北海道での青春

紀行文を載せる予定

秋のペテガリ岳を越えて無事下山

 『ほら、黒い物が動いていないか?』
 『あれ、ヒグマじゃないか』などと、1年生の5月連休合宿で、トムラウシ山からの下山途中で、ふたつも向こうの尾根の上に、黒い動く物を見つけ、ヒグマではなかろうかと眺めた経験がある。
 当時4年生の温厚なM先輩がリーダーで、私は様々なことを教えてもらった。晩秋の夕張岳への山行もMさんの魅力に惹かれて、一緒に出かけた。

 ただ、ヒグマの生活痕は、時々見かけたが、山の中で出会ったことはない。しかし、いつも木陰や岩陰に隠れているのではないかという不安をもちながら山に入っていたので、もし、近い距離でヒグマに遭遇したら、他の結論を考えるまでもなく、一番早いルートで下山していたと思う。

 部の1年後輩に、TTという○○○から札幌まで、毎日通ってきている女性部員がいた。彼女とは、トムラウシ山から旭岳への「五月連休合宿山行(3泊4日・停滞2日)」で、一緒だったことがある。切れ長な目で、いつも恥ずかしさを表現し、清楚な感じがした。竹久夢二美人画に登場するような、「はかなさ」も兼備していて、それでいて冒険心も備えたしっかり者の女性だった。

 その彼女が、2年生の夏から秋にかけての4か月ほどの間に、二度もヒグマと出会った。いずれも、パーティーは山行を中断して、無事に下山した。
 彼女の何十倍も多く山に入っている先輩たちが経験したこともないのに、偶然と言うか、確率的には信じられない程の頻度で、ヒグマと遭遇したわけである。
 冗談に、TTを『クマねえちゃん』と呼ぶ部員がいた。しかし、彼女は、それに傷つくほど、やわな人ではなかったが、「どうして、私は、ヒグマに会うのだろう?」、「一緒に山行に出かけた人が、途中で下山するようなら、とても悪い気がする」と、寧ろ、そちらの方を悩んでいた。

 そこで、それを心配したT君が、私を仲間にして、彼女を誘い、札幌から少し離れた余市岳(1488m)への山行を計画したが、三度目の偶然は、さすがに起きなかった。

 私が大学を卒業して就職した後で、同じ部のK君(学年は私よりひとつ上だが、部では同期生)と、TTは結婚すると、T君から聞いた。
 ふたりは道産子同士だし、K君は、当時の難関北大の医学部に現役で入学するほどの秀才でもあった。私が得意だと信じていた数学の問題がわからずに聞くと、K君はいとも簡単そうに教えてくれた。K君は本当に苦学生で、奨学金を頼りに生活していた。
 『あれ、小学生が自分のお小遣いで、アイスクリームを買っているぞ!』と、一緒に訪れた大学生協店で、小学生が買い物をする姿に驚いていた。自分では大学生になってから初めて、買い物ができるだけの金銭を持ったというぐらい、耐乏生活を強いられていた。しかし、医師ともなれば、もう少し豊かに暮らせると思うが、朴訥で、実直な彼なら、TTを幸せにしてくれると思った。だから、ふたりの結婚を心から喜んでいた。
 しかし、それから半年後、奥手稲の山小屋に向かうスキーツアー中に、雪崩に遭って、彼女が亡くなったという訃報が入った。残念ながら、北海道まで駆けつけることはできなかった。
 訃報を聞いて、K君の落胆と深い悲しみを慮った。次に、彼女が私たちとの山行で、「もう一度、ヒグマに遭っていたら、山に入ることを止めたかもしれない」と、思った。
 しかし、彼女も私と同じように、部の活動を通じて、自然との触れあいの素晴らしさに気づき、冒険心の大切さを知った仲間だったのだ。
 今は、ただ、ご冥福を祈るばかりです。

 

                 *  *  *

 

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日高山脈・遠くに幌尻岳を望む

 

