北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和5年 11月の俳句

          【霜月の句】

 

①泥も味 おろす長薯(ながいも) 自然流(じねんりゅう)

②潜戸(くぐりど)を 急かす狐火 祖母の譚(たん)

➂柊鰯(やいかがし)峠につづく 石畳         

                《夕暮れ早まる》

 

 かなり暖かな霜月の始まりで、特に、佐久市民総合文化祭の開催された3連休は、好天に恵まれ、近隣の市町村でも各種イベント行事が盛んだった。
 今年は11月8日が「立冬」で、これから「立春」の前日、2月3日の節分までが、暦の上で冬となるので、11月は、初冬ということになる。
 さて、新聞や国際ニュースを見聞きすると、相変わらず暗く厳しい現実ばかりで、イスラエルハマスの戦闘の話題で、ロシアのウクライナ侵攻に関する情報が、すっかり影を潜めがちである。国内では、ヒグマやツキノワグマの出没や被害の話題が目を引いた。
 直接体験の方が俳句を創作し易いので、題材を捜したが、日一日と日没時刻が早まって、辺りが急に暗くなっていくことが印象深い。実際、地軸の傾きと公転の関係から、日没時刻の一番早いのは、11月下旬~12月初旬となる。佐久市の場合、厳密には、11月30日で、16時31分です。もっとも、佐久盆地の西端に位置する我が家では、午後2時半には太陽が山に沈んでしまい、日光の直接照射は無くなる。それで、「夕暮れ早まる」から連想したことを題材にしてみました。


 【俳句-①】は、日暮れが早くなり始めたので、そろそろ良いかと畑で栽培した「長薯」を収穫した。食卓に並べようとするが、付着した泥がきれいに洗い流すことができずに、やや泥(赤土)や外皮も一緒に、「おろし」にして食べている様を詠んでみました。季語は、「長薯(とろろ芋)」で、秋です。

ナガイモ(山の薯)の収穫 10/31

 【写真】は、ほぼ一日がかりで掘り起こした長薯の一部です。見た通りの方向で、土の中に埋まっていました。左から3番目のものが、一番まともな姿に近いです。、他のは下方に、骨盤の一部のように広がっています。
 原因は、山の畑の、しかも、端っこで栽培したので、表土20~30cmの下は、硬い赤土層があり、根を深く成長させることができずに、側方へと栄養分を広げました。
 方向は真逆ですが、激しい上昇気流で積乱雲が発達した時、成層圏という壁にぶつかり、側方へと入道雲の先を広げた「巨大積乱雲・金床雲」になる原理と同じです。

 実際、長野県下で「長薯」の主力生産地は、かつての千曲川河川敷や、それに類する砂の多い土地で、地中深くまで自由に根が張れる条件の下で育てられています。


 我が家では、11月19日の「恵比寿講」を迎える晩に、新米でご飯を焚き、収穫した大根などの煮物、焼いた秋刀魚と共に、「とろろ汁」を添えた御膳にして、「恵比寿・大黒」の掛け軸の前に供しています。
 「とろろ汁」は、通称「おとろ」で、皮むき機で長薯の細かい根と外皮を除去し、おろし金で擂り潰します。かつては、すり鉢とすりこ木でした。
 しかし、私が今年初めて畑で育て、収穫した「長薯」は、あのような姿形なので、皮むき機を使って、きれいな部分だけにしようとすると、本体が無くなってしまいます。それで、金たわしで擦って泥を落としました。それでも、凹凸の中に赤土の泥が残ってしまいます。最後は、「泥も味付け」と割り切って、朝餉に添えることにしました。気にしないで、超高価な「自然薯」と思えば、最高です。
 要は、皮が、きれいに剥けないことが原因なのですが、小林一茶も好んで食べたと伝わる貴重な本物の「自然薯」を意識して、ずぼらな料理を「自然流(じねんりゅう)」と詠んでみました。

大黒様(左)と恵比寿様(右)の掛け軸



                  *   *   *

 ところで、「いも」と読む漢字は、「芋」「薯」「藷」の3つあり、「芋」だけが常用漢字です。一般的に「ナガイモ(とろろいも)」は「長芋」と書かれますが、「芋」という漢字はイモ類のなかでも「里芋」を表す漢字だそうです。だから、「山のイモ」の栽培種「ナガイモ」は、天然の「自然薯」を表す「薯」が良いかと言う解説を見つけました。
 ちなみに、「藷」は「サトウキビ」、「甘藷」は「サツマイモ」、「馬鈴薯」は、「ジャガイモ」を表します。

 


