北海道での青春

紀行文を載せる予定

冬銀河 (睦月の句)

① 氷柱(つらら)(は)み 遠き日の味 孫と笑む

② 眉あげて 強く生きよと 冬銀河

③ 老松に 耐える音なし しずり雪

 

 俳句会の年度は変わらないが、戊戌(つちのえ・いぬどし)の平成30年になった。

 気持ちも一新して臨みたい。今月は、自然の情景の中に、人の人生のようなものが詠めればいいなあと思っている。まず、選んだのは「冬銀河」だった。

 実は、冬銀河は夕方、西の空の低い方から繋がって見えるので、夏の天の川(銀河)のように、頸を痛くして暗くなってから眺めるよりも遙かに手軽である。ただ、寒いのが辛い。

 残り二題は、「氷柱」と「しずり雪」にした。


 【俳句-①】は、孫とお薬師さんの氷柱を取りに行き、二人でしゃぶって楽しんだ様子を詠んだ。

 山からの清水が凍って氷柱になっているので、衛生的である。
 冷蔵庫のない時代は、風邪で寝込んだときの氷枕用に取りに行ったものだ。また、冷たいにも関わらず、氷のお城を造って遊んだりもした。
 ところで、孫は氷は珍しくないだろうが、氷柱をしゃぶるのは初体験で、二人で思わず微笑みながら、氷をかじった。

 余談ながら、【写真】は雪の庭で写した私の孫だが、撮影した翌日に弟が生まれ、その晩は、私が寝かせ付けることになった。お風呂に入れた後、絵本を読んでやろうとしたが、話の内容は既に覚えていて、私が質問しながら、彼に話をしてもらいながら眠った。

f:id:otontoro:20200808183957j:plain

雪の庭にて(翌日には、兄となった)


 【俳句-②】は、真冬の銀河を見ていると、神々しさや厳しいイメージがあり、『強く生きよ』と命じられた気がすることを詠んだ。ただ、冒頭で書いたように、いつ冬銀河を眺めるかによるが、夕方や朝なら見上げなくても良い。

 私は、師走30日にウイスキーを多量に買い込んできて、二晩しっかりやってしまい、地域の元旦の挨拶には出られなかった。特別、人生を儚んでという意味でもないが、こんなだらしないことではいけない。健康管理に気をつけなければと誓いを立てて、断酒計画に入っていた。その意味で、『強く生きよ』と自分で自分を励ます言葉である。

                *   *   * 


 【俳句-③】は、狩野派の描く屏風絵のような風雪に耐えた老松なら、枝に積もった少しぐらいの残雪は、ものともしないで、どっしりとしているだろうなと詠んでみた。
 我が家の庭の赤松は、わずかな雪で枝が撓んでしまう。まさに、逆な意味で、「雪の重さにじっと耐える力(音)」もなく折れてしまいそうである。ちなみに、植木屋さんは松の下枝を伸ばして、地面近くまで這わそうと企画した。佐久地方は雪国ではないが、やはり積雪で枝を傷めるので、短くしてもらった。

 ところで、屏風絵の松も、庭木の松の類も、どうも人工的な印象がする。父が盆栽で育てた少なくとも40~50年以上経つ赤松(50㎝)の管理が大変なので、山の畑の隅に植えた。すると、1年後には私の背丈を超えて、横枝も十分に出した。植木鉢で押さえ付けられていた反動のようにさえ感じた。盆栽仕立てで、上には伸びないので、私の背丈止まりだが、横へは伸びていくので、その後は、横への成長を抑えている。

 

f:id:otontoro:20200808184504j:plain

狩野派の老松 (二条城の壁画)

【編集後記】

 「冬銀河」という季語の響きが気に入って、採用してみた。

 本文で述べたように、天の川・銀河は、夏だけでなく、冬でも見ることができ、寧ろ、低い高度で観察できるメリットもある。

 太陽系・第三惑星の地球は、「銀河系」の中心から見ると、五分の三ほど外れた所にあることが、わかってきた。このため、星々の集中する銀河の方向は偏っていて、地球から見ると、秋の星座の方向が、一番寂しい。

 つまり、銀河の中心部の反対側の夜空を見るからである。「月」と言えば秋というような季語の世界で、星や銀河の見えにくい夜空を彩る世界を、月に専売特許したのかもしれません。