北海道での青春

紀行文を載せる予定

ペテガリ岳Cカール

 私たちの部では、「リーダー合宿」と称して、次期リーダーを養成する目的で、2年生部員によって計画される山行があった。
 私は、A君と「コイカクシュサツナイ岳からペテガリ岳西尾根コース」(4泊5日・停滞予備日2日)という山行を企画した。リーダーはA君で、私が、サブリーダーをすることになった。参加する下級生は、K君とH君の2名。それに、オブザーバーとして、3年生のKさんが加わった。総勢で5名のパーティーであった。

 オブザーバーという存在は、言わば軍監や、戦目付(いくさめつけ) のようなものであった。民主的な雰囲気の部であったし、とりわけ、Kさんは、気軽に話せる人だった。だから、山行を終えた後のリーダー会で、私たちの山行に関する技能や判断力などについて報告する責を負っていたKさんだが、特に気兼ねをする必要はなかった。

 

                *  *  *

 

 山に入ってからの3泊目は、ペテガリ岳のCカールの予定であったが、雲行きから雨が降り出すのを予想して、無理をせずに早めにテントを張った。

 P1599を越えて、ルベツネ山(1727m)を前にした鞍部(コル)である。その判断は大正解で、テントを張り終えたところで、ちょうど雨が降りだしてきた。
 激しい雨ではなかったが、翌朝も雨は降り続き、停滞することを決めた。
 予め停滞日を想定し、その分の食料も用意してあるので、雨の日に行動することは稀れなことではあるが、リーダーともなれば、「雨が降っているから行きたくない」という感覚からではなく、天気予報や食料、皆の様子を見て、判断しなければならない。だが、実際のところ、雨の日に行動などと、誰も思いつきもしない。

 

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ペテガリ岳周辺の地図(手書き図)

 ただ困ったことに、次のテントサイトに予定していたペテガリ岳のCカールには、昼前に着いてしまった。

 余裕ができたのだから、困る必要もないが、安全な下山のことも考えれば、山を楽しみたいという思いの反面、少しでも先に進みたいという発想もある。停滞日も一日使っている。Kさんに相談することにした。
 『ふたりの判断で、いいですよ』との返答であった。結局、A君と私で相談し、ここを5泊目のテントサイトとし、かなり早いが、テントを張ることに決めた。

 登攀(とうはん)の難しさは、季節や天候よっても違う。ペテガリ岳(1736m)は、昭和15年春、北大山岳部の遭難事故があった伝説の山で、「遙かなるペテガリ」と呼ばれていた神聖な山である。だから、ただ越えればいいという軽い気持ちでは登りたくない。明日、気持ちを引き締めて登りたいと思った。それに、Cカールは、融雪水の新鮮な水もあり、テントサイトとして最適な条件を備えていた。

 Cカールは、ペテガリ岳の山頂から北側に順番に数えて、Aカール、Bカールとあり、3番目のカールを「Cカール」と名付けたものである。3つの中では、カールとしての特徴を一番多く残していて、カール地形も顕著である。

 ところで、カール(ドイツ語;Kar 、英語;glacial cirque 、日本語;圏谷)というのは、氷河時代の名残の地形である。
 アイスクリームをスプーンで削り取ったように、氷河が山の斜面を馬蹄形に浸食した地形で、浸食による急斜面のカール壁と、緩やかな斜面のカール底からできている。
 山岳氷河が消えた現在、氷河によって削られ、運ばれた堆積物が、モレーン(氷堆石)として残ることがある。モレーンがカール底を囲んでしまうと、湖沼ができる場合もある。
 北半球では、日射と冬の季節風の関係から、北斜面や東斜面に、カールができることが多い。北斜面は雪が解けずに残り、東斜面は風下で積雪量が多いからだ。
 カールのできている位置から、雪線(万年雪が残り、氷河ができはじめる標高)が推定できる。

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カールのでき方

 第四紀の氷河時代、日本では山岳氷河の証拠しか残っていないが、北海道での雪線は、標高1600m~1700mであったろうと推定されている。ペテガリ岳の3つのカール(ABC)は、いずれも標高1700m付近にある。

 

 【編集後記】 秋の日高山脈への山行が始まります。いきなり、3泊目からですが、目的のペテガリ岳を前にした5泊目までの様子と、山行に至った経緯です。

 このCカールでテント泊した時の印象は、強く残っていました。

 カール(圏谷)壁の上に上弦の月が出ていて、稜線のシルエットが麗しかったです。ところが、視線を下方に向けると、ハイマツが揺れて不気味でした。羆がいるかも?

 それで、平成27年長月の句会で、『月あかり 松に怯える カール(圏谷)底』と詠みました。