 【俳句-②】は、既に亡くなってから35年以上たつ、私の祖母が実体験として語ってくれた「狐火」の話が、夕暮れの早まった今、なぜか蘇ってきたので、詠んでみました。季語は、「狐火」であり、冬である。
 現在、「狐火」なる自然現象は、滅多に見られないが、祖母が体験した記憶だけでなく、民話や歴史上の逸話の多さを総合すれば、科学的には説明し切れないものの、現象としては、事実なのだろうと思う。昔の人の「迷信」や「作り話」だと決めつけられない。
 実際、私の祖母が体験したのは、我が家が完成する大正9年秋の少し前、本家の兄夫婦と一年間ほど同居していた頃の話である。
 当時は夕刻になると、門の大きな扉は、角材を入れて閉めていた。そして、閉門の後で出入りしようとする時は、脇扉に相当する「潜戸(くぐりど)」を利用するというのが一般的であった。こちらは、簡易な方法で開け閉めができる。

狐火のイメージ


 さて、現代の建築に関する法律(例えば、消防法)では、特に、公共施設の主要な扉は、外に向かって開くように決められていて、実際にそう設置されている。外開きは、欧米社会でも同じだが、こちらは法律成立以前の昔からの慣習である。ところが、日本の門や扉は、内開きであることが多い。
 これは、両者の外敵に対する防衛姿勢や文化の違いだそうだが、私など、それを他人や公共に迷惑をかけないように配慮した日本文化だと理解している。
        
 祖母の話によると、日暮れの早まった頃、本家の兄嫁と一緒に、暗くなった近くの向山(むこうやま・地名)へ翌朝の味噌汁具材を取りに行き、「狐火」に遭遇したらしい。怖くて駆けて逃げ帰った二人は、「潜戸」の開け方も忘れて、苦闘した。祖母が、先にいる兄嫁に『早く早く』と急かせるが、なかなか潜戸が開けられなかったと言う。それだけ怯えていたようだ!
 俗に言う「狐火」は、複数の明かりが「ぽっ・ぽっ・ぽっ」と移動したと言う。明かりは、ぼんやりとした提灯行列のようにも見えたらしい。かなり真剣な祖母の語りようなので、私は子ども心に、真実だと思っていた。

                       *   *   *

 「狐火」の原因には、諸説あるようだが、いずれも完全に説明できていない。
その中で、「野山を駆ける狐の尻尾が、月明かりに反射したから」という説があるが、これは嘘だと思う。使用したイラスト「狐火のイメージ」の白狐の尻尾も誇張して大きく描かれているが、狐って、基本、小型~中型犬のようなものなので、尻尾だけが大きいということは無いはずです。寧ろ、M少年自然の家の林道で、倒れていた子狐は、飢えて骨と皮だけとなって本当に痩せ細り、針金細工を見るかのようでした。野生の狐は、身体もかなり痩せていると思います。

 ところで、題材を「狐火」と決め、参考までにインターネットで狐火を詠んだ俳句を検索してみました。すると、以下の3類型が多いことがわかりました。
 Aː狐からの連想から、なぜか女性が詠まれている。(事例は略)
 Bː狐火を目撃した話を古老や祖父母から聞いた。(まさに、私の句の類)
     ・『狐火に 会ひたることを 婆は云ふ』(保坂加津夫)
    ・『狐火を 見し祖父はるか 囲炉裏端』(池田光子)
     ・『狐火の 山ころげて 来し話』 (今井千鶴子)
 Cː昔は「狐火」を見ることがあったが、今は見られなくなった。
     ・『狐火の 潜みし森も ダムの底』(柳川 晋 )
    ・『村々に 電灯ついて 狐火消ゆ』(森 なほ子)
     ・『高速道 狐火並び 走りゆく』(渡辺 暁 )
  ※最後の、渡辺さんの俳句は、私の祖母たちが見た場所が、今では、中部横断自動車道となって、夕闇の中、右からも左からも、ヘッドライトを点けた自動車が走り抜けていく様を、ものの見事に言い当てている感がして、苦笑してしまいました。

                    *   *   *

 最近、原子力工学の研究者で文筆活動もされている田坂広志(たかさ・ひろし)さんの著作物を読み進めていて、興味ある話題に出会いました。

「ビッグ・バン」のイメージ

 「ゼロ・ポイント・フィールド(Zero Point Field)という、宇宙の過去、現在、未来が記録されていると場所がある 」という仮説のことを知りました。


 この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に、この場所があり、ここに、宇宙の全ての出来事の全ての情報が記録されていると言います
 量子力学(Quantum Physics)では、真空の中にも膨大なエネルギーが潜んでいて、真空は何も無い世界ではなく、量子真空(Quantum Vacuum)と言います。
 (∵)138億年前、量子真空が、ビッグバン(Big Bang)して宇宙が誕生し、膨張(inflation)しているのが、現在の姿です。       

 特に、私が興味を覚えたフレーズは、≪物質は、全てエネルギーであり、波動である。質量を持った固い物質と感じるのは、人間の日常感覚がもたらす錯覚に過ぎない。≫という部分です。例のアインシュタインの「E=mc²」の世界です。
 量子力学という専門分野など、まったく理解できない私ですが、著作物を読んでいると、例えば、「狐火」という原因不明な自然現象が、明らかに、過去にも現在にも、そして未来にも存在しているのに、見えないのは、気づけないだけで、何かの拍子に、著書の中の表現を借りれば、「ゼロ・ポイント・フィールド」と繋がった時に、見えてくるような気がします。そして、もちろん私は、「狐火」は何らかの自然現象で、見たという人の錯覚や幻想ではないと思っています。

