① 日が暮れて 南オリオン 春浅し
② 春兆す 味噌汁湯気に 朝日さす
③ 山小屋(やま)の水 汲みて雪解の 便りきく
今月下旬の日曜日に「前山地区・区民の集い」という公民館主催の文化作品展示会があり、「みゆき会」では、例年のように俳句の作品で参加した。
私の今月のテーマは、季語の中や日常生活の中で、早々と季節感を感じるとは、どういうことかという点だった。
【俳句-①】は、立春も過ぎて、少し日が延びてきたなと感じるようになった夕方、南東の空にオリオン星座の良く目立つ「三つ星」を見つけ、季節が動いたなあと詠んだ。
星座の見える位置は、季節変化を報せてくれる。冬は過ぎたけれど、本格的な春はまだなんだと感じた。
ただし、「夕方に、冬を代表するオリオン星座が、南に見えることが、真冬だったら、東の空に見えていたのに・・・」ということを知らないと、季節の移ろいがわからない。南の空に見えるオリオン星座が、なぜ春の兆しなのかを説明したが、会員の中には理解できない人もいたようだ。ちょっと偉ぶって、和歌や短歌を理解するには、自然の摂理を理解することだと、自慢してしまった。(反省)
【俳句-②】は、いつものように台所で朝飯を食べていたら、味噌汁の湯気に朝日が当たったので、「ずいぶんと季節が進んだんだ」と感じた思いを詠んだ。
私は、ほぼ毎朝、味噌汁を作り、それを別棟に住む老齢の母親の所へ持って行き、二人で朝飯を食べてから戻ってくる。味噌汁が好きで、自分で作るのも好きなのでしていることだが、定時になるのは規則正しい母親のペースに合わせているからである。
早く起きれば味噌汁作りをした後、新聞を読む時間があり、遅く起きた時は、でき次第に持参する。同じ時間に同じ場所に座っていると、太陽の差し込む時刻や方向が変わるので、季節変化に気づく。
早起きの私にとって、日の出の時刻や方向は、季節変化を体感する、かなり重要な情報源でもあります。
【俳句-③】は、区民の集いに出品した俳句画である。山小屋の飲料水を沢に汲みに行く。すると、雪解の状態が刻一刻と変わり、季節便を見ているようであり、驚きを詠んだ。しかし、説明を加えないと伝えたい情感がわからないかもしれない。私の説明を聞いて、S先輩は、『そんなに深い意味合いのある俳句だとは知らずに、選ばなくてご免!』と感想を述べられた。
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「奥手稲山の家」の小屋番に良く出かけた。
新雪スキーを楽しんだり、ストーブの火を囲んで酒を飲んだりすることが楽しみだったが、もうひとつ楽しみができた。小屋の傍らを流れる夕暮沢の水量を観察することだった。
冬の始めは、雪を少し掘れば沢の底に届き、小さなカップに小石を入れないようにして何杯も汲んでバケツに集めないといけない。
次に行った時は、沢は吹きだまりになっていて、深く掘らなくてはならなかった。しかし、厳冬期のある日を境に、深くなる穴につけた坂道は長くなるものの、水量が増えた。雪の穴の中が、青白い蛍光色になる時期である。小さなカップから、どんぶりに容器が変わる。
そして、日差しや木々の様子から、誰の目にも春の訪れがわかる頃になると、水汲み場に通じるトンネルは真っ暗で炭坑のようになる。その代わり、バケツで一気に半分ほど汲め、容器で汲み足すと、すぐに満杯になった。
山小屋の屋根の雪下ろしは、苦労だがダイナミックで楽しい。しかし、水汲みは地味な上に、冷たい沢水に手を浸すので辛い。だが、沢水の変化を観察するようになって、私は水汲みの仕事にも楽しみができた。
ちなみに、俳句画は冬山の訓練を兼ねた予備山行で、上ホロカメットク山をめざした時、経由した十勝岳温泉でのテント設営のスケッチが原画になっている。
(先月に、その原画は載せてある。)
【編集後記】
季節変化は、少しずつ進行しているので、注意深く観察していないと、過ぎた後で感じることの方が多い。
この点に関して、定時に同じ作業をしていると、『少し前までとは違う』ということを実感する。
例えば、今日は8月9日で、「立秋」の一日後だが、夏至の頃と比べると、日の出がずいぶん遅くなったと感じる。同じ、午前五時でも、今は薄暗い。
夏を体表する「サソリ座」を観察してみるのもいい。日本の北緯高度からは比較的、観察しやすいので、晴れた夏の夕方には南東から南の空で観察できる。
『心臓』部分と言われる「蠍座・アンターレス」を一度、覚えると、印象的な姿に感動すると共に、季節の移ろいを感じる(理解する)宇宙時計となる。