北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和5年 12月の俳句

            師走の俳句

① 山入り日 裸木射抜く 波動砲

② 凍てる朝 二十六夜の 太白星(たいはくせい)

➂ 春を待つ 「いのちの歌」で 目覚む吾  

               《この星に生まれて》

 

 定年退職して10年目の冬越し野菜作りで、白菜と大根を「道の駅」直売所で購入してくるという、極めて不名誉な冬を迎えることになった。
 種蒔きをした後の8月中~下旬の段階では順調に育っていたが、急に害虫被害が発生した。その後、白菜については種蒔きを3回もし直したが、同様であった。最期に蒔いたものが、何んとか育ったが、その名前にふさわしいものにはならなかった。白菜は、あたかも「青梗菜(チンゲンサイ)」であり、大根は、「蕪」ぐらいであった。例年なら取れ過ぎた大根の一部は、畑の隅に掘った「地中保管庫」にも入れて置く程なのだが・・・、今季は入れる物が無い。
 「虫の被害」の原因は、やや異常気味な今年の気候もあるのかも知れないが、今までの無農薬農法の結果とも考えられる。もともと高価だったが、原材料となる尿素や燐酸アンモニウムの輸入制限の影響を受けてさらに高騰した「石灰窒素」を散布したことは、ここ10年間は無かった。
 ちなみに、石灰窒素という肥料は、散布後しばらくの間は、毒薬となって作用して除草・殺虫をする。その後で、化学成分は肥料に変わって行くという優れものである。零細農家でも、私が担当する前の、母や家内が携わっていた頃には、きちんと散布していた。
 そこで「ケチらない」で、今秋は、最低限度量ではあるが石灰窒素を散布することにした。
 ところで、今月は、「この星に生まれて」というテーマにしようと思う。理由は、それぞれの俳句の説明で述べたいが、昼間より夜が長くなると、夜空の星に関心が向く。そもそも、私たちの地球も星(天体)であることに気づいた。

 

 【俳句-①】は、「軽トラ」で夕陽を追いかけるかのように、山道を運転し、高原(開拓地)に登ったら、冬の夕陽が、カラマツ林を射抜く光の束となって目に飛び込んできた時の感動を詠んでみた。季語は「裸木」で、冬です。

 【写真-右】はイメージです。

カラマツ林の入り日(インターネットから)

 実際は、あまりの眩しさに、サンバイザー無しでは運転ができないほどで、「宇宙戦艦ヤマト」(松本零士・作)に登場する『波動砲』を浴びたぐらいの印象を受けました。
 「冬ぶち」と呼ぶ耕作を最後に、今季の農作業は一応終了し、12月1日には、管理機を水洗いしたり、農機具を研いだりして、一区切りでした。
 冬越しのニンニクに追肥をした(12/4)後、西の山に入る夕陽を追いかけてみたくなって、
軽トラックで、山道を登り詰め、前山開拓地という高原に出ました。ここはまだ、冬の夕陽が残っていました。


 夕陽というと、一日の太陽の営みの最後という雰囲気もありますが、日差しが低角度で差し込むので、目に届く光量は寧ろ増大するせいか、まさにゴール間際のラストスパートという感触で、濃い朱色が強烈でした。
 ところで、「下五句」は悩みました。強烈な光の束を表現するのに、何が良いかと思案しました。
 「ドラゴンボール」という漫画(鳥山明・作)の中で登場する「カメハメ波」や、ウルトラマンが太陽エネルギーを使って放出する「スペシウム光線」もいいかなと考えました。ただ、私より少し年上の年配者に伺うと、どれも知らないようです。
 それなら、一番無難な、アニメ「宇宙戦艦ヤマト波動砲」にしておこうと判断しました。
それでも、波動砲の威力は、原子爆弾にも匹敵する兵器ですので、俳句の表現としては穏やかではありませんが、それでも、それくらい強烈な夕陽の太陽光ビームを受けたからです。
 加えて、季語の「裸木」は、「冬木」でも「枯れ木」でも意味は十分に通じますが、カラマツは針葉という衣を脱ぎ去った裸木となって、寒い冬季を生き抜いているんだという、強い生命力を連想させるのも面白いなと思いました。

ウルトラマン(スペシウム光線)

 

 【俳句-②】は、師走10日の未明、南東の空に「明けの明星こと、金星」と「二十六日月」が並んで見えている様に感動し、詠んだものです。季語は「凍てる(朝)」で、冬です。