 私たちの起床時間は、夏山登山の常識からすると、かなり遅い方である
 眠りにつくのが午後9時頃を少し回り、起きる時刻が午前5時から5時半頃である。だから、テントをたたんで出発するのは、午前7時を過ぎた頃となってしまうこともある。もっとも、10月に入っていたので、朝の明るさからみれば、時間的には適正な時刻かもしれない。

 10月6日は、5時30分起床で、午前7時前の6時50分には、Cカールを出立できた。そして、憧れのペテガリ岳(1736m)山頂への登頂を成功させた。

 これが、「遙かなるペテガリ」岳かと、感傷的になった。

 しばらく山頂からの眺望を楽しんだ後、ペテガリ岳の西尾根を快調なペースで飛ばしたら、6泊目のテントサイトに予定していたペテガリ山荘(無人の山小屋)へは、午後1時30分に着いてしまった。1時間ほどお昼寝をした後、急遽、予定を変更して、下山を始めることにした。

 もう1泊分の食料と、停滞食も1日分残っている。私としては、ここで泊まりたかったが、A君や皆の意見もあり、「どうせ明日も、静内に向かって林道を歩いていくのだから、行ける所まで行って、日が暮れたらテントを張ろう」という、実に安直な下山計画が採用された。

 ところが、運良く・・・・と言うより、密かに期待していた通り、林道をとぼとぼ歩いていたら、午後4時頃、林業関係者の大型トラックに拾われ、しかも、ノンストップで、静内の駅まで乗せてもらえることになった。

 私としては、もう一泊ぐらいテントで泊まり、それからゆっくりと帰ってもいいなという気持ちでいたが、多数決の結果だった。

 (cf 部の多くの人たちは、好き好んで山に入る割に、一日でも早く札幌の街に帰りたいと願っているらしい。この点、私のように、長い山行ほど好きで、長く山に残りたいと思う人は、珍しいのかもしれない。)

 

                 *  *  *


 静内からは、日高本線千歳線普通列車を乗り継いで、遅い時間に札幌駅に着いた。
 下宿に帰ると、すぐに眠りについたが、「昨日の晩は、ペテガリ岳のCカールのテントの中にいたんだなあ」と、寝返りを打ちながら思った。布団で寝られる幸せ、生きていることへの感謝、そして、日常生活の有り難さを思った。

 

 ◆日高ペテガリ岳へ         昭和49年 9月30日~10月6日

  【9月30日】 20:25 札幌駅発(夜行)

  【10月1日】  5:45 帯広駅着(市街地散策)  8:30 帯広駅発
           9:30 広尾線・中札内駅着 

          10:00 農家の方に送ってもらう
          10:45 札内川の二股堰堤
          14:00 コイカクシュサツナイ川上二股(C1)

  【10月2日】  5:30 起床  7:02 上二股発
          11:05 夏尾根から稜線に出る

          11:20 コイカクシュサツナイ岳 12:00 昼食後、発
          14:20 ヤオロマップ岳(C2)

  【10月3日】  5:30 起床  7:10 ヤオロマップ岳発
          11:50 P1599
          13:10 1599とルベツネ山の鞍部(コル) (C3)

  【10月4日】  ・・・・・  霧雨の為、停滞日(C4)

  【10月5日】   5:30 起床   7:10 コル発
            8:00 ルベツネ分岐の北稜線 9:35 ルベツネ山着
           10:45 ペテガリ岳Cカール着(C5)

  【10月6日】   5:30 起床    6:50 Cカール発
            8:40 ペテガリ岳着    

            9:20 ペテガリ岳発 西尾根を下る
           13:30 ペテガリ山荘着  14:30 ペテガリ山荘発
           16:00 林道で車にのせてもらう
           18:20 静内駅着   19:05 静内駅
           21:15 札幌駅着

 

【編集後記】 読者は極めて少ないとは思うが、私の意に反して失礼なことが生じるかもしれないので、登場する人の名前は、アルファベット表示に止めている。ただし、私を知る人であれば、わかってしまうだろうが・・・・

 次回は、本文中に登場したTくんと春の日高山脈にでかけたことを載せる予定です。