① 蛍籠 枕辺(まくらべ)点し 兄妹(あにいもと)
② 艶(つや)鈍し 鐘楼屋根に 梅雨の月
③ 蕺菜(どくだみ)や 薬師如来に 軒を借り
7月の句会は「暑気払い」を兼ねて少し遠出をし、「吟行」の真似ごとをしてみるのが恒例だったが、コロナ禍が続くので、いつもの地域公民館で、マスクを付けて開催することとなった。
お茶だけでは寂しいと、会員の持ち寄った飴を嘗めながら、お菓子を少々いただいた。これらの対応や状況が、これからも続くかと思うと、先が思いやられる。
【俳句-①】は、妹が老齢の母を訪ねて帰省したことから、急に子どもの頃の「蛍狩り」のことを思い出して、詠んでみた。
妹を連れて「陣川」という小さな水田用水路へ「蛍狩り」に行き、蛍を捕ってきては、蛍籠に入れた。その後、蛍籠を枕元に置いて、しばらくは眺めているが、いつしか二人とも眠ってしまっていた。
蛍籠の中には、「ホタルグサ」を入れた。露草(ツユクサ)の類ではなく、正式な名前は不明だが、小さな雑草で、子どもの頃、佐久地方ではそう呼んでいた。水辺で生活していた蛍なので、これを入れないと、乾燥して死んでしまうらしい。多くは、親の方が気を利かして、『かわいそうだから、逃がしてやりな』と言い、一晩か二晩ほどで逃がしてやった。
ところで、各地で蛍復活の話題を聞くが、私の思い出の陣川に、まだ蛍は戻ってきていない。
【俳句―②】は、たまたま外の空気が吸いたくなって庭に出た折り、薬師堂の鐘楼の上に、月が見えた。赤ペンキ色の屋根が、光沢もなく鈍く輪郭がぼやけている様を詠んだ。
油性ペンキも1~2年が限度のようで、鮮やかなペンキの光沢は薄れてくる。しかも、梅雨の時期といっても雨水に濡れているわけでもなく、月も南西方向の上弦の半月程度で、うっすら高積雲もかかっているので、月の光は弱々しかった。
ごくありふれた夜の光景だったが、季語の「梅雨の月」という表現が気に入った。
野口雨情(作詞)・中山晋平(作曲)の『雨降りお月さん』の童謡でも口ずさみたくなるような風情のある気がしてきた。
【俳句-3】は、薬師堂本堂の西側に、蕺菜(ドクダミ)が群生している。その一部は、お堂の回廊や、張り出した軒の下の雨が直接当たらない所にも生えている。あたかも、梅雨の雨降りを避けるように「雨宿り」をしているのかなと、少し洒落て詠んでみた。
お堂西側の里山は、更新世の「南佐久層群」の湖成層が、ほぼ水平に分布している。これは、八ヶ岳火山群由来の噴出物や砂・泥・礫からなる堆積岩層で、この付近では少なくとも5層準ある不透水層から、地下水が湧きだしている。
お堂の西からも、清水が流れ出てきているので、地面は乾いているようでも、少し地下では湿っている。直接、雨水がなくてもドクダミは生育できるようだ。寧ろ、乾燥しにくく、直射日光も、やや弱い方がいいらしい。
その意味で、御本尊の「薬師如来」にお堂の軒下を借りているという比喩も、当たらないことはないのかもしれない。
ところで、ドクダミ(学名:Houttuynia cordata)は、ドクダミ科ドクダミ属の多年草である。
好き嫌いは別にして、独特の匂いがあり、 薬草としての効能があるようだ。食用にしている食文化もあると聞く。
薬草として、十以上の効能があるので、「十薬または、重薬]と言う別名もある。
私は、4枚の白い花弁が十文字なので十なのかと、別名を聞いた時に思ったりもしたが、白い部分は花弁ではなく、総苞片(そうほうへん)という機関だ。
花は、と言うより、いくつかの花の塊(グループ)は、中央の黄色い「松ぼっくりを小さく細長くしたのような」所にあり、花弁を持っていない。
ドクダミの場合、白い部分を花と錯覚し、「花の群生」と言うと正確ではないが、淡い緑色の葉を背景に、白く浮き立つ文様が点滅するかのように風に揺れる光景は圧巻である。その美しさに感動して、題材にしてみた。
【編集後記】
ちょっと言い訳になるが、農作業も春先からの畑準備の頃も忙しいが、取り入れの済んだ晩秋からも、田終い(稻滓火・いなしび)で忙しくなる。私の場合、水田の方は人頼みで、わずかな面積の畑をいじっているだけだが、畑に刻んだ稻藁を入れたり、堆肥(昨年からの腐葉土)を入れたりと、それなりにやることがある。
それに、最大な原因は、だんだんと現実の原稿(月一回の俳句会に向けた)に近づいてきて、それの準備もしていた。まあ、これからもがんばって続けていこう。