北海道での青春

紀行文を載せる予定

平成6年度 鼻顔稲荷・初午奉燈俳句

   鼻顔稲荷初午奉燈俳句

 

① 春の夢 狐の輿(こし)の 残り香よ 

② 赤鳥居 潜(くぐ)りて今日も 梅暦

③  父詰めし 春の遠足 お稲荷さん    

              (稲荷神社に寄せて)

 

 

 令和5年秋に、所属する会の先輩に誘われて、佐久俳句連盟に入会することになった。早速、師走8日に「冬の俳句大会」があって、参加した。ひとり3句ずつ持ち寄り披露し合い、その後、当日の「席題」を創作して解説し合った。
 私は、「前山みゆき会」霜月句会の3句を提出した。また、当日の俳句は、師走句会にと準備しておいたもので対応した。ちょうど12月8日(当日)より2日後の12月10日朝の金星と月(二十六夜)の情景なので、良いだろうと披露した。私が即席で、俳句が詠めるほどの段階(レベル)に達していないので、仕方ない。
 今回の参加者は、私も含めて4人が新顔であった。他の方々は、それぞれ名前の知れた他の俳句会に所属していて、この通称「佐久俳連」にも入って活躍されているベテランばかりなので、私には「なるほど」と、納得させられる素晴らしい俳句ばかりであった。
 さて、会の終了時に、佐久市岩村田にある「鼻顔(はなずら)稲荷神社」の初午に際して、奉燈俳句を募集する旨が伝えられた。奉燈日は、建国記念の日の2月11日(日)である。
私たちが「倉澤薬師堂の花祭り」での奉燈俳句は、会員が少ないので全員の作品を載せているが、こちらは、会員だけでなく、会員外からも募集し、選考委員が正式に選ぶようである。私も、会員となったので、指定された葉書で2句提出することにした。
 それが、上に掲げた①と②の俳句です。
 ただし、句会の癖で3句用意した。また、いつもは、自分の体験を元に創作することが多いのだが、今回は、稲荷神社なので、「神の使いの狐」にテーマを絞ってみようと思いました。フィクション要素が多いです。指定の募集内容は、「当季雑詠」とあるので、奉燈日の2月11日、春の季語で良いかと思いました。


 【俳句-①】は、「狐の嫁入り」道中を見ていて、花嫁の乗った輿が、私の前を通過していく時に、突然、目が醒めた。しかし、お化粧の香りが残っているが、これは春の日の夢だったのか・・・・と、納得できない自分を振り返るファンタジーの世界を詠んでみた。
季語は、春(の夢)で、春である。 

 

 ヒントは、次女が学生時代に購入して読んでいた「百鬼夜行抄(今市子著)」シリーズの「狐の嫁入り」(ネムキ2000年7月号)にある。特異なコミックで、シリーズ全体を読まないと理解できないことも多いと思うが、「狐の嫁入り」については、およそ次のようなストーリーである。
 定年退職後の冴えない男が、ほろ酔い気分で帰宅した。男は居酒屋はおろか、スナックやバーで飲むこともないのに、有頂天で『金杯』を持ち返った。
不審に思う女房の心配通りに、熱病に襲われたが、治ってからは、金運が付きまくる。やがて、妖怪による「金杯返却の催促」が続くようになり、不眠に陥る。そこで、このシリーズ主人公に相談に来て、最後は解決という運びになる。(略)
 ところで、『金杯』は、この男が偶然に出遭った「狐の嫁入り」道中での宴会に招待された折り、盗んだものだった。しかも、「嫁入り道具目録」の重要な物だったので、婿に当たる妖怪(龍)の怒りに触れたという設定である。

 男と、その妻は、たかが狐と思い、メッキの金杯と狐の好きな油揚げをやれば良いと理解していたが、妖怪世界の凄さを知ることとなった。それで、狐から盗んだ本物の『金杯』を返却した。

 

 

 人間と妖怪世界の付き合いを知らない夫婦は、そこまでだが、主人公の律(りつ)たちは、さらに、人間界の行く末を模索し、危惧していく。
 ※かつて人間と妖怪は、その交流能力のある場合、密かに交流していた。しかし、人間界の方が、自然環境や伝統文化・習慣を大きく変えてしまったので、交流できなくなった。また、妖怪世界に住む者は、人間と共存する世界では生きられなくなり、姿を変えて生き永らえる場所を求めていった。⇒「イラスト」参照
・・・と言うように話は展開していく。

