北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語・第206回

 第3章 志賀川・香坂川流域の地質調査へ


 私たちは、平成4年度(1992年度)から、それまでの南佐久広域調査から拠点調査へと、調査の方法を変えました。南佐久郡誌刊行の為の調査が、一段落したからでした。
 平成4年度は、抜井川の都沢を手始めに、山中地域白亜系のひとつ瀬林層の模式地となっている群馬県の間物沢川の調査を行ない、比較することから佐久地域の白亜系研究が展開していきました。その後、5年間(平成4年~8年)に渡り、抜井川水系の沢を丁寧に歩き、データーを集めました。
 続いて、平成9年~19年の10年間は、内山層の分布する内山川から抜井川水系の北部の沢の調査をしました。北部の内山川水系から、雨川・谷川・余地川と南へ少しずつ調査範囲を広げていきました。矢沢は、平成8年に調査済みでしたが、再挑戦でした。圧巻は、平成17年(2005年)の夏に2度の踏査をした熊倉川です。この秘境は、佐久市群馬県南牧(なんもく)村に所属します。今の私たちには、当時の体力はもう無いので、3度目挑戦は無理でしょう。それだけに、貴重な資料となっていると思います。

駒込集落の東から八ヶ岳(赤岳)を望む



 そして、平成20年度(2008年度)からは、志賀川本流付近の駒込層、八重久保層(H22年~)と、千曲川の東側地域を少しずつ北へと調査の範囲を進めてきています。
 私たちの多くは次々と定年退職し、佐久教育会「地学委員会」会員としての活動参加は遠のきましたが、折りを見て一緒に調査をしたり、その後、不明箇所の再調査をしたりして、資料を集めています。それらも含めて、紹介していきます。

 【長野県周辺地図と調査範囲の概要】(左図)と、次頁の【調査地域・水系の主な沢の名称】を参照してください。点線部分が、調査範囲です。)

長野県佐久市 (本調査域)

 

 

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千曲川の東側(川東)地域の河川名

 

 

 

 

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1.志賀川流域の地質

 4年間、佐久を離れていた私は、平成24年度から地学委員会の調査に復帰しました。当年度は、後述する「瀬早川」や林道「高尾線・南沢線」、「霞ケ沢」が主なフィールドでしたが、地質構造を解読する手がかりは、見つけられませんでした。また、ブランクがあるので、私には内山層分布の北側の様子は、実地に見てみないとわかりませんでした。
 それで9月になってから急に思い立ち、八重久保川へは土曜日・日曜日と2日続けて、翌週の運動会振替で、できた3連休には3日連続して、駒込(こまごめ)から志賀川を遡行し、凧の峰(たこのみね・1292.8m)の南に残る旧市道跡の途中までの実地踏査をしました。それを佐久教育会誌『佐久教育』へ、「ジャーナル」として発表することにしました。
 これには、昨今のクマやイノシシなどの野生動物の出没騒ぎや、放射性セシウム汚染を警戒して、特に「里山離れ」が益々進みそうな世相に抗して、里山散策や沢歩きの楽しさを伝えることも目的にして、志賀川流域の地質を紹介しようと思いました。
 【志賀川~八重久保川付近のルート・マップ】 を参照。佐久教育への寄稿文(原文)は、修正してあります。

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 佐久市群馬県下仁田町との県境・物見岩付近にある志賀牧場~内山牧場~神津牧場は、歴史のある牧場です。今日では観光牧場として人気があります。市街地から、ここへ至るには、いくつかルートがありますが、農林省「長野種畜牧場」から、志賀集落を経て、駒込集落の北側にできたバイパスを経由するのが、道路状況も良く一番早いと思います。
 かつては、駒込集落の中を抜けた後、志賀川に沿って東進し、凧の峰(1292.8m)付近では、つづら折りとなり、狭い谷筋を縫うようにして、内山牧場へと市道が繋がっていました。その頃、設置されたのか、夏草の中に観光案内の看板が立っていました。草を多少かき分けますが、遊歩道らしきものも残っていました。

【写真-①】凝灰岩の渓谷

 

