北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和5年 7月の俳句

         【文月の句】

①  暁の 冷気に背伸び 花擬宝珠

②  らっぱ飲み 鍔より見上ぐ 雲の峰

③  古稀にして ソバーキュリアス 夕焼け雲 

              《夏の一日》

 

 昨年は、異常に短い梅雨で、早い梅雨明けの後、佐久市では、6月下旬~7月始めにかけて猛暑日が続いたが、今年は、寧ろ雨の少ない梅雨を迎えている。
 梅雨前線の動きを見ると、関東甲信地方の梅雨入りが発表された6月8日から7月9日頃までは、沖縄地方から次第に北上してきて平年通りの梅雨かと思っていたら、留まることなく、一気に東北地方まで北上してしまった。梅雨前線は、水蒸気を多量に含んだ温暖な空気塊が前線面に添って西から東へ流れる「大気の川」と呼ばれる現象で説明できる場合が多いことがわかってきた。今年の場合、中国の揚子江の北部付近から朝鮮半島の中央部、日本海を経て、東北地方北部、そして太平洋へと流れる2000㎞以上にも及ぶ大気中の大河が、同じ地域の上空に居座って大雨を降らせていた。被害は九州各地と山陰地方、北陸地方、そして最後は東北地方へと及んだ。一方、梅雨前線が留まらなくて移動した地域、特に関東地方では、猛暑日が続いている。佐久地方でも、すっかり盛夏である。
 俳句での七月は、晩夏ではあるが、現実は夏真っ盛りなので、私自身の「夏の一日」をテーマにして、俳句(朝・昼・夕)の三題を創作してみようと思った。


 【俳句-①】は、朝の冷気の中で、背伸びをして深呼吸をする。その先には、同じく背伸びをしているかのように、台座のような葉から、すくっと茎が伸びて擬宝珠の白い花が咲いている様を詠んでみた。
 「(花)擬宝珠(ぎぼし・ギボウシ)」が、夏の季語である。

擬宝珠(ぎぼし・ぎぼうしゅ・ギボウシ)

 【写真】は、我が家の庭の一部で、アスナロの木の下に「ギボウシ」が咲いている。
 朝の日課のひとつは、自宅露地の防犯灯を消して、門のゲートを開ける。それから、味噌汁とポテトサラダと、今は夏野菜料理を作る。出来上がったところで、新聞受けに「信濃毎日新聞」を取りにいく。
 新聞は、朝食後に読むことになるが、新聞受けが門の内側にあるので、毎朝配達してくれるHさんが配る前に、ゲートを開けておかないといけない。だから寝坊は許されない。
 その折、晴れて気持ちの良い朝は、思わず腕を上げて背伸びをしながら深呼吸をする。今頃は、ヤマユリオニユリも咲いているので、そちらの匂いもしてくる。そんな朝が迎えられると、今日も一日頑張ろうという気持ちになる。

 


【俳句-②】は、十分過ぎるほどのお茶を飲んでから、野良仕事に出掛けるが、汗になって出てしまい、冷水を入れた水筒から「ラッパ飲み」をする。帽子の鍔(つば)が見えるほど顔を上げるので、夏空が良く見える。水の「うまさ」と白い雲の「爽やかさ」に感動したことを詠んでみた。季語は、「雲の峰」である。

 

入道雲

巻積雲 【巻(or絹)雲より少し低空】

 
 この俳句を内輪の句会で披露した時の季語は、「夏の雲」でした。また、実際に目撃した雲の種類は、巻雲や巻積雲などでした。
 『でも、鍔より見上ぐなので「雲の峰」というのも様になるけど、物理的には不自然だからなあ』と付け加えました。すると、会の仲間から、『俳句は自然観察記録ではないんだから、情緒がある方がいい』とアドバイスをいただき、「雲の峰」入道雲にすることにしました。
 一刻も早く水を飲みたいものだから、水筒を逆さにすると、視線は天頂に向く。すると快晴の日に見えている雲は、巻雲や巻積雲、場合によっては晴れ積雲である。実際、俳句の原体験となった空には、そんな雲が浮かんでいて清々しく涼しげに感じられた。
 一方、入道雲なら視線を少し上にするだけで見えるし、ラッパ飲みをするまでもない。もし、ラッパ飲みして入道雲が視線上にあれば、積乱雲の真下にいることになって、空は真っ黒で落雷の恐れもある。そんな気持ちから、「夏の空」にしようかに迷い、「夏の雲」にしたのだが、文学的には、確かに雲の峰の方が、ずっと趣がある。

 