                      *  *  *

 さて、私たちが子どもの頃、『お天気雨』のことを指して、「狐の嫁入り」と呼んでいた。「狐の嫁入り」が行われているという迷信である。体験では、新学期の4月中旬、「家庭訪問(*注)」の頃、空は晴れて青空なのに雨が降っているような気象現象である。他の季節にもあるかもしれないが、春の不安定な天気という印象が強い。
 拡大解釈では、青空が突然曇って激しい雨になったかと思えば、雨雲が通り過ぎると急に日差しが射して快晴に戻るようなこともあった。気象学的には、上空に寒気が入ると共に、激しい風が吹いていて、離れた所の雨雲を吹き飛ばして晴れている地域に移動させたり、反対に、不安定な大気の動きを強風が大きくかき混ぜたりして、目まぐるしく天気を反転させているようだ。

狐の嫁入り (イラスト)

 興味があったので、インターネットで調べてみると、『お天気雨』に関する俗信は日本だけでなく、世界各国にあるようだ。
 マレーシアでも「狐の嫁入り」と言い、韓国では「狐の雨」、スリランカでは「狐の結婚式」と、狐が共通して使われている。
 さらに、韓国では、「狐の雨」より「虎の結婚」がよく使われ、インドでは「ジャッカルの結婚」や「サルの結婚」、フランスでは「オオカミの結婚」などもあると言う。
 いずれにしろ、世界中の人が、天気雨を不思議な気象現象だと感じ、幻想的な光景を想像したのだと思う。それにしても、動物が人間のように結婚行事をしているとする発想が、似ているのは興味深い。
 ところで、俳句の下五句に「残り香よ」としたのは、日本のいくつかの地域で、大名行列よろしく、人が狐に扮して練り歩くお祭企画があることを知ったからだ。花嫁は、狐の面を被る場合もあるが、狐のように口が尖って見えるように化粧粉(フェイス・パウダー)を塗りたくっている写真を見た。こんなに厚化粧していれば、さぞや、香水の香りだけでなく、化粧粉の匂いも強く残るだろうなと想像してみた。

 

 

 【俳句-②】は、神社の赤鳥居を潜って主殿に進むと、梅の木があって、毎日の散歩の折り、梅の蕾(冬芽)がどのくらい膨らんできたかと眺めていることを詠んでみた。ただし、
農閑期に私は、毎日のように散歩はするが、自宅から離れた鼻顔神社を訪れているわけでもないし、神社の境内に梅の木があるかどうかは知らない。その意味で、フィクションである。季語は、梅(暦)(うめ・ごよみ)で、春である。 
 この俳句は、かなりすらすらと短時間で創作できた。それは、上五句の「赤鳥居」と、下五句の「梅暦」というフレーズを、かつて使った俳句があったからだ。

梅暦(蕾の膨らみ)

 『寒詣 曾孫に引かれ 赤鳥居 (平成29年1月)』 ・・・私の母が、新年の初詣に薬師堂へ行き、曾孫が本堂まで案内しようとするが、階段の段差があり過ぎるので、下でお参りした時の様子を詠んだ俳句である。厳密には、鳥居のある神社ではないが、Tさんがアドバイスしてくれて、赤鳥居となった。
  『歩を止めて 逢瀬重ねる 梅暦 (令和4年2月)』 ・・・農閑期に冬田道を散歩していると、小さな梅の木があり、その冬芽(蕾)の生長を観察しつつ、春の訪れ(開花)を楽しみにしていた。梅を恋する女性に例え、「逢瀬を重ねる」と、洒落てみたら、Wさんが「イイネ!」を出してくれたので、印象的な俳句のひとつである。

                  *   *   *

 そこで、私としては気に入っていた2つの俳句の、それぞれを採用し、中七句に、それらを繋ぎ、少なくとも状況がわかるフレーズをと考えました。
 音読してみると、流れもスムーズで、私なりに気に入っています。
 ところで、前述の私の俳句を推してくれたWさん
を始め、他の何人かのベテラン(この俳句の道60年以上関わっている)の皆さん中には、数年前に詠んだ俳句と、部分的に、具体的には、俳句の上句・中句・下句や、季語の一箇所しか違わない俳句を定例の句会に提出する場合がありました。
 私は、俳句を冊子にまとめ、編集する係を仰せ付かっているので、良くわかるのです。敢えて、指摘しませんでしたが、一部を変えても、どれもこれも、すばらしい俳句であるからです。
 私は、俳句に携わって日も浅い輩なので、「同じ季語は、なるべく使わないで、新しい季語に挑戦しよう」という方針で、定例俳句会への提出を進めていますが、今回の場合、実際に俳句を創作してみると、自分の好きなフレーズを使うと、うまく俳句がまとまるということが、わかりました。
  私は、専門の地質学と共に、これからも、俳句を続けたいと思っていますが、 好きなフレーズや、何度使っても飽きない季語を使った俳句を作りたいと思いました。


