北海道での青春

紀行文を載せる予定

「風花」三題(師走の句)

① 風花や 原始ケ原に 降臨す

② 風花を 口開け目閉じ 芯で受く

③ 手のひらで 風花ふたつ 水となり

 

 12月の句会は、忘年会を兼ねたが、アルコール無しの昼食会となった。当時、会員9名の全員参加となった。私は、季語を捜していて、「風花」がとても気に入って、今月のテーマとした。

 北海道十勝岳(2052m)の南西に「原始ヶ原」という高層湿原があり、冬は雪原となる。ここで見た「風花」の大きな雪の結晶の印象が強烈で、今でも忘れられない。


 【俳句-①】は、「原始ヶ原」の雪原で見た「風花」の結晶の美しさを詠んだ。見上げると、太陽光のスポットライトを浴びた晴れ間から、金属光沢を放ちながら、雪片が湧き上がるように現れた。舞い下りてくる雪の輝きから、微かな鈴の音の調べが聞こえてくる。神秘的で幻想的な光景だった。まさに風花降臨である。

 「雪は天からの手紙である」氷雪の物理研究で有名な中谷宇吉郎博士の随筆の一節を思い出していた。中学校の国語の教科書にあったが、雪の結晶の顕微鏡写真撮影したのも、ここ十勝山系である。日本海で蒸発した水蒸気は、季節風と上昇気流によって内陸部に運ばれるので、大きな氷の結晶になるのだろう。

 

f:id:otontoro:20200807150726j:plain

十勝岳への予備山行(雪原でのキャンプ)


 【俳句-②】は、私が口をあけて飲み込もうとしたり、目を閉じて真芯で「風花」を顔で受けて、その感触を楽しんだ時の光景である。
 Sさんの私の俳句への感想は、状況はわかって楽しいが、表現はもう一歩かな・・である。同様な思いを、私はSさんの「星役がちょこちょこ歩くクリスマス」という句に対してしたが、幼稚園児の仕草とそれを見ている人の微笑ましさが感じられる。


 【俳句-③】は、私の手の体温で「風花」が解けて、氷の結晶から液体の水に物理変化していく不思議さを詠んだ。

 私たちは、真冬のトムラウシ山(2141m)をめざし、十勝山系の森林地帯を抜け、10泊11日の山行をした。その初日に、富良野から布部川の尾根を経由して、原始ヶ原を踏破した。

 その時の気温は低いので、「風花」はミトンの上に舞い降りても、なかなか解けない。直径が1.5cmもある正六角形をした氷の結晶が、輝いている。ミトンと下にはめた手袋をとって、手のひらで受けると、雪花は解けて水滴になった。

 辺りは、タンネの下枝の深緑以外、全て真っ白な世界である。そして、その風景の全ての細部までが、美しい雪の芸術品で加工されているかと思うと、雪の上にできたシュプールを付けてきたことが悔やまれる。大自然の芸術を傷つけてしまったと思うからだ。しかし、数日もすれば雪が新たに積もり、私たちの足跡も消してくれるかと思い直すと、全てはあるがままという気持ちになった。

 そんな思いから、ふたつの雪花が、私の手の中で融合して違う姿に変わりゆくことも、自然なんだなあと思った。

 

f:id:otontoro:20200807151035j:plain

厳冬期のトムラウシ山へのルート

 

【編集後記】

 既に「はてなブログ」に載せた『十勝連峰東部森林帯』(2020年4月)に山行の紀行文はあるので、興味のある方は、見てください。

 「風花(かざはな)」とは、気温がある程度低く、無風か風の弱い、冬晴れの日に、青空から舞い降りてくる雪の結晶片である。地上でも観察できるが、多くは山岳地帯で見られる。本文で説明したように、大きな雪の結晶に感動したわけだが、言葉の響きも魅力的で、季語として選んだ。季語の「雪」も、「六花(むつのはな)」という言い方もある。