北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年度 睦月の俳句

      【睦月の句】 

 

 ①家路急く 宵の明星 受験生

 ②潮待てば 冬満月に 漕ぎ出でよ

 ③干支巡る 九月二日の 皆既日食 ⦅理科の授業三題》

 

 令和5年(癸卯みずのと・う)を迎える年越しや年始は、これまでの9年間と、大きく違った。ちょうど1年前の大晦日に救急搬送され、その後、治療と入院、そして退院後は、特別老人介護施設に入所したので、母が不在であった。また、長女が子ども(孫)を連れて、暮れから1カ月近く帰省していたが、今年、夫は、自宅待機で不在だったし、学齢期に入ったので、正月4日には故郷を後にした。

 さらに、勤務学校へは1月6日から登校するので、貴重な「年末年始休業」となった。『昔取った杵柄』とは言え、16年振りに教壇に立つので、少しは教材研究をしておかなくてはならない。「忘れた杵柄」になっている可能性もある。そんなつもりではいたが、二人の孫と遊んだり、我が家の趣味である散歩に全員で出かけたりしていて、大した準備もできなかった。

 休みが明け勤務が始まってみると、朝7:30には出勤し、帰宅は19:00を過ぎることも何回かあり、貴重な週休日も、定期テストの出題原稿作りや教材の準備などで、なかなか休めなかった。
 当然、俳句を作る時間もなくて、定例の一月俳句会は欠席した。2月に入って、少し余裕が出てきて、ようやく「睦月の俳句」を作ることができた。題材は、いずれも、理科の授業場面を思い出して、俳句にしてみた。


 【俳句-①】は、金星の見え方を学習した受験生が、夕闇迫る南西の空に輝く一番星を見つけ、『あれが宵の明星か』と、つぶやきながら家路を急ぐ場面を詠んでみた。受験生が春の季語となる。

「一番星って何?」の学習の中で

「最大離角」の東と西を間違えてしまった。すぐに修正をしました。

 理科授業の学習問題は、『一番星って何?』である。私と生徒とでは半世紀以上も年齢が隔たっているので、浅田美代子の歌った「幸せの一番星」や「赤い風船」は知らないだろう。それでも、雰囲気を盛り上げ、一番星を説明する為に、歌を披露した。太陽が西の空に沈み、暗くなり始めると、南西の空に明るく輝く星が見え始める。これが、一番星「金星」である。

 図のような学習カードを使って、金星の見え方を学んだ。
(ア)見える時間帯が、夕方か明け方に限られ、夜中には見えないこと。
(イ)見える方向は、宵の明星は南西、明けの明星は南東の空に見えること。
(ウ)内惑星の金星は、地球に接近した時と離れた時の距離が、約0.3~1.7天文単位(1.5億㎞)も違うので、見かけの大きさが変化することetc.を学んだ。

 高校受験を前に、下校後の家路の途中で観察することができる「宵の明星」で良かった。2023年6月4日に金星が「東方最大離角」となり、夜空で地平線から最も高く見える位置に移る。それまでは、しっかりと見えている。
 受験勉強で夜遅くまで起きている受験生は、勉強の合間に、暖房の効いた室内から厳寒な屋外に出て、星空を眺めているだろうか。

 

 【俳句-②】は、額田王の和歌を題材に、「いつ見た月で、どんな形であったのか?」を、潮の干満の様子や月の見え方から考えた時の授業での「解答」を歌にして詠んでみた。季語は、冬満月である。
 これは解説を加えないと、まったくわからないだろう。

 西暦660年、日本と親交のあった朝鮮半島百済(くだら)が、新羅(しらぎ)と唐(とう)の連合軍に侵略され、日本に援軍を要請してきた。
 661年1月、額田王(ぬかたのおおきみ)は、仕えていた斉明天皇(女性天皇)と共に、熱田津(にきたつ・現在の愛媛県松山市)を船出した。その時に詠んだ歌として、次の和歌が知られる。
 『熟田津に 船乗りせむと 月待てば 

          潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』

 学習問題額田王が見た月は、どのようであったのか?」を追究する過程で、潮待ちは『干潮(引き潮)』であり、待っていた月は東の空から上がってくることを手掛かりに、見た月の時刻・方向・形が、3パターンあることに気づいた。

(ア)夕方、東の空に満月
(イ)夜中、東の空に下弦の半月
(ウ)明け方、東の空に二十六日月の場合があるが、どれが良いか?

 これから異国の戦に出陣するという華々しいイメージから考えると、(ア)が良いのではないかということになった。 
 それで、『潮待てば冬満月に漕ぎ出でよ』としてみた。

 ちなみに、(ウ)の二十六日月では心寂しい印象だが、例えば、出陣の前祝いを夜通し行ない、空が明るくなって、日が昇ってくるという条件で、瀬戸内海に漕ぎ出していく方が、戦略的には良いのではないかと、私が振ってみたが、生徒は全員、(ア)が良いと答えた。

「月の見え方」の学習の中で



 【俳句-③】は、太陽・地球・月が、どんな条件となった時、「日食」になるか学習した授業で、ちょうど12年後の2035年9月2日に、私たちの住む地域で「皆既日食」が起きることを詠んだ。季語は、9月2日である。

 2023年から2035年までは、12年ある。干支(卯年から卯年)の一巡りも12年となるので、12年という説明的な表現より良いかと思い、採用してみた。
 問題は、季語だった。9月以外、なかなか思いつかない。「2.26」のような歴史的事件を始め「3.11」や「9.11」のようなものなら楽だが・・・と思いつつ、直接的でも
良いかなと「九月二日」にしてみた。長野市のデータでは、同日10時04分10秒から2分16秒間、真っ暗になる。とても楽しみである。