 【俳句-③】は、フィクションでありません。父子家庭の児童が、春の遠足に、「稲荷寿司」弁当を持って来たという内容ですが、弁当箱の他の副菜や、そのアレンジに感動したことを詠みました。季語は、「春の遠足」で、春です。「遠足」だけでも春の季語になります。実在の方々の話題なので、プライバーに配慮して、内容を少し変えてあります。

 私が単身赴任をして、ある小学校勤務をしていた時のことです。小学1年生の春の遠足に、引率の付き添いで参加しました。
 楽しみなお昼となり、皆でシートを敷いて、お弁当を広げます。児童らの様子を見ていると、互いのお弁当の中身やアレンジを見せ合い、副食の物々交換をしているようです。
 何人かの児童らと共に、Mちゃんも私の所へ来て、交換しようとしますが、私のお弁当は、梅のお握りとポテトサラダだけなので、交渉は成立し難いです。
(参考までにːたった2品目のお弁当ですが、早朝に梅を刻んでお握りを作り、海苔を巻く。一方、ジャガイモを蒸かしている間に、野菜やハム・チーズを刻み、塩とオリーブオイルを混ぜて、そこへポテトをつぶして入れてかき回すと、1時間近くかかります。割とまめな方なので、朝食の味噌汁も作るので、このくらいかかるのです。) 
 それでも、私の「梅のお握り」とMちゃんの「稲荷寿司」を交換しました。『これあげる』と、いくつかの副菜を私にくれました。彼女のお弁当箱やタッパー類を見ると、稲荷寿司を始め、10種類近い副菜がふんだんに詰め込まれていました。友と交換した食材があったかもしれませんが、明らかに食べきれないくらいの量です。

 

 誰が用意してくれたのかと聞くと、お父さんが用意してくれたと答えましたが、お父さんの出勤時間になってしまったらしく、『こちらは、お姉ちゃんが詰めてくれた』と。

通称・お稲荷さん



 私は、Mちゃんが父子家庭であることも、また、お父さんも知っているので、朝の家族のやり取りが想像できました。朝のご飯や味噌汁を作るのは、私と同じですが、多分、娘の遠足用食材は、前日にスーパーなどで仕入れてきておいて、少し早起きして詰めた。しかし、出勤時刻が迫ってきたので、残りは、Mちゃんの姉に託して家を出たのだと思います。品数も量も多く、丁寧に詰めてあるお弁当を見て、お父さんの娘に寄せる愛情の深さを感じました。
 交換していただいた「稲荷寿司、通称お稲荷さん」が、今でも、強烈な印象のまま思い出されます。利発なMちゃんも、今はきっと、皆から愛される素敵なお嬢さんになっていることと思います。

 

 【編集後記】(はてなブログ)

 本文の【俳句-①】の解説で、「お天気雨」の所で出てきた「家庭訪問(*注)」について説明します。長野県で実施されている「家庭訪問」は学校行事ですが、全国のどの地域でも(※注)行なわれている訳ではないと思うからです。 
 (※注ː「行って」は、文章の前後の意味から、『おこなって』とも『いって』とも読めます。それが嫌で、「行う」でなく「行なう」という記述にしますが、お許しください。)

 4月1日に新任地の中学校に赴任した私は、4月中旬には学級担任として、学級39名の各家庭を4日間で訪問し、事前に提出していただいた書類内容の確認と共に、どんな地理的場所・家庭環境・親の雰囲気等の情報を収集してきました。大学を出たばかりの若造が、一丁前の仕事に挑戦したわけです。その後、中学1年生を担任しては中学3年生で卒業させるという3年サイクルで、担任を繰り返し、毎年4月に、家庭訪問も実施してきました。
 私は、大して負担と感じませんでしたが、同僚の中には『緊張して疲れる』と愚痴をこぼす人もいました。中には、『生徒が、家庭学習をしている部屋を見せてください』と、その子の勉強部屋や、場合によっては居間を家庭訪問場所に指定した同僚もいました。
 しかし、いつしか「家庭訪問は、担任が変わった学級のみ」という学校も出てきました。授業時間数確保の為や、訪問を受ける保護者の多忙さも背景にあったのかもしれません。世の中が、そして、保護者と学校・教員との関係も少しずつ変化してきたと思います。・

