北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和3年・奉燈俳句

 【倉沢薬師・奉燈俳句】

 

   夏空へ 届け薬師の 鐘聖し

 

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令和3年度 奉燈俳句の俳顎

 【奉燈俳句】は、夏に「東京オリンピック大会・パラリンピック大会」が無事に開催できますようにと、薬師堂の鐘楼に登って鐘を突いては祈ったことを詠んでみた。
 初冬から早春にかけての農閑期には、午後3時を少し回った頃から、寒風の日でも、1時間ほどの散歩に出かけることを日課としていた。そして、帰宅してから、我が家と隣接する薬師堂の鐘楼に登っては、『無事に東京五輪が成功しますように!』と、梵鐘を三回突いて、祈った。時刻は午後4時半前後となろうか。
 季節の移ろいの中で、日没時間は始めは早まり、その後は少しずつ遅くなってきたので、ほぼ同じ時刻でも、江戸時代の寺院のように「刻を報らせる」合図にはならなかっただろうが、近隣の人々は夕暮れの梵鐘の音を聞いていた。風流と感じた人より、迷惑であった人の方が多かったかもしれない。
 その音を『鐘聖し』と表現したのは、東京オリンピックパラリンピック競技大会組織委員会の会長・橋本聖子氏よろしく、大会の聖火をイメージしたからだ。ちなみに、橋本聖子さんは、東京五輪大会開会式(昭和39年10月10日)の5日前に、北海道の橋本牧場で生まれたので、聖火に因んで名付けられたと言う。昭和59年サラエボ冬季大会から平成8年アトランタ夏季大会まで、スピード・スケート競技と自転車競技の2種目で、合計7回もの大会に選手として出場しているスーパー・ウーマンでもある。

             *   *   *

 さて、今年の7月23日(臨時の祝日「スポーツの日」)には、第32回東京オリンピック大会の開会式が予定されている。本来は、昨年の7月23日(同じく臨時の祝日)に開催されるはずだったが、新型コロナ・ウイルス感染の世界的大流行(Pandemic)のせいで、一年先送りされた。それでも、流行は治まらず、数ヶ月先に迫った大会開催さえ危ぶまれている。運営方法の制限だけではなく、大会中止を叫ぶ世論調査結果さえ出てきている。
 『それは無いでしょう』というのは、私で、もちろん大会推進派である。投資還元や経済に配慮した立場ではないが、何が何でも開催を叫ぶ狂信派でもない。
情報は冷静に把握して、心を痛めながらも、大会の成功を願う一国民である。

 ただし、私自身が、心理学で言う「正常性バイアス」の意識であることは事実である。危機の可能性についての情報を得ていても、『第18回東京大会を前にして亡くなった池田勇人首相に代わり、佐藤栄作首相が無事に成し遂げたように、持病の悪化で退陣した安倍晋三前首相から、バトンを受けた菅義偉首相が立派に乗り切ってくれる』と、期待している。
 私が、コロナ禍とは比較的縁の薄い田舎に住み、しかも、人と接する現場を離れた野良仕事ぐらいの状況にあるからかもしれない。
 しかし、これらの思い込みに似た状態は、新たに発生した物事を正常の範囲だと、自分に言い聞かせるような、自動的に認識する為の心の働き(メカニズム)だと言う。・・・だから、あまり強硬な発言は控えておこう。 

 ところで、昨年の奉燈俳句は、『瑠璃色の 五輪待つ空 燕交ふ』でした。
 コロナ禍で、2020東京大会が、丸一年延期されることなりました。そうなると、『1年後の晩春から初夏には、大空を燕が飛び交い、数ヶ月後の開催を、楽しみに待っているだろうな』と想像して、五輪大会開催への願いを込めて詠んだものです。まさに、二年越しの祈願を込めた奉燈句となってしまいました。


 【編集後記】

 奉燈俳句の額が出来上がり、快晴だったので4月20日の朝、H会長に電話を入れたら、『もう少し後でも良いかな』との返事でした。一方、4月26日の朝、突然に電話が入り、『風が強くてビニール・ハウスの修繕ができないので、今日やろう』ということになりました。私たち「みゆき会」は、こんな感じで、運営されています。
 令和になってから、薬師堂奉燈俳句の額は、私が担当しています。皆で俳画を描いたり(平成28年~30年)、墨書を書道家に依頼したりしてきましたが、90歳を越えるスタッフの皆さんの限界宣言から、私にお鉢が回ってきました。真実の実態は、やればできそうな人はいますが、最若手の私が引き受けると万事うまく治まるようだ。
 私も、『裸の王様』ではないから、自分の実力の程は、わきまえている。俳画を描くことも、墨書することも負担ではないが、優れているとは思っていない。それでも、敢えて挑戦してしまうのは、前向きな性格なんだと、呆れてしまう。

 奉燈俳額を掲げた後、これまで会から依頼されて墨書を担当していた、みゆき会員の夫で書家の玉峰氏が、鐘楼下の作品を見に来てくれた。偶然にも、私が外に出ていて、お会いすることができた。
 『若い人が伝統を引き継いでいてくれるので、安心しました』と、俳額の奉納を喜んでいただけた。何にも増して、励ましの言葉でした。(おとんとろ)