北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和二年の夏終わる(葉月の句)

① 蜩ひぐらしの 調べ健気に 足るを知る

② 霊魂(たましい)の 巡る時空へ 星が飛ぶ

③ 母子疎開 令和二年の  夏終わる

 

 今年の梅雨期も長引いて、かろうじて7月の最終日に明けた。佐久地方では、日照時間が少なく、夏野菜の生育が遅れ、いつまでも食べられなかった。お盆頃になって、ようやく茄子の元気が出てきて、夏の食卓らしさを感じた。
 今月は、コロナ禍による特別な夏でもあったので、そんな内容もテーマに入れて、俳句を創作してみた。

 ところで、中国の長江(チャウジアン)流域では、6月の梅雨入り以降、雨が続き、7月下旬には支流の越水で、住民避難や農地の冠水で、大きな被害が出た。特に8月30日~31日には、長江上流部の四川省で再び豪雨となった。この間、湖北省の「三峡ダム」は警戒水位を超えることがあり、その話題が日々、報じられていた。
 日本でも、7月は九州地方を中心に、豪雨による洪水被害があった。幸いにも、台風の襲来がなかったことが、救いであった。


 【俳句-①】は、夏の日の夕暮れに、蜩(ヒグラシ)の鳴き声を聞いていると、その調べは、物悲しさと言うより、寧ろ、健気(けなげ)に感じられて、自身の生き方を見ているような心境になったことを詠んだ。

 夏の夕方を象徴する音のひとつに、蜩の鳴き声がある。
 特に、「日暮」という漢字にしてみると、日中の大地の灼熱や草いきれから解放された、一日の終わりを連想する。農家であれば、太陽の余熱を感じながらも、作業着を脱いで縁側にくつろいでいるかもしれない。定時に帰宅できる勤め人であれば、風呂上がりのビールでも・・といきたいところか。
 ところが、現実の現役世代は、特別なことでもない限り、明るい内に帰宅することはなく、しっかりと働いているようだ。
 一方、私は、一日の農作業など終え、早々と入浴を澄ませ、「ウィスキーの水割り」を飲みながら日記を認めている。そんな時、蜩の鳴き声がする。
 決して、楽隠居という訳ではないが、一日の労働を真面目に努め、かと言って超過勤務はせずに、まだ少々日の高い内に、『残りは明日』と、切り上げて帰宅してくる。そんな、誰にも迷惑をかける訳でもないが、反対に、誰かに重大な影響を与える訳でもない生き方が、日暮らしだなあと感じた。

 それで、少しだけ格好をつけ、禅寺の『吾唯知足』ではないが、『足るを知る(知足)』とまとめてみた。・・・実際は、そんな健全な生活を送っているわけではないことを強調しておきます。
 ちなみに、蜩(ヒグラシ蝉)は、夏に鳴いているので、夏の季語かと思いきや、秋の季語に分類されている。8月は、暦の上では立秋過ぎなので、秋でも良いのだろう。

 

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ヒグラシ(セミ



 【俳句-②】は、夏の有名な「ペルセウス座流星群」がピークを迎えるので、
それを俳句にしてみようと詠んだが、真意は少し違ったものとなった。

 説明が必要だ。インターネット情報で、ペルセウス座流星群のピークは、8月12日の夜10時頃で、13日の明け方にかけて良く見えると言う。下弦の月で、観察する条件はいい。
 早寝の私には、夜10時は、とても無理なので、午後8時過ぎから30分ほど、庭に出て星空を眺めていた。流星群というから期待していた。しばらくして、南西の空にひとつ星が流れ、感激した。それから、かなり時間が経って南東方向に流星を見て、引き揚げた。後で、流星群の放射点は、その時間帯なら北東方向だと知ったが、次の晩や未明の観察をするほどの興味は湧いてこなかった。

 しかし、お盆過ぎに、父の弟(叔父)が、亡くなったと言う訃報を聞いて、弔問に伺う前の晩、星空を眺めた時、流星を見た晩のことから連想した。
 ちょっと「オカルト」めいた発想だが、人が死んで、その人の霊魂(たましい)が、流れ星のように、見えない世界、すなわち「あの世」へとワープしていくのかなと思った。

