北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和6年 3月の俳句

      【弥生の句】 

 

 ① 春暁に サソリ座南 早十年(とうとせ)

 

 ② 啓蟄や 酒虫疼(うず)く 宵の口

 

 ③ 春風に ベロニカの青 囁(ささや)けり

             《古稀の春を迎えて》

 

 3月1日は、能登半島地震発生から、ちょうど2カ月目に当たる。災害被害の凄さのせいもあるが、大型重機が入り難い険しい地形や交通インフラも災いして、復興はなかなか進まない。
 一方、同日未明(5:43am)、千葉県東方沖の深さ30㎞を震源とするM5.2の地震が発生した。その後も頻繁に地震が起こり、どうやらプレート境界がゆっくりと滑る「Slow Slip」に起因して誘発された地震の可能性があると指摘されている。
空が落ちてくる方の心配は「杞憂」かもしれないが、大地の破壊による地震被害の方は、極めて現実的な確率の問題であり、絶えず脳裏を過る心配の種である。

 ところで、今月の定例俳句会で、令和5年度が終わる。また、「みゆき会」に私が入会してから8年が経過する。いつものように、どんな季語を選ぼうかと思案していたら、「古稀(70歳)の春」を迎えたことに改めて気づいた。

 定年退職時に手続きした生命保険や外国債の運用も10年満期を迎え、次のステップへと再契約することになる。楽天的に考えてスタートした60歳代だったが、途中病いあり、大手術も経験しつつ、何んとか10年が過ごせて、今はまあまあ健康体でいる。
 しかし、次の10年間を安寧に過ごし、80歳を迎えられるかどうかと考えると、一抹の不安がある。それほど深刻ではないが、今までとは少し違った心がけで過ごして行こうと、殊勝な気持ちにもなった。それで、そんな願いを俳句に託してみようと思う。テーマは、「古稀の春を迎えて」である。


  【俳句-①】は、春の日の出前、まだ暗さが残る南の空に、サソリ座が見えた。特に、サソリの心臓にあたる1等星「アンタレス」が目に付く。毎年のように、この時期、この時刻頃に見る星座だが、10年の年月の経ったことの感慨を詠んでみた。季語は、「春暁」で春である。

 だが、定例の「みゆき会」で、この句を披露したが、評判が悪かったと言うより、「わからない」との評であった。
 どうやら、私は季節を代表する星座の位置関係と出没時刻、方向の概要から、季節変化を感得できるのだが、そういう経験のない人には、日の出前に星空が見えたぐらいの意味でしか無いようなのだ。考え直してみれば納得する。もし、私が他の専門分野のことを話題にした俳句と出逢ったら、やはり同様な鑑賞しかできないはずだと思うからである。注意しておかなくてはいけない観点だとわかった。

蠍(サソリ)座のα星(アンタレス)

 ところで、せっかくだから星座について語ろう。
 「サソリ座」は、射手座などと共に夏の星座である。その季節を代表する星座は、地球の日周運動の関係で、夕方、東の空から昇り、夜中に南中し、明け方、西の空に沈む。つまり、かなり長時間に渡って見えている訳である。


 ところが、一般的な言い方で夏の頃は、日没が遅く日の出が早い。つまり日が長く、反対に夜が短いので、「サソリ座」は、日が暮れて星の存在に気づいた頃、既に南南東から南の空に、大きく立ち上がるようにして現れている。動物などの形を表した星座の中で、一番、その実際の姿に近いと言われ、心臓に当たる位置に一等星「アンタレス」が、赤々と見えるので印象深い。ただし、夏と言っても、南方向に見えるのは、6月には夜中頃、8月には日暮れから夜の始め頃と、今度は、公転による年周運動の影響を受けている。(参考ː星座の位置は、日周運動で90°/6時間、年周運動で90°/3カ月の割合で、東側からより西側へと移動しているように見える。)
 この実際に見て感動した夏の夜空のことを記憶していると、「まだ春先なのに、日の出近くにサソリ座が南の空に見えている!」という違和感が、新たな記憶となって強く残るものらしい。それが、ちょうど、3月上旬~中旬の、私が起きて東の空を眺めてみるタイミングとなる。
 具体的な数値を入れてみると、例えば3月10日、午前5時30分、サソリ座は、ほぼ南に見える。日の出は、午前6時頃なので、真っ暗ではないが、まだ薄暗い。
そして、学校では、3学期が終わろうとしている時期である。本年度やり残した事への反省、新学期への抱負。転勤する場合は、去ることの寂しさと、新任地への不安感などが交錯していた。そんな年度末の最後は、数週間後に定年退職を迎える年の春だった。その後、思い描く中身は変わってきたが、サソリ座を見る度に思い出す。あれから10年、今年は古稀の春を迎えた。来年の春は、そして、さらに10年後の春は、どんなことになっているだろうか。

