北海道での青春

紀行文を載せる予定

2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

大好きな國・台湾とともに

1.はじめに 学生の頃、WV(ワンダーフォーゲル)部員だった私は、積雪期の山や夏の沢旅、平地ワンデリング、ゴムボートでの川下りなどの活動を通して、未知の土地や自然を訪ね歩くことは、「エクスペディション(expedition)・冒険や調査の為の遠征」だ…

人と車と

先輩のSさんが、口火を切った。 『あのう・・・、ここから広尾までは、どのくらいありますか』と、顔の奥は喜びから完全に笑っているのに、眼鏡を指で押し上げながら、真面目な顔つきで、白々しい聞き方をする。 それに答えて、『そうさなあ、相当あるわな…

豊似岳からの生還(後半)

注意深く下降しているつもりだが、ふたりが足を滑らしたので、ルートを変更しようとして、トラバースしていた時だ。斜面に対して垂直に下りるよりも、斜面を横切るようにしてトラバースする時の方が、危険である。今度は、私が、足を滑らして滑落した。 私は…

春のトヨニ岳からの生還

広大な大地に、一本の道が日高山脈に向かって、まっすぐに延びていた。 雪形(ゆきがた)が現れ始めた残雪の山並みは、尾根筋と谷筋が際だって、山の特徴を浮き立たせる。これから登る楽古岳からトヨニ岳、さらには、ペテガリ岳につながる稜線が、鮮やかに目に…

日高への逃避行

教養部2年目の後期になると、学部移行の為の成績発表がある。 そんなことにお構い無しに山行に行っていたら、既に、人々が成績のことを話題にしていた。学生課に行って、学籍番号を告げて成績表をもらうと、赤紙が付いた「Bランク・607番」であった。噂…

秋のペテガリ岳を越えて無事下山

『ほら、黒い物が動いていないか?』 『あれ、ヒグマじゃないか』などと、1年生の5月連休合宿で、トムラウシ山からの下山途中で、ふたつも向こうの尾根の上に、黒い動く物を見つけ、ヒグマではなかろうかと眺めた経験がある。 当時4年生の温厚なM先輩が…

羆(ヒグマ)に襲われる

ペテガリ岳・Cカールで迎えた夜は、幻想的であった。 カール壁を見上げると、稜線に上弦の月が懸かり、ハイマツや岩壁の影絵が、くっきりと見えた。天の川が、南側の稜線から天頂を経て北の空に流れ、満天の星空であった。 だが、視線を下に移し、カール底…

ペテガリ岳Cカール

私たちの部では、「リーダー合宿」と称して、次期リーダーを養成する目的で、2年生部員によって計画される山行があった。 私は、A君と「コイカクシュサツナイ岳からペテガリ岳西尾根コース」(4泊5日・停滞予備日2日)という山行を企画した。リーダーはA…

日高山脈(プロローグ)

日高山脈は、北見山地から石狩山地(大雪山・十勝山系)と続く北海道の脊梁山脈のひとつで、地質的にも北海道を大きく二分、もしくは三分する時の境界である。鉄道は、石北本線が北見峠を越え、根室本線が狩勝峠を越えて、それぞれ道都・札幌と北海道東部との…

十勝連峰東部森林地帯・エピローグ

「天候に恵まれ、目標としていたトムラウシ山登頂が、あっけなく達成されてしまった」という感がある。しかし、どんなすぐれた装備をしたパーティーでも、気象条件が悪ければ遭難ということもある。また、ちょっとしたアクシデントで、山行計画が中止になる…

トムラウシ山への道

十勝連峰・下ホロカメットク山(1/11早朝)や、オプタテシケ山(1/12早朝)への登頂は、既に成功していたが、今回の最終目的は、やはりトムラウシ山(2141m)への登頂であった。 原始原を越え、森林地帯のトラバースや雪の沢の登り下りも、すべてトム…

雪の下を流れる沢水

十勝川の源流に当たる「シイ十勝川」は、さらにいくつかに枝分かれする。比較的、大きな支流で、地図で名前のわかっている「トノカリウシュベツ川」以外は、便宜上、上流側からA~E沢と名付けることにした。 私たちは、アルファベットの沢を順番に越えて行…

生活支えるもの・その4

★ 文字文化への回帰 ★ 「衣食足りて礼節を知る(論語)」という言葉がある。 生物としてのヒトから、社会生活や文化活動を送る人間になるには、「衣食住」だけでなく、もっと複雑な要素があって、「生活を支えるもの」が成り立っているのだと思う。 この時、長…

生活を支えるもの・その3(衣)

★ 憧れの羽毛シュラフ ★ 冬山での「衣」生活は、ファッション性よりも機能性、保温性が中心になる。 趣味でヒマラヤ登山隊などの払い下げ中古品を買いあさる人がいて、いろいろと珍しい品物を見せてもらったことがある。例えば、登山靴であるが、インナーブ…

生活を支えているもの・その2(住)