 もちろん、流星は星間物質が、地球大気との摩擦熱で昇華している現象だという科学知識はあるが、人の生死が、宇宙を巡っているような錯覚を覚える星の神秘さだった。そんな意味を込めて、叔父への追悼句である。

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ネオワイズ彗星

 

 

 【俳句-③】は、コロナ禍の為に、私の娘と孫の母子が、一夏を田舎で過ごしたことを皮肉って、「母子疎開」と詠んでみた。
 新型コロナ・ウイルス感染の拡大防止策で、『お正月に帰省できなくなってしまうかもしれないから・・・』と、娘たち夫婦が7月の4連休前にやってきた。
2020東京オリンピック大会の開会式を予定していた祝日「スポーツの日」の2日前から来て、4連休を合わせて、5泊6日の日程である。そして、日曜日の昼過ぎに、準都会とも言うべきK市へと帰って行った。
 ところが、月曜の朝、再び帰省すると電話してきた。夫の在宅テレワーク勤務が交代で、一週間出勤することになった。夫は、1時間ほどかけて、都心へと通勤する。そして常に、感染リスクを背負って帰宅する。孫の幼稚園は隔日登園で、週3日だけ通う。狭い住宅環境では、わんぱくエネルギーを持て余している。
 それで、『再び帰省するが、いいか?』と言われれば、拒絶もできない。娘の本音の所は、夫や二人の子どもが、狭い空間で四六時中、うろうろしているので、ストレスを抱えていて、自分が開放されたいのであろう。肩こりや頭痛を訴えていた。・・・・月曜日の午後2時、途中お昼ご飯も食べずに、ノンストップで、高速自動車道を走行して、故郷へ帰ってきた。
 それから、8月1日のお墓参り(佐久地方独自の風習)から、お盆も過ぎて、夫の再び在宅テレワーク勤務2週間(14日間)を確認した8月23日(日)に、夫が迎えに来て、皆でK市へと帰って行った。
 孫たちとの自然体験を始め、一夏のエピソード紹介は他の機会に譲るが、一抹の淋しさより寧ろ、再び老齢世代の安寧な日常が戻ったことに感謝している。加えて、令和2年の夏という、後で振り返った時、特別であった夏だと懐かしく思い返したいと思った。

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戦時中の学童疎開の様子

【編集後記】

 今月の表題を「令和二年の夏終わる」としたが、コロナ禍の夏は、今年だけとして欲しいものである。

 3月下旬~4月にかけての新型コロナ・ウイルスの感染拡大(第1波)でも驚いたが、特に7月中旬からの「一日当たり新規感染者」の加速度的増加は、恐怖であった。このまま、欧米でのパンデミックのようになねかと不安であったが、8月中旬から減り始め、消滅はしないが小康状態となった。どうやら、これが第2波のようだ。

 そして、11月に入り、再び、それも、さらに加速度的な増加となって、各地でこれまでの新規感染者数の最高記録を更新している。増して不安なのは、世界や日本の問題と関心をもって警戒をしていたとはいえ、都市部での話題だと少し冷静に見ていたが、とうとう私の住む身近な市町村でも、感染者(陽性反応)が少人数とはいえ、報告されている。

 かすかでも希望の灯りが見えるのは、「ワクチン」開発で、治療・予防効果の期待できそうな製品が実用化されようとしている。まずは、医療関係者から接種・投与することになる。その日が、一日も早く訪れることを願う。

                  *  *  *

  ところで、英語でコロナ・ウイルス(Corona Virus)のニュースを聞く機会も出てきたが、日本語の「ワクチン」は、英語の「 Vaccine」で、発音に注意していると、『バクチーン』と「チ」にアクセントがあって、伸ばしている。医学用語として日本に入ってきた言葉だから仕方ないが・・・。

 同じ思いは、本当に大昔、学生の頃のこと、英語検定の面接テストで、砂漠の「Oasis」を「オアシス」と発音したら、『オウエイシス』と訂正された。まさに、哲学者の「ゲーテ」が「ゴエテ」と表記するような話題のひとつである。

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レンズ雲(始め3~4層が重なった後)と茂来山