 志賀川上流域の岩相は、凝灰岩層および凝灰質砂岩層が主体で、一部に泥岩層を挟んでいます。特に、標高895m付近の「無名橋」より上流では、凝灰岩から成るU字谷渓谷が見られます。水量が少ないので、残念ながら半分だけです。(【写真①】参照)
 そのさらに上流へ進んだ標高938m付近には、『河童淵(かっぱぶち)』と呼ばれる二段の滝があります。浸食されて上流側にできた滝壺(【写真②】)の水深は推定3m、西側の縁が内側に削られています。滝壺から溢れた沢水は、下の小滝へと流れ出ています。水の勢いが弱いので、勇気を出せば潜れそうな気もしますが、底まで透き通っていることが、寧ろ不気味で、神秘的です。河童淵という命名は、妙を得たものだと納得してしまいました。
 これらは、海底火山の噴火で噴出した火山灰が、いくぶん海の上を流され海底に堆積したものです。変成(変質)の程度は典型的ではありませんが、大谷石(おおやいし)という名前で知られる緑色凝灰岩とほぼ同じものです。
 随所に滑滝(なめたき)もあり、少々野生味を好む子どもを遊ばせるのには、適当な場所です。有名な景勝地となるには水量不足だと思いますが、凝灰岩地帯特有の素晴らしい浸食地形です。

【写真-②】河童淵の滑滝を登る

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 凧の峰(たこのみね)・玢岩(ひんがんPophyrite)が出てくる標高980m付近には、『姥ヶ滝(うばがたき)』と呼ばれる落差12mの滝があります。(【写真③】)
玢岩が造瀑層となっています。

【写真-③】姥ケ滝

 高所が好きな人なら登攀してみたくなる自然滝ですが、背後(990mASL)にあるコンクリート砂防ダムが重なって見えてしまいます。滝とダムとの間に旧市道が走り、その安全確保の為には不可欠な構造物だったのでしょうが、美観という点に関しては、完全に興ざめしてしまいます。
 その先は未踏査ですが、地形図によれば、沢筋は、ほぼ玢岩岩体との境に沿って延び、長野・群馬県境の物見岩(ものみいわ1375.4m)に至ります。
 駒込地区と内山牧場を結ぶ旧道は、アスファルト舗装こそ残っていますが、荒れ果てて草茫々です。替わる新道が、凧の峰の北側に敷設されたので、無名橋から500m奥に「車両進入禁止」の表示がありました。地元の方が立てた「河童淵・姥ヶ滝」案内板は、その300m先にあります。

 ところで、近年、佐久市内でもニホンジカによる食害被害は深刻な問題です。当地域でも、民家に隣接する畑にシカの足跡があるのは普通の出来事です。侵入防止柵(ネット)や、最先端技術のソーラー発電による高圧電気柵でも、まま成らない状況です。
 山中には、かつて炭焼きや山仕事で使った人の踏み分け道が残っている所もありますが、今では、だいぶ失われています。代わりに、シカの通り道(獣道)が増え、私たちが利用させてもらっています。ヒトと違って動物は、必要以上に道を広げません。1頭が通過しても、草木の弾性でほとんど元に戻ってしまいます。だから、人が歩けるほどの小径となるには、頻繁に利用している証拠です。餌を求めて動き回ることが、彼らの日常生活だとは言え、獣道は、まさに「森のハイウェイなんだ」と思うこと、しきりでした。

 

 

    【編集後記】

 今回は、「はてなブログ」に載せるのに、たいへんなハプニングがありました。

何と、最後の【写真-③】以外の図版や、写真の元のファイルが紛失して、ありませんでした。

そこで、既に紙ベースで打ち出してあるものを、スキャナーで読み取り、写真加工をして載せることになりました。

 その為、写真の緑色凝灰岩(グリーン・タフ)の色が、本来の色より赤味がかってしまいました。

 原因は、この凝灰岩の渓谷に私の娘を連れて、入りました。図版も含めて、写真など

も、人物が写っているものと、そうでないものに分けて、別のフォルダーに移していて、肝心なファイルを消してしまったものと思われます。

 逆に、ブログに載せるために、図版や写真を確認していくことで、不足していたことがわかりました。かなり、整理して保存しているつもりでも、写真の場所を見つけてくるのは大変なこともあります。

 今日は、そんなハプニングがあったので、午後の散歩にいかれませんでした。(おとんとろ)