北海道での青春

紀行文を載せる予定

生活を支えているもの・その1(食)

 ヒトの基本的な生活は、「何を食べ、どこに住み、何を身にまとうか」である。
 これらの内容も、日常生活では、数ある物の中から選択するような意味合いがある。
しかし、テント生活のような不自由な生活を体験してみると、どれも不可欠なものであることが身にしみてわかり、今の生活を新たな視点から眺められるようになった。

 ★ 雑炊の味 ★

 「感謝していただく食事に、まずいものなし」の精神と、味の善し悪しよりも、量が多くある方が嬉しかったので、お腹を空かして食べる山の食事には、いつも満足していた。私は、美味しいものは大好きだが、高級料理というと味よりも、お値段の方が気になってしまうようで、野菜たっぶりの味噌汁が一番おいしいと感じている庶民なのだと思う。
 ところで、山行中の昼食は、内容および量ともに、各人の自由裁量に任され、非常食も含めて、個人で携帯していた。そして、リーダーの昼食の合図で、各人は様々な内容と方法で食べた。これには合理性もあり、もし、遭難しても、各人には食料がある。冬山では、体温が激しく奪われるので、食べ物が無いということは、致命的でもあるからだ。もう少し現実的な理由として、寒い中、皆の為にリュックを広げて食料を捜すのは面倒である。昼食は、銘々で自己管理しなさいという意味になる。
 それで、昼食はバラエティがあった。私の場合、フランスパンとカステラ片が多かった。フランスパンは、歯が丈夫でありさえすれば、保存が利くので重宝である。適当な塩味があり、つぶれないのもいい。カステラ片というのは、山行にでかける前に、お菓子屋さんへもらいに行く。形を整えるために切った後の残りや、場合によっては失敗作を「ただ」でもらったり、一袋50円ぐらいで分けてもらえた。これに、チーズや魚肉ソーセージ、かりんとうなどが加わった。
 厳冬期でなければ、乾燥したマッシュポテトに水を注いでかき混ぜ、マヨネーズで味付けした献立も、好きな昼食だった。今なら、梅粥(うめがゆ)のパック入りのような物を選ぶと思うが、当時は味や栄養価より、とにかく値段が最優先だった。各人の趣味や経済力に応じて用意した昼食を、時々は互いに物々交換をして味わった。

 朝と夕(晩)の食事は、もう少しまともである。水に、米と「ペミカン」を入れて炊き、雑炊を作った。コッフェルが小さいので十分な水量がなくて、炊き込み御飯という方が、正確なイメージかもしれない。

 テント内での雑炊作りは、水作りから始まる。
 きれいな雪をコッフェルに集めてきて、少量の飲料水を加え加熱する。水を加えないと熱効率が悪い。下から解けてシャーベット状になってくると、コッフェル一杯の雪もわずかな量になってしまうので、雪を追加する。完全に水になるまで加熱しながら待つ。水ができると、調理の半分は終わったようなものである。次に、米とペミカンを入れれば、後は炊き上げるだけだった。
 だか、正確に言うと、炊き上げる前に、極めて重要な場面があった。
 朝な夕なに食べている献立は、まったく同じ具材を使っていて、唯一の違いは味付けである。だから、何味にするかは、最重要問題になるのである。

 人気のあったのは、カレー味だ。しかし、いつもカレーでは胃腸にこたえる。あっさりと塩味という手もある。味噌味、おかか醤油味、シチュー味という味付け方法もあった。
 タイミング良くカレー味の時は、すんなりと決まるが、第二人気はなかなか票を集められない。わずか5人のメンバーだが、どうしても過半数にならない。用意してきた味付け材料は、いつか食べるのであって、基本的には皆、「何でもいい」と思っているはずなのだが、どんな雰囲気の食事にしたいかを真剣に議論する。一種の儀式みたいなものである。しかし、議を尽くしても結局決まらない。

 そんな時、必ず誰かが言った。『陛下、ご決断を!』
 私たちBグループのリーダーIさんのあだ名が、「陛下」なのである。中央から半分に分けた長い髪の毛、ちょび髭をたくわえた穏やかな表情、そして、本当に無口で、いつもメンバーの話をにこにこしながら聞いている。くだらない我々の話にも、それなりに付き合ってくれる。もの言いや人物の醸し出す雰囲気に加え、学年がやや離れていたり、登山の実力者であったりすることから、誰もが一目を置く存在であった。

 『陛下、ご決断を』と、もう一度、Iさんに決断を促す。
 『・・・・』しばらく反応がない。皆が、沈黙する緊張の瞬間なのだ。そして、
 『塩味がいいんじゃない』と、ポツリとつぶやく。
 これで、御前会議の最重要課題の味付け問題は、片が付いた。