★ 定住生活 ★ 私たちは、ワンデリング (Wanderung;さまよい歩く徒歩旅行)をしているのだから、「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転および職業選択の自由を有する(日本国憲法・第22条第①項)」ではないが、所定の手続きをして国有林の中に入っ…

生活を支えているもの・その1(食)

ヒトの基本的な生活は、「何を食べ、どこに住み、何を身にまとうか」である。 これらの内容も、日常生活では、数ある物の中から選択するような意味合いがある。しかし、テント生活のような不自由な生活を体験してみると、どれも不可欠なものであることが身に…

原始原を越えて

原始原(げんしがはら)という言葉の響きが好きだ。 『どんな所なのだろうか?』と想像をかきたててくれるようなネーミングで、ぜひ訪ねてみようという気にさせる。私は、この地名を初めて聞いた時、「桃源郷」のような所をイメージした。 「原始人」・「原始…

十勝連峰東部樹林帯

≪プロローグ≫ 誰のアイディアから始まった山行計画だかわからないが、メンバーを見ると、Kさん・Oさん・Iさんの、3人の発想の合作だったのではないかと思う。厳冬期のトムラウシ山(2141m)などを、十勝連峰東部の樹林帯を経由して登頂しようという試…

天塩川・エピローグ

学生時代には、山行の後、コースタイムの記録とは別に、よく文章を書いた。ずいぶんあったが、逸散していて、残念に思う。この「天塩川」は、北大ワンダーフォーゲル部の道標(どうひょう・Vol 20)に寄稿したものが残っていて、比較的、原文通りに復元できた…

天塩川・川下り山行の概要

昭和49年(1974年) 8月19日~8月27日 当初の計画では、駅泊1+11泊12日・停滞3日であったが、途中で、ボート流失という事件が発生し、士別駅での1泊と、テント(野営)での7泊8日に変更せざるを得なくなった。 ◆8月19日 札幌駅21:2…

天塩川・ゴムボート流失

ここは、幌延町・雄信内(おのっぷない)、8月24日の夕方のことである。 山行(川下り)計画は一応あるものの、なにぶん天塩川の流れに任せていることでもあり、幌延町・問寒別(といかんべつ)で野営するつもりでいたが、少し早すぎるので先に進んでいたら、逆…

天塩川・憧れの蛇行

ふたつのエピソードがある。 「ずいぶん眠ったような気もした。気がつくと、いつしか空は白み始め、雑木林の隙間から川が見え隠れしていた。鉛色に輝く川筋は、雑木林の島々の間を静かに蛇行していた。さざ波が、鈍く光る残雪を乗り越えんばかりに、力強く押…

天塩川・水鳥のこと

森の切れた右岸から、ゆるやかな起伏の山並みが見えた。その少し上に、定規を当てたように底が平らな積雲が続いていた。なだらかな山々のうねりが、よけいはっきりとわかる。ちょうど、山腹に雲の影絵ができて、それはどこかの国の領土のような形をしていた…

天塩川・智東のこと

『あそこに、渡し船があるぞ。』Kの言葉に、私は、手を休め振り向いた。右岸に田舟のような舟が、一艘杭につないである。両岸とも木々の途切れた所に綱が渡してあって、腐った板の渡し場がある。からからに乾き切って白茶けていた。 綱の下を通り抜ける時、…

天塩川の川下り

≪プロローグ≫ テントの虫干しをしていて、部の装備倉庫の棚の奥で古いゴムボートを見つけた。その時は、大して気にもかけなかったが、古い山行記録を整理していて、それが10年ほど前、石狩川の川下りで使われた物だと知り、急に川下りの夢が浮上してきた。…

エスケープ・ルートの採用

若い頃の私が、積雪期の雪山と言っても、主にスキーで登頂できる程度の山行に興味を覚えたのは、そのルートの自由度に魅力を感じたからである。 夏の山は、沢を詰めていくか、登山道を歩かなくてはならない。その点、積雪期の山は、就寝中の寒さという最大の…

雪原を越えて

山に入って6泊目のテントサイトは、ダケカンバやモミの木がまばらに生え、雨竜沼湿原を見下ろせる尾根の途中に決めた。湿原といっても、今は積雪期なので、いくぶん雪の色が変わっている部分もあるが、一面の雪の原である。 雨竜沼湿原は、北海道でも交通の…

暑寒別岳登頂

山に入って6日目は、日本海から湯気の上がるのが見えるのではないかと思えるほど、暖かで遠目が効いた。そんな春の山を思わせる気象条件の下、この山行の目的地でもある増毛山塊の最高峰・暑寒別岳(1491.4m)をめざしていた。 ところが、Kさんの目が…

一日置きの行動

猛吹雪の翌日は、快晴であった。 幌の街を後にして、「小川」という沢沿いに進む。新雪が、10cmほど積もり、ややシールの利き具合は悪いが、ラッセルほどでもないので、一面の白銀の世界は、爽やかだ。 沢の標高180m辺りから、尾根に取りついた。浜…