                     *  *  *

 私は、現在は、小麦粉製品でアレルギーが出ます。長年、学校給食で食べてきたパンや、大好きなラーメンを食べてきたはずなのに、食べた2時間後ぐらいに症状が現れます。
遅延性アレルギーのようです。いつも現れる訳ではありませんが、ビスケットを食べて、散歩中にアナフラキシーとなり、救急搬送されたこともありました。
 もう少し前は、「海老」でした。寿司ネタの海老や、刺身の海老を食べると、すぐに胃で異変を感じ、吐いてしまいました。これも、いつもという訳ではないので、自宅では食べましたが、宴会などで、外では食べないようにしていました。
 そして、いよいよ本題に入ります。

バナナと家庭訪問

 かつて、私は、「バナナ・アレルギー」でした。
今でこそ、バナナはスーパー・マーケットで、比較的安価で売られていますが、私たち世代の子どもの頃は、バナナ(主に台湾産)は高価であると言うことに加え、品薄で、めったに手に入るものではありませんでした。色が変わって黒ずんだものでも、争って食べたものです。
 ところが、私が高校生となった頃、バナナを食べると、すぐに唇に違和感を覚え、腫れてくるのです。吐くことはありませんでしたが、不快でした。しかし、高級食材のバナナを諦める気持ちには至りません。バナナの薄黄色筋を取り除いて、洗って食べても症状が現れました。それで、しばらく、バナナは食べないことに決めました。

 

 さて、私が赴任した地域の子らは、その土地の雰囲気も含めて、純朴で、他から来る人を温かく受け入れてくれました。私は、家庭訪問を前に、「先生の好きな食べ物や嫌いな食べ物」という誘導尋問に引っかかり、バナナ・アレルギーのことを白状してしまったのです。
 そして、家庭訪問の2日目、N君のお宅を訪問しました。『先生が、お好きだと伺ったものですから』と、何んと、バナナを山盛りにして出してくれたのです。これは、N君が、自分の大好きなバナナを、「先生が好きだから」と、母親にねだって用意させたことは明らかです。同時に、担任の先生の為に、バナナを用意しようとする、そんな時代でした。
 私は、母親の勧めにも関わらず、バナナは、1本も食べずに帰りました。そして、家庭訪問の終わった週休日に、近くの小売店でバナナを購入して、食べてみました。
 忘れていた高級感のイメージのあるバナナの味が蘇りましたが、かつて経験したことのある違和感やアレルギー症状は起きませんでした。
 今は、バナナも平気で食べていますが、N君のお陰です。ちなみに、その後、Nくんの結婚式以来、年賀状だけの交流ですが、彼らも、もう定年退職世代になるのですね。

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 バナナに関して、もうひとつの思い出があります。「バナナと日本人~フィリピン農園と食卓のあいだ~(鶴見良行・著)」(岩波親書1982年刊行)を読みました。私が次に赴任した中学校で、「先生の紹介する図書を読んでみよう」企画があって、この本を紹介しました。

 私が、「おいしいとだけ感じて食べている異国のバナナが、どんな場所で、どんな生産方法で、そして、生産に携わる人が、どんな生活をしているのか」と、生徒にぶつけてみた。
 すると、多くの生徒が、反応した。書籍は安いので、購入した生徒もいた。だが、こんな社会問題を中学生にぶつけて、生徒と共に考えられたのも、今では時代の情熱なのかと思う。
 簡単に背景に触れると、アメリカの4大バナナ企業の資本が、フィリピン農家を買収し、まるで現代の奴隷のようにして働かせている。肥料代金も紐付けされるので借金も増えていく、そして、消毒薬付けとなった完全に青いバナナを、コンテナの中で燻蒸し、少しずつ黄色し、ちょうど良い色になった所で日本に輸出してくる。
 ・・・現在でも、中華人民共和国で、国有企業が少数民族の人々を半強制労働のような方法で安い賃金で働かせ、生産物を国外に輸出していることが、人権問題として批難の的となっているが、先進国からの資本投資で、発展途上国の安い労働力を使って生産するという搾取は、戦前の植民地時代が一応終わったとされた後でも、面々と続いていた。

バナナは、薬付け(人は借金付け)

 参考までに、現在のバナナ生産量トップ10は、インド、中国、インドネシア、ブラジル、エクアドル、フィリピン、アンゴラグアテマラタンザニアコスタリカの順となる。(FAO統計2021年)。インドが世界生産量の約1/4ということには驚いた。
 バナナは感染病などに弱いので、化学薬品を多量に使うようだ。また、上記で紹介したフィリピンの場合より少しは改善されてきているが、バナナ生産者の生活は貧しいと言う。
確かに、おいしく簡単に食べられる食材だが、相対的に昔より安く手にはいる。その訳は、生産者の安い労働力と大量生産に支えられているからなのだろう。(おとんとろ)