 

 【俳句-➂】は、昔の宿場町から峠に向かう街道に石畳が続いている。山道になった辺りで、葉を落として枝だけとなった枝先に「鰯(イワシ)」が何本か挿してあった。地方によっては、柊(ヒイラギ)の枝を挿して、邪気を払うと言う。
夕暮れが迫る中、当時は、風習の意味を知らなかったので、不気味に感じていた。その時の思い出を詠んでみました。
 季語は、「柊挿す」が原型だと思いますが、「柊鰯(ひいらぎ・いわし)」を使うことが多いようで、地方によっては、「鰯」を始め、焼いて臭いのでる素材を使っていることから、「焼き嗅し」(少し訛って、やいかがし)と言うようです。 それで、「上五句」の語呂に合わせて、「柊鰯」を「やいかがし」と読ませることにしました。(俳句の名人でもないのに、勝手に季語を解釈してしまっていることをお許しください。)

柊と鰯(の頭)

 

 「曼荼羅の里」とキャッチフレーズで呼ばれる信州の筑北地方で勤務していたことがある。善光寺西街道が通っていて、休日には自動車で出掛け、ポイント毎に良く歩いたものである。
 筑北村(旧・本城村)の「乱橋(みだれはし)」から立峠(たちとうげ)への散策は印象的だったので、この俳句となった。
 節分の「豆まき」は、幼い頃から自分でも体験していたが、鬼や邪気を寄せ付けない為に、柊の葉を挿したり、焼いた鰯の頭を挿したりする風習が、全国的に行なわれているとは知らなかった。
 それで、石畳から峠までの山道は、季節を跨いで何度か歩いたが、枯れ枝に鰯が刺してあるのを見た時は、辺りも日暮れ時なので、いかがわしい信仰の呪いの目印か、野獣毒殺の為か等と、想像していた。諺に『鰯の頭も信心から』というのがあるが、まさに、そんな現実との距離感を感じて、不気味であった。
 ただ私の記憶では、この俳句の光景は節分(二月初旬)の頃ではなく、晩秋から初冬の頃であったような気がしている。それで、「夕暮れ早まる」テーマから、俳句にしたのだが、今となっては定かではない。

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 ところで、「善光寺西街道」は、長野県の東信地方を経由する「善光寺東街道」すなわち北国街道に対する言い方で、中山道の「洗馬宿」から善光寺を結ぶ街道である。筑北地域は宿場周辺以外は山道である。今も、寂しい山峡の地なので、江戸時代は、追いはぎや山犬でも出そうな恐ろしい道筋であったのではないか。それが、乱橋側の一部には石畳(現在のものは観光用に復元・整備)があったようで、これを見た旅人は、人里が近づいたかと勇気付けられたのではないかと想像する。
 私は、「立峠」付近、青柳宿の北の「切通し」、「猿ケ馬場峠」付近なども訪ねてみた。平安期以降、国内の戦乱の直接的な影響を比較的受けなかった地域で、古い寺院や貴重な文化財が残っていて、それらも見学することができた。

 

【図】を見ると、会田宿(松本市四賀)から立峠を経て青柳宿(筑北村坂北)までは、かなり距離がある。
 そこで、天候の急変や旅人の体調不良など、様々な理由から、中間の宿場が設けられた。それが、乱橋宿であり、「間宿(あいのしゅく)」と呼ばれる施設である。

 

 【編集後記】

 その月の俳句の解説を同じ月内に、「はてなブログ」に載せられるのは初めてかもしれない。俳句を作ってから資料を集めたのではなく、創作中に参考となる情報や関連する内容を意識して集めていたから実現できた事かもしれない。
 もうひとつは、12月8日に予定される「佐久俳句連盟(佐久俳連)」の主催する「冬の俳句大会」のプレッシャーがあるとも言える。私の所属している俳句会のメンバーは、現在は、ご高齢を理由に止められた方もいるが、ほとんど「佐久俳連」に所属していた経験がある。入会を勧められる度に「私の専門は他にありますので・・・」と断り続けたが、様々な理由から、入会することを決めた。
 佐久俳連の会員の多くは、俳句の力量ばかりか年齢も含め、私の先輩格の方である。そこに新規参加して投稿するとなると、緊張感が走る。それにも増して、師走は、定例会もあるので、3句×2の6句を創作しなくてはならないと思い、力が入った。
 しかし、11月の定例「みゆき会」で、私の作品(3句)を推す推薦票は無かったので、まさに歴史的な真珠湾攻撃の12月8日に向けて、少しは、「推し」を得るような俳句3題を用意しないといけないようだ。

 現在放映中のNHK大河ドラマ徳川家康」を真似て、「どうする? おとんとろ」

                 (おとんとろ)

柊(ヒイラギ)の花と果実