少しずつ変わっていきます。
 標高860m付近(【図-⑦】)で、暗灰色の中粒砂岩の中に、黒色泥岩~黒色頁岩の角礫や岩片を取り込んだ産状が見られました。

 私たちがフィールドネームで、「ひじき」構造と呼ぶものです。取り込まれた岩片は、二次~三次堆積を意味しているものだと解釈しています。

 続いて、同質の砂泥互層(砂が主)が続きました。
 標高890m二股でも、「ひじき」構造が見られる暗灰色中粒砂岩層あり、滑滝を形成していました。右股沢にも、対応する層準が延びていて、同様な滑滝がありました。南傾斜から層位的に、その上位層となる砂泥互層部(砂:泥=3:1)が、「ケスタ(cuesta)状ie,《(浸食に弱い泥相が削れて無くなり、浸食に強い砂相が残るという差別的な浸食地形の縮小版》」となって、階段のような小滝を成していました。南へ10°ほどの傾斜なので、砂泥の層厚15~45cmが、段差となって、とても登りやすいです。(【図-⑧】)

 少し上ると沢が開け、林道が見えてきたので、この日の調査(2000年8月5日)は、標高905mで終わりにしました。

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【ひじき構造】と名付けた黒色頁岩片入り砂岩


 

            *  *  *  *

 

 6日後、少々無理をすれば、林道は普通車でも入れそうなので、沢の奥まで入り、単独調査をしました。
 第一堰堤付近(【図-⑨】)では、黒色頁岩層が主体で、わずかに暗灰色中粒砂岩層を挟みます。堰堤の下では、N70°E・10°Sと南落ちでしたが、堰堤の上流側では、N20°W・20°NEと落ちが変わりました。しかし、林道の橋の下で、N30°E・20~30°SEなので、南落ち傾向は、変わらないと見て良いようです。

 第二堰堤までの間で、わずかに二枚貝化石が出ます。第二堰堤は、層厚50cmの礫岩層が見られました。
 標高930mと935mの二股では、それぞれ滑滝を形成していて、礫岩層を挟んでいました。この内、930m二股の右岸側は、落差3.5mの滝の中間に層厚1mの礫岩層があり、礫の形が扁平であるという特徴がありました。礫層自体が造瀑層というわけではありませんが、浸食に対して強く、地形に反映されているようです。

 標高940m付近(【図-⑩】)から標高980m付近まで、明らかに火成岩の影響を受けたと思われる産状が確認できました。しかし、問題は、これが玢岩(ひんがん・porphyrite)なのか、斑岩(はんがん・porphyry)なのか、それとも堆積岩が熱変質~変成されたものなのかを決められないのです。岩石顕微鏡下で調べる手だてがありません。

(下山後、いったんは玢岩露頭と解釈した経緯もありますが、その後、新鮮な玢岩露頭をあちこちで目撃し、これは堆積岩の熱変質(変成)であると扱うことにしました。しかし、黒色泥岩が熱変成されれば、粘板岩(slate)になるとばかり思っていた私には、理解しにくい産状でした。) 

 光沢があり灰白色~暗灰色の堆積岩が変質した地域としておきます。(【図-10~12】に熱変質との記載のある辺りです。)

 

 標高990mの二股の少し下流で、林道の下に敷設したトンネルをくぐります。明灰色粗粒砂岩と暗灰色中粒砂岩の互層で、砂相が多くなりました。N80°E・35°Sと、南落ち傾斜でした。(【図-⑪】)
 標高1030m付近(【図-⑫】)では、熱変質した礫岩層と泥岩層が15m幅で見られました。ただし、この礫岩層は、第二堰堤【図-⑨】や930・935m二股での礫岩層と同じだと思われます。これらが、玢岩体の熱の影響で、礫岩層は暗灰色から黒色へ、泥岩層は黒色から灰白色へと変色していました。

 そして、黒色頁岩層が多くなり、標高1070m付近の礫混じりの暗灰色中粒砂岩層を最後に、露頭はなくなりました。推定1100mまで登り、下山しました。

 

 【編集後記】

 この前後のことは、良く覚えています。平成9年度~11年度の3年間、県の「少年自然の家」という野外教育活動を推進する施設勤務で、仲間との調査を中断していました。

 21世紀を迎えた最初の年(平成12年)の夏休み、釜の沢の下流で見た露頭のことが気になっていました。多くの方も同じだと思いますが、地質現象や露頭は、他の人の説明や写真を見ただけでは、十分にわかりません。どうしても、自分の目で見てみないと納得がいきません。特に、私にとっては、いきなりの内山層との出会いでもありました。

 それで、どうしても疑問の先の情報が知りたくて、単独で出かけました。

 そんな、探求心に支えられた一人の調査も大事ですが、実際は、複数の人の目で見る方が、正確に観察できます。どんなに事実を正確に読み取ろうとしても、先入観や思い込みが有りがちです。それで、仲間で観察して、その事実を口に出すと、誰かが反応して、間違いに気づいたり、新たな気づきがあったりします。

 家内は、単独で山に入ることの危険を指摘します。確かにあります。山中地域白亜系の調査で、夏休み中に「三段滝」を登攀中に滑って水中に落ち、全身びしょ濡れになって、すぐに帰宅してきたことがありました。

 大学卒業論文の調査で、北海道の小頓別(しょうとんべつ)付近の南側の山中へ一人で入りました。目撃した訳ではないのに、沢水の落下する瀬音が、ヒグマのうなり声に聞こえてしまい、走って逃げました。沢を下って林道に出て、林業関係者に出会って安心したという、恥ずかしい思い出もあります。もう少し、見通しが利いて、明るい感じの沢であればよかったのですが・・・。調査対象の中新統(中新世の地層)と白亜系との境は、地形から決めてしまいました。

 信州佐久の山では、さすがにそんな恐怖はありませんが、やはり単独調査は心細いものです。ただ、この時は、そんな一抹の不安も感じないほど、燃えていました。(おとんとろ)

 

 

 

 

 

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