 


 【俳句-②】は、暖かくなり土の中の虫が這い出してくるように(啓蟄)、宵闇が近づいてくると、「お酒が飲みたいなあ」という気持ちが、心の奥底から湧いてくる様を詠んでみた。季語は「啓蟄」で、春である。

 改めて解説するのはくどいが、「啓蟄」は、二十四節季のひとつで、「雨水」の次、「春分」の前で、現代の暦で3月5~6日頃になる。土の中で冬越した虫が這い出してくるという意味だけではなく、暖かな日差しの下で、目覚め始める全ての「生き物」のことを表していると解釈して良いようだ。その意味で、土筆【写真】は、そのイメージ通りの姿です。但し、佐久地方で実際に観察できるのは、もう1カ月ほど後になります。
 ところで、「啓蟄」なので、「酒虫」と洒落た訳ですが、ついでに、「宵の口」は「酔ひの口」ともなるかな等と、作為しました。但し、俳句の世界では、あまりこういう掛詞のような技巧は無いようです。

土筆(ツクシ)が出てきた

 それより肝腎な今月のテーマとの関係は、切実な生活課題があるからです。
 私は、大学生の頃からお酒が好きになり、就職後の現役時代にも良く飲んでいました。そして、退職後は、農作業や散策して、身心共にリフレッシュすると、翌日の予定を意識せずに深酒をすることが多くなりました。インターネット情報によると、暇な老後生活からアルコール依存となる人が多いと聞きます。私も似た条件を供えているので、要注意です。そこで、「Sober-Curious」宣言はして、節制しています。ただ、負けそうになることもあり、その都度、「まだ、希望も、やりたい事もあるぞ」と言い聞かせ、自分と闘っています。

 


 【俳句-③】は、まだ微かに寒さも運ぶ春風が吹くと、華麗な青い花を咲かせた「オオイヌノフグリ」が、思い思いに揺れる。それが、囁き頷きながら会話をしているかのように感じた様を詠んだ。季語は「春風」である。

 「オオイヌノフグリ」は、路傍や土手に群れて咲く。背丈が低いので、春颯のような強風に対しても、しなやかに対応している。可憐な青系統の花の色と淡い葉のコンビは、爽やかで、色の少ない春先には良く目立つ。どこでも見かけるという意味では平凡だが、多くの人々から愛されていると思う。
 但し、名前がいけない。私は、何んとか他の呼び名はないかと捜したら、学名を「Veronica persica」と言い、オオバコ科の越年草とある。それで、「ベロニカ」と呼べは良いかなと考えた。と言うのも、「いぬのふぐり」は春の季語だからである。姑息な手段だが、「季重なり」が避けられると理屈をつけたのだが・・・。

春の訪れを知らせる「オオイヌノフグリ

 文字通りの意味は、早春の春の訪れを最初に知らせる「オオイヌノフグリ」の爽やかな青の華麗さを称えたつもりだが、今月のテーマの観点からは、風に翻弄されて揺れる姿に、「自分の意思ではどうすることもできない憐れさと、それでも楽天的に受け止め、淡々と生きていく逞しさがある」と感じたという私の思いがある。


 と言うのも、新聞やインターネットで、日々のニュース・国際情報のチェックに多くの時間を割いて、戦争や紛争、自然災害や事件、政治・経済など、世界各国の情報を見聞きしている。それら人の世界の営みも、「オオイヌノフグリ」が風に翻弄されている姿と妙に重なるからだ。そして、知り得た知識や情報を話題に挙げると、妻からは、『外国のこと、他人のことはどうでもいいから、我が家の家計や自分のことを心配しなよ』と激を飛ばされる始末である。
 ・・・・然り。私もまた、明日をも知れぬ運命の中、生きているからである。
既に60歳代を生き抜いてきたように、もう少し慎重さを加えながらも、どうせなら、楽天的に、希望を見失わないようにして、前向きに生きて行きたいものだ。
 私の自作の座右の銘は、「有為(うい)・恒心(こうしん)」であった。移ろい易い世界にあって、安定して変わらぬ気持ちを持ち続けたいと思う。