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 ペミカン雑炊とは?;私たちが、「ペミカン」と呼んだものは、乾燥野菜をラードで包んだ団子のようなものである。ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、ホウレンソウ、ダイコン、ニンニクなどの野菜を細かく切って、新聞紙の上に広げる。そして、ストーブの近くに置いて乾燥させる。晴れていれば、天日干しという方法もある。これにラードを混ぜてこね回し、一食分ずつ団子にして、ビニル袋に入れる。
 また、肉類も欲しい。フライパンで豚肉を炒め、焦げる手前の肉だけ集めて、一食分ずつビニル袋に入れる。ちなみに、フライパンに残った油と肉汁は、ペミカン作りに貢献した人が、インスタントラーメンの中に入れて、先にいただいていた。
 これらのラードで包んだ乾燥野菜と、油抜きの肉が、山行中の朝晩の食事となった。夏の山行ではやったことはないが、冬なら2週間くらいは大丈夫だった。
 缶詰のような完璧な保存食を持っていくことも可能だが、そうしなかった。缶の分だけ重いという理由もあるが、私たちの変な意地で、お金のかかる既製装備は邪道だという雰囲気があった。

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 ところで、私は大きな発見をした。
 山行中の雑炊一人分は、米1.5合で計算してあった。やや多いようにも感じるが、若者だけに、そんな心配はまったくいらない。唐辛子や胡椒、ニンニクなどの香辛料を添えてたべるので、食は進んだ。平等に盛り分けた後のコッフェル容器そのものが、奪い合いとなり、ジャンケン戦の対象となった。勝者は、誇らしげに膝の上にコッフェルを抱え、隅の焦げ付きもスプーンで擦り取ってたべるのである。冬山では、コッフェルを洗わないので、次に料理する時に焦がさない為にも、きれいに食べるという大切な使命も帯びていたからである。
 だが、これだけ食べるのだから、当然、出るものも出るわけだ。出す場所は、雪の上である。色指数を測定する試験紙よろしく、真っ白な雪の上だけに、色の特徴が良くわかる。
 私のそれは、実に鮮やかなこげ茶色で、コーヒー色をしていた。最初は病気ではないかと不安を感じ、不思議に思ったのだが、すぐにあることを思い出した。
 生物学的に言うと、尿と便は、同じ排出物であっても、やや内容が違う。尿は、尿素アンモニアなどの有害な窒素化合物を含む排出物であるが、便は、食べた物の中で、消化・吸収できなかった物質の排出物である。違いを強調するために、教科書では、尿は老廃物、便は不用物という言い方をしている。
 そして、便の色は、肝臓を経て胆嚢から分泌される「胆汁」の黄色から茶色を反映している。胆汁には、消化酵素は含まれていないが、石鹸と同じように脂肪を乳化する働きがあり、消化・吸収される前の脂肪の分解を助けている。
 私たちは、ペミカン料理で、ラード(豚の脂肪)をたくさん取っていた。さらに、熱い雑炊の上にマーガリンを載せて食べていたので、多量に脂肪を摂取していた。だから、脂肪の分解を助けるために、たくさんの胆汁が分泌されていたのに違いない。それで、こげ茶色の便になったのだろう。そう理解できた時、自分が理科の時間に学習してきた内容を実感できた喜びは、感動もので、清々しい気持ちになった。

 

 【忙中閑話】 上記では、冬山の食事風景について説明してきたが、5月連休の頃の初夏の山や、条件の良い夏山での夕食は、写真のように屋外で和気藹々と皆で、ひとつ鍋(コッフェル)をつつくことになる。もっとも、夏山と言っても、登山道のない沢を中心としたような難しい山行や、長期に渡る山行では、十分な食材を持っていけないので大変だが、比較的、条件が良かったり、登山初日なら、焼き肉やすき焼きのような豪華な献立も可能である。この時の献立内容は覚えていないが、皆が、箸を掲げ、「生協どんぶり」を手にしているところを見ると、案外、焼き肉のような食事を楽しんでいたのかも知れない。

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山行中の食事風景

ちなみに、メラミン製の生協どんぶりは、大変に便利で、皆が、ひとつずつ学食から失敬してきていた。
 この山行のリーダーは、天塩川を共に下ったN(3年生)、私がサブリーダー、手前はお世話になったSさん(4年生)と、暑寒別岳に一緒に行ったM君(2年生)もいる。他は、新入生(1年生)メンバーだ。 総勢で、7名の男ばかりのパーティーである。

 

【編集後記】 山行中の生活の様子を、衣・食・住の観点から見てみようと思い、第一は、食事を取り上げた。大学を卒業した後、山好きな同僚がいた職場の仲間と、南アルプス北岳に登ったことがある。天気の良かった夏山とは言え、幼児を背負った父親の半ズボン姿にびっくりし、タンクトップのお姉さんに胸躍りつつ、3000m級の山をなめているのかと思った。それ以上に、山頂の山小屋で、カツカレーとビールをいただき、小屋の居ながらにして、富士山とご来光を眺めることができたが、どこか白けたものを感じていた。山に入ったら、質素な食べ物でもあれば十分!