月齢25.7日(12/9)と26.7日(12/10)の月と「金星」の見え方

 今年になって、屋外のゲートを夜間だけ閉めることにしました。
しかし、早朝5ː35~5ː45には、新聞配りのSさんがやって来るので、5ː30までにゲートを開けることが私の仕事になりました。
 夏場は辺りが明るくなって自然に目覚めましたが、冬場になると、暗さと寒さの二重苦で、結構負担に感じます。
 しかし、その時に救いとなるのは、南東の空に輝く金星を眺めることです。既に、春の代表的な星座の「おとめ座・スピカ」も見えます。ここに、「二十六日月」が、金星と並んで見えるという天体ショーが加わりました。
 ちなみに、同じ時刻に月を観察すると、一日で約12°東に移動していきます。同じ方向を観察していると、時間にして、48分遅れて見えるようになります。
だから、12月9日と10日の金星と月の位置関係を見ると、月が、東側に移動したので、金星の上に見えていた月は、一日後には下になりました。金星や恒星のスピカも実際は移動していますが、月よりずっと遥か遠くにあるので、一日ではあまり位置関係を変えていません。


 次の俳句は、「前山みゆき会」の先輩方が詠んだ金星に関する俳句です。
『冬落暉(らっき)峡に夕星瑞瑞し(佐々木久子)』
『太白星(たいはくせい)光顕はに冬日落つ(本間秀則)』
そして、『家路急く 宵の明星 受験生 』は、昨年一月の私の俳句です。3つの創作年度は違いますが、冬の夕闇が訪れた西の空に、一番星として知られる宵の明星こと、金星(Venus)の輝きの美しさを詠んでいます。
 今年(令和5年)の金星の見え方は、夏から秋、冬を経て、来年(令和6)の春にかけては、明けの明星が観察されます。そして、しばらく見えにくい時期があり、再び、西の空に宵の明星として見えてきます。
 もし、俳句に「俳句考古学」という分野があれば、
私の師走に詠んだ俳句は、「2023年12月10日の朝」だと、金星と月の位置関係から、日時が推理できることになります。

「乙女座」の見つけ方

 

 【俳句-➂】は、私が毎朝、目覚めてから起きて床を離れる前に行なっている「いのちの歌」をYou-Tubeで視聴(主に聞く方)していることを俳句に詠んだものです。季語は、「春を待つ」で、冬です。時期的には、師走をもう少し過ぎた冬の終わりの方が良いのかもしれませんが、若い頃と違い、冬は寒いだけでなく、暗い朝が長いのが嫌いになりました。一日も早く春の訪れを待ちわびています。

 いきなり私事で恐縮ですが、私は、目覚めてから、外の鳥の鳴き声を聞きながら俳句のネタを考えることもありますが、多くは、床の上で約15分間のストレット体操をしてから床を離れます。内容の詳細は省略しますが、早口言葉や眼球運動なども取り入れた独自の関節などの柔軟運動をしています。
 その際、運動をしながら聞いているのは、行進曲やブラスバンド、最近は、前にも紹介しましたが、京都橘高校マーチングバンドの演奏(2022年10月10日・台湾双十節)が多いです。これに、「いのちの歌」が加わりました。

 この歌は、2009年(平成21年)放送のNHK朝の連続テレビ小説「だんだん」の劇中歌としてオンエアされた楽曲で、作曲は村松崇継さんが、作詞は竹内まりや(Miyabi)さんです。多くのシンガーによって歌われ続けてきた『いのちの歌』で、
教科書にも載せられ、学校(文化祭など)での合唱曲としても人気があるようです。
 私も、今までに何回か聞いたことがあり、歌詞が温かで趣深く、特に間奏の後の部分は、崇高な精神性があると感動しました。ただ、私は、日常的にステレオや、ラジオ・TV番組等で音楽を聞く習慣も無いので、すっかり忘れていました。

 ところが、音楽同好の仲間と、毎年晩秋に、素人の音楽イベントを企画している私の娘が、今年は、『いのちの歌』を歌うことになりました。いつもはピアノ伴奏か、参加者のカラオケ歌に合わせた即興演奏や弾き語りをしていましたが、仲間の歌い手さんが参加できなくなったのでピンチ・ヒッターでした。それを、娘の夫が録音して、You-Tubeに載せたと言うので、聞いてみることにしました。

 

 歌の「でき」がどうかと言うより、自分の娘が歌っているという身びいきで、興味深く聞きました。特に、歌詞の『命は継がれてゆく、生まれてきたこと、育ててもらえたこと・・・ありがとう』の辺りは、実感がこもっています。

 ここで、歌詞を紹介します。

 『いのちの歌』 作詞ːMiyabi(竹内まりや)・作曲ː村松崇継

  生きてゆくことの意味  問いかける そのたびに
  胸をよぎる 愛しい人々の あたたかさ
  この星の片隅で めぐり会えた軌跡は
  どんな宝石よりも たいせつな宝物
  泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
  そんな時 そばにいて 寄り添うあなたの影
  二人で歌えば 懐かしくよみがえる
  ふるさとの 夕焼けの 優しいあなたのぬくもり
  本当にだいじなものは 隠れて見えない
  ささやかすぎる 日々の中に かけがえない喜びがある
      *   *   *
  いつかは 誰でも この星にさよならを
  する時が来るけど 命は継がれてゆく
   生まれてきたこと 育ててもらえたこと
  出会ったこと 笑ったこと
  そのすべてに ありがとう  この命に ありがとう