2035年9月2日 皆既日食

【編集後記】

  今日を最後に、12月23日から臨時に勤務してきたA中学校を去る。今は、同僚が、それぞれの生徒が進学した高校へ、中学校から引き継ぐ書類を届けに出かけている。

帰校してくれば、中学3年生の進路に関する業務は全て終わるので、私の明日からの仕事はなくなるので、3月31日まで4日を残すが、勤務終了ということにしようと思う。

 農閑期だからという理由と、「佐久の地質調査物語・その3」の地質図作りがうまくいかなくて、どこかに活路を求めていたような時期で、気軽な気持ちで引き受けた産休補助の勤務ではあったが、確かに大変ではあったが、生き甲斐の一部が新たに追加されたという思いである。私の人生にとって、とても得をしたなあと感じている。

 1月の頃の「日報」を綴っていたノートを見返していたら、1月13日付けの「3学年通信」に載せた原稿が出てきた。学校のプライベートな部分は省いて、私の原稿のみ紹介してみます。

            『何のために、誰のために学ぶのか?』

 宇宙の元素を自分の周りに集めて、生命体を作ったのは「C・炭素」、岩石を作ったのは「Si・珪素」、そして、最も地球らしい物質は「H2O・水」だと、私は思う。

 実際、水は極めて特異な性質をもっている。(1)氷(固体)が水(液体)に浮くことで、地球は救われた、(2)比熱(1.0cal/g℃)が一番大きくて、温まり難く冷めにくい性質の水のある海で、地球を優しくした、(3)極性の強い水分子間の隙間があるので、良く物を溶かし、お洗濯ができたり、血液や体液として物質を循環させたりできる、(4)大地を風化・浸食して、運搬・堆積作用の中でも、水(流水)の果たす役割は大きい、(5)水があるから、晴れたり、曇ったり、雨や雪が降ったり天気の変化がある、(6)何より、私たち生き物が生きていられる・・・と、捜せばまだまだあるが、水の際立った特徴に救われ、その恵みを受けた私たちは、今日を生きている。それ故に、「水の惑星」と呼ばれるのが、私たちの地球である。

 ところで、液体で一番密度の大きい4℃の水(1.0g/cm³)を加熱して温めていくと、次第に温度が上昇していく。平均海水面の1気圧(1013hPa)の下では、約100℃で沸騰して水蒸気になる。(ただし、気化は、低温の冷蔵庫の中でもあるので、一応、理論上の沸騰と理解して欲しい。)

 信州のような標高の高い所では、もう少し低い温度で沸騰するが、液体の水は、水蒸気という気体に変わる。しかし、『100℃の水と100℃の水蒸気は、同じ温度でも、内蔵しているエネルギー量は、天と地ほど違う』ということは、言われないと気づき難い。
 理由は、「暑い夏の日に打ち水をすると涼しくなる原理で、水が蒸発して水蒸気に変わる時、気化熱(540cal/g℃)を周囲から吸収するから」である。つまり、同じ温度値であっても、液体と気体では、中身が大きく違う。エネルギー量が違うという意味なのです。

 この状態変化を、今の中学3年生に当てはめて、我々学年職員の思いを伝えたい。

 中学生の今と、高校生になった同じ年の君は、たとえ年齢が同じでも、中身が違うという意味になります。水が液体から気体に姿を変える時、多くの熱エネルギーを得て状態変化が可能なように、変化できるだけのエネルギーを蓄積しなければ、真の「高校1年生」にはなれないと思うのです。
 生きていれば年を取るので、年齢だけは成長しますが、中身が付いてこない時、大人は、謙遜して『馬齢を重ねる』と言います。馬に失礼かと思いますが、馬は自分の将来と子孫の行く末を考えているとは思えません。しかし、人間は、『心の生き物』だと、私は常々思っています。
 ※『人は、(今がだらしなく見えても)絶対に馬鹿にするな!』と、逆に、『今、立派に見える人でも、(その人が大失敗した時)温かい気持ちで見てやってほしい!』と思います。なぜなら、人は、「自分がこう生きたい」と発心して、心を入れ替えて頑張ると決意する時、大きく変わります。むしろ変えられます。それ故に、「だめな人は、いつも、いつまでも駄目なのではなく、突然、自分を変えられるものなのです。反対に、尊敬されていた人でも、不注意や出来心で不誠実な人間になることもあります。でも、それはその人の全てではないので、立ち直れる機会が欲しいものだと思います。心が変れば、元の尊敬された人に戻れるはずですから・・・。私は、そんな風に思います。
 今の君たち、A中学校3年生は、十分に誠実で、進学に向けて努力をしていると思いますが、充実した高校生活のスタートを切る為に、さらに少しでも多くのエネルギー、つまりは学力と気力・人間力などを身に付けて欲しいです。必要最低限度のエネルギーが無いと、高校生にはなれませんが、余分に身に付けたエネルギーは、必ずや、次のステージでは、余裕や広い視野を育てる温床となって、より先の自分に適した生き方を模索できるようになると思うからです。
 そして、標題に掲げた「何の為に?」、「誰の為に?」の答が変っていくように思います。
 最低限度の答は、『受かる為、自分の為』だと思うのですが、

もっとエネルギー量が増えてくると、たぶん、その中身と方向が、それだけではないと考えられるようになるかもしれません。      (おとんとろ)