【俳句-③】は、古稀、すなわち70歳にして夕焼け雲が美しいと感動したことらしいとはわかるが、説明を聞かないと、何のことか理解できないだろう。実際、補助説明がないとわからないような俳句は、明らかに下作だと言わざるを得ないが・・・。季語は、夕焼け雲で、「ゆやけぐも」と読む。夏の季語である。
 「ソバー・キュリアス」とは、英語の「sober(酒を飲んでいない、しらふの)とcuriour(興味がある)」の造語で、お酒が飲めないので飲まないのではなく、お酒は好きで飲めるのだけれど、健康やその他の目的で寧ろ飲まない生活をしようという現代のトレンドだそうである。若者の間に広がりつつあり、欧米から日本にも、その波が届き始めていると言う。それまでの日本語では、「断酒」という言い方に近いことになるが、少しばかり理論武装した哲学がある雰囲気もある。
 実は、私が、もうじき古稀を迎えるのだが、この「ソバーキュリアス」な生活を始めようと決心した。これまでの人生の中で、既に、「禁酒」や「断酒」は、何十回、否、何百回も試みてきたが、せいぜい、連続3~4日間ぐらいが限界で、
試みの回数分だけ挫折してきた。

 同じような試みと挫折は、喫煙でも経験してきた。こちらは64歳を迎える夏を境に、きっぱりと止めることができた。煙草を吸いたいのを我慢していた苦痛や、喫煙所を捜し回った煩わしさは、私の中で昔話となった。
 それで今度は、古稀を迎える夏に、「禁酒」でも「断酒」でもない、「ソバーキュリアス」な生活をしようと、少し本気を出して誓ってみた。

夕焼け雲は美しいが・・・

 野良仕事をして、気持ちの良い汗をかき、体調も良いと、アルコールが欲しくなる。朝や日が高い時は、アルコールの「ア」の字も頭に浮かぶことはないが、
夕方になると、美しい夕焼け雲を眺めていても、心が「そわそわ」してくる。
 それで、「ついつい」という経験を何度となく繰り返してきたが、この俳句を創作した時は、約1カ月間、飲むのを止めていて、夕焼け雲を見ても、誘惑されない自分がいることに気づき、自分への応援歌のつもりで、俳句を詠んでみた。
この先、どうなることやら?


【編集後記】

 「花擬宝珠」の季語は、初めて使ってみました。先輩Sさんの話では、人気の季語であるらしい。確かに、草花の特徴の他に、名称でも趣がある。
 ちなみに、植物分類では、キジカクシ科・リュウゼツラン亜科ギボウシ属で、学名「Hosta」の総称である。名称については、擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛であるようだ。蕾や包葉に包まれた若い花序が、擬宝珠に似ていることに由来する。各地での地方名もあるようだが、英語名「plantain lily」は、「オオバコ・ユリ」と訳せて、オオバコの葉に似た葉の拡大形なので、納得してしまう。
 
 ところで、「ギボウシ」は、我が家の庭の少し日陰な一画にあるが、歴史から言うと、比較的新しい部類になる。
 すぐ後ろの「アスナロ」は、父の存命中の植樹だが、それ以降である。「チャボヒバ」「ムクゲ」を、私が除いた後なので、少なくとも平成に入ってから植えられたと思う。

ハイジの里のバラ(ギボウシの葉の手前)

 ここで話題にしたいのは、最近、北杜市の「ハイジの里」を旅行して、綺麗な薔薇を購入してきたことだ。狭い庭には様々な思い入れの草花が既に植えられているので、ギボウシの横にようやくスペースを見つけて植えた。5月連休前には、深紅の花を付けて目立っていたが、ギボウシが大きく背丈を伸ばしてくると、埋もれてしまっている。ギボウシの花が枯れて、葉っぱだけが目立つようになると、再び見えるようになると思うのだが・・・。

航空機から見た「金床雲」(インターネットより)

 入道雲の話題があったが、写真のような巨大入道雲の画像を見つけた。「金床(かなとこ)雲」である。雲の上限は、対流圏と成層圏の境で、まさに空の天井に上昇気流が激しく突き当たって横に広がっている姿だ。季節や緯度によって差はあるが、高度は、約1万mである。
 私たち世代は、中学校の技術・家庭科の時間に金属加工の単元があり、実際に金床を使ったので、懐かしい響きと共に理解できるが、若い世代では、知らないようだ。形は本当に良く似ている。

 金属加工で、製作した「文鎮」は、奉燈俳句の俳額を墨書する時に使っている。トタン板材で作った「ちりとり」は、取っ手は無くなってしまったが、まだ残っている。半世紀以上昔の物が残っているのはすごいと思う。(おとんとろ)