この星に生きて

 作曲(編曲)者の村松崇継さん自身が歌ったものもあるようですが、まず、竹内まりやさんのオリジナルを聞いてみました。(案外、低いキーなのですね。)
 陸上自衛隊・中部方面音楽隊の鶫真衣(つぐみ・まい)さんの爽やかなソプラノの歌声も聞きました。さらに、「だんだん」に出演した双子の茉奈・佳奈(まな・かな)さんの歌声も聞いてみました。
 最後に、合唱曲と村松さんのも聞いてみて、私的には、女性のボーカルの方が曲に合っていると思いました。深い理由はありませんが、作詞した方が女性としての感性で綴り、受け取る私が男だからかもしれません。


 そして、もう一度、元の話に戻りますが、身びいきで、娘の歌も、音楽的に見て、案外捨てたものではないなあと思い直しました。
 しかし、悲しいかな。視聴者は、私と私が紹介した妹の家族ぐらいしか聞いていないようなので、カウント数は、極めてわずかなものですが・・・。
 娘の歌う『この命にありがとう』の余韻を、ゆっくりと味わうことなく、外ゲートを開けに起きていきます。春の訪れが待ち遠しい。

春の訪れが待ち遠しい


 【編集後記】

 月一度の「みゆき会」の定例句会の開催前に、なぜか「俳句の解説」が完成しています。普段なら、少なくとも1カ月以上は確実に遅れて「はてなブログ」へ載せているので、驚異的な早さですが、これには、いくつか理由があります。
 ひとつは、本年度、佐久俳句連盟(通称、佐久俳連)に入会することになり、夏の吟行はお断りしましたが、「冬の俳句大会(12月8日)」に初参加することになりました。予め創作して、各自が持ち寄る3句は、霜月(11月)の「みゆき会」に出したものにしましたが、当日に出された「席題」で創作して披露する俳句があるというので、定例の「12月みゆき会」の俳句と「冬の季語」の準備をして臨みました。そのくらい緊張していたので、既に俳句3題は完成していました。
 もうひとつの理由は、農閑期を迎え、家の清掃や整備作業はあるものの、融通の効く活動で、デスクワークの時間が増えました。本心は、念願である「佐久の地質調査物語・その3(香坂層と本宿層との関係)」に着手したいので、俳句の方は早めに終わりにして、早く本命に入りたいという思いからです。そんな訳で、今日(12月14日)、俳句会が終わったので、帰宅後に載せます。

熱燗の日本酒

 さて、今日の俳句会では、新たに少なくとも2つのことを学びました。
 ひとつは、佐久俳連で指導を受けた「季語が、一見無縁に思えるようで繋がっていたり、反対に題材に適確であったり、微妙な感覚で創意工夫されているか」という点について、
提出作品に寄せて議論し合いました。まだ、到底結論には至りませんが、研鑽できました。
 もうひとつは、小さな事かもしれませんが、「燗の酒」の俳句で、「燗」の字の「門」の中に入る字が、「日」でなく「月」であることに驚きました。
 『二人旅少し多めの燗の酒(茂木俊則)』の俳句で、当人の最初に挙げた俳句を皆で修正している時、気づきました。当人曰く、「日で無く月なら、熱燗が直ぐに冷めてしまいそう」と。
 私は、月見酒をするような季節になると、冷酒より熱燗の方が良いのではないか等と、勝手に解釈しましたが、なぜなのでしょう。
 そんな話題から思い出したのは、「臥竜点睛」のことでした。
  私は、長いこと、「睛」の字を「晴」だと思い込んで、書いていました。改めて、良く見ると、編は、「日」では無く「目」ですが、これは、この故事の意味を理解すればわかります。しかし、「靑」であって「青」でないのはわかりません。(多分共に同じ、青という意味らしいが・・・・。)

 ところで、来年の干支は、『甲辰(きのえ・たつ)』です。平たく言えば、辰年
「竜または龍」になります。

 

臥竜点睛の年にしよう!


 私は、「巳年」なので、「辰」の次の年に年男の12×6=72歳になります。
 そこで、臥竜点睛の故事に因んで、何かのきっかけで目を描くことができて、天に昇る龍になって年男を迎えたいなあと思いました。
 昇天が、天国では絶対に困りますが、何か少しでも社会に有意義な事が為せればいいなあと思う「おとんとろ」です。