                                        *  *  *

 この俳句の話を妻にしたら、「ベロニカ」という商品名で販売されている園芸種は、何種類かあり、「いぬのふぐり」ではないと言われた。
 例えば、写真の「ルリトラノオ」や「ヒメトラノオ」も「ベロニカ」とも呼ばれている内の仲間のようだ。
ちなみに、オオバコ科・クワガタソウ属に分類され、多くの人は、こちらの花などをイメージするようだ。

「瑠璃虎の尾(ルリトラノオ)」

 そうなると、
 『そよ風に おおいぬのふぐり 囁けり』などと、直さないといけないかもしれない。
 「ルリトラノオ」等の花丈では、背が高すぎて可憐なイメージが湧きにくい。 

まあ、いっか!

 

   【編集後記】

 冒頭で、地震を話題に挙げたが、能登半島地震発生後の動静に興味をもって、気象庁発表の地震情報を検索してみた。地震の規模を表すM(マグニチュード)に関わらず、最大震度が4以上の地震の回数を月別にカウントした。
 「最大震度4以上の地震」【最大震度5弱以上の地震】≪能登地方の地震≫の順に示す。ただし、能登地方は、能登半島沖・上中越沖・佐渡付近を含む。
〇1月ː「58回」【17回(最大震度7能登半島地震本震を含む)】≪56回≫
〇2月ː「6回」【0回】≪2回≫  〇3月「10回」【2回】≪0回≫となる。

 震度1や2の地震まで含めれば、日本列島付近では絶え間なく揺れているし、その増減やエネルギー放出量は、素人にはわからない。しかし、能登地方に限ると、2月~3月と最大震度4以上の地震回数は減ってきた。但し、これが収束に向かいつつあると言う意味ではないと警戒した方が良い。震度階は小さいが、今も地震は続いているし、専門家が指摘するように、本震で一緒に動かなかった既存の断層の存在が不気味である。

 

         *   *   *

 

 昨年の暮れから2月にかけて、いつもの冬田道の散歩コースを変えて、自家用車で数分の東京電力の杉の木貯水池へと出掛けたことがある。
 冬木立の樹上に、「ヤドリギ」のようなものを見つけて興味をもった。1本の木に何箇所かあり、しかも随分かたまっていたので、写真に収めた。
この時に、カメラの望遠機能を使って、その正体を確かめておけば良かったが、私は、宿り木(ヤドリギ)が、群生しているものと思い込んでいた。

東京電力・杉の木貯水池

 しかし、2月29日に、同じ場所を訪れてみると、鳥の巣の集中している営巣地だとわかった。鳥類図鑑で確かめると、川鵜(カワウ)であるらしい。 

樹上の巣と川鵜(カワウ)の番

 森上の畑の農作業中に、上空から激しい風切り音を立てて土手の向こうの片貝川に急降下して行った鳥(カワウ)と同じだ。昔、目撃した隼(ハヤブサ)が、航空機の墜落かと驚いた時の感激が蘇ってきた。
 さすがに、この貯水池では、水面が広がっているので、急降下は目撃できなかったが、水面に対して水平飛行に入ったかと思うと、すぐさま、小魚を嘴でくわえていた。
 観光旅行で観賞した岐阜市長良川の「鵜飼」のカワウと同種類か確信はもてないが、外見は同じようだ。鵜匠(うしょう)から伸びた綱を首に繋がれ、水中に潜って鮎を獲る鳥と、自然の中でダイナミックに漁労する鳥とは、同じようには見えなかった。

長良川の川鵜(カワウ)

 カワウの番(つがい)を撮影してから、既に一カ月が過ぎてしまっているが、その後、どうなっているのか興味が湧いてきた。雛は、巣立っているかもしれない。少し、気がせいてきました。(おとんとろ)