北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年度 3月の俳句

     【弥生の句】

 

① 撮るよりも 母に見せたや クロッカス

②  「ただいま」と 土の匂いの 一人占め

③ 欠伸して 風聞き澄ます 木の芽山    

              《冬が過ぎ去って》

 中学校の三学期は短い。とりわけ、3月7日が公立高校後期選抜試検日(面接実施高校は翌日も)だったので、入試後の3年生は、卒業式(3月16日)に向けての諸準備で忙しくなった。
 しかし、教材研究は私の専門とする分野で、1年生だけなので、起きてからの朝1時間ほどで済み、家ではのんびりとできる時間が増えた。週休日は、以前のように散歩と布団干しなどの優雅な生活に戻った。
 唯一、大変だったのは、少々無理した「卒業記念文集」作りと、最後の学級会で渡す「送別の言葉(Be ambitious for X?)」原稿作りがあって、朝3時に起きてPCに向かったことだ。私は昔から、「絶対に、その日までにやらなくてはいけない」という状況になると、まずは少し飲んで寝て、完成まで必要とされる時間を逆算して起きることにしていたが、現場を離れた今でも、その習慣が蘇ったようだ。
 3月の「みゆき会」の句会は、高校へ送付する指導要録の写しの印刷が済んだ後の3月25日(土)にあった。私の勤務の都合で、週休日にしてもらっていた。 今月は、退職してから9年間の自適生活という「慣性の法則」を破って、多忙を極めた農閑期の季節労働と共に、厳しい冬が過ぎ去ったことの安堵感を俳句にしてみようと考えた。目標は、少しまともな俳句に戻したいということでもある。


 【俳句-①】は、母が大事に育ててきたクロッカスが咲きだしたことを、写真に撮って、老人ホームに届けるより、母に直接見てもらいたいなあと、感じたままを詠んでみた。季語は、クロッカスである。

庭に咲いたクロッカス



【細石 囲みし母の すみれ草】
 (令和元年・4月作) 種子がこぼれて殖えた草花も、大切に扱っていた。

【同じ土手 母が見つけて 蕗の花】
 (令和2年・4月作) 野山の植物にも関心が高く、散歩の時にも植物観察していた。

【母が見て とっかん花だと 昔語り】
 (令和3年・7月作) 蛍袋は、風鈴草・提灯花など、いくつかの異名がある。母に見せたら、昔に遊んだ「とっかん花」だと、懐かしい思い出話をしてくれた。

 【老梅や かはりし人と なりし母】
 (令和4年・3月作) 1年前に施設に入所した母だが、家の敷地のあちこちから出てくる草花は、母が球根を伏せたり、手入れしたりして育て、維持・管理してきたものである。そんな経緯があるので、直接見せたかった。

 ちなみに、クロッカスの花にしたのは、花言葉が「青春の喜び(youthful gladness)及び、快活さに満ちて(cheerfulness)」で、はつらつとした若さの象徴であるからである。ヨーロッパ南部や地中海沿岸から小アジアが原産地である。アヤメ科の園芸種で、花の色は、黄色・白色・紫色などがある。

 

 【俳句-②】は、多忙さは薄れてきたものの、落ち着いて庭の季節変化を見る機会がとれなかった。3月25日(金)は無人の我が家に「ただいま」と帰宅したが、今晩と明日26日(土)は、私が一人だけとなるので、「久しぶりに飲むぞ」と、意気込んでもいました。
 気づけば、庭にクロッカスの花が咲き、チューリップの緑葉が立ち上がっていた。深呼吸すると、大地の匂いの変化に気づいた。文字通り、春の訪れと言うよりは、冬が過ぎ去ったことの安堵感を一人で、十分に味わう思いであったことを詠んだ。
 風呂にも入らずに、ウイスキーのお湯割りを飲みながら、時々やる「もし、宝くじに当たったら、数億円かけて建築したい我が家の設計図作り」を始めた。
 次女の所へ泊りに行っている妻が、私が飲み過ぎないかと心配して電話してきたが、『明日は、みゆき会の句会だから、大丈夫だよ』と応えておいた。

土の匂い (長野牧場の麦畑)



 【俳句-③】は、卒業生に関する業務が完結し、産休補助の勤務から完全に解放されて、元の自由人に戻った時の心境を想像して創作した俳句です。
 私は、寝不足でも「欠伸(あくび)」をしたり、「うたた寝」をしたりすることはほとんど無いので事実ではありませんが、安堵していることは間違いありません。元々、「失敗したら困る」というより、「成功して褒められたら困るなあ」と発想する楽天的で、おめでたい性格なので、平均的な人より不安は少なかったかもしれませんが、それでも、途中から見知らぬ中学3年生(受験生)を相手に、しかも、教育現場から長年遠ざかっていた私が、果たして務まるのだろうかという不安は、常にありました。
 実際、担任したクラスでは比較的トラブルは少なかったものの、やはり誤解や多少の事件がありました。それでも、何とか乗り越えてきました。
 ところで、この句を「みゆき会」で発表したところ、推薦した人から別の解釈があることを教えてもらいました。全て「木の芽山」についての擬人法と解釈したようです。
 長い単調な厳冬に耐えてきた退屈さから、春のぬくもりを受けた時、思わず欠伸して、周囲の様子を伺うかのように聞き耳を立てて警戒しつつ、春の訪れを満喫している木の芽を抱えた里山そのもののことではないと言います。共通していることは、厳寒な冬から解放された安堵感だと思います。
 「木の芽山」という季語を初めて使ってみました。木の芽山には、秋の紅葉と違い、独特な色合いがあります。新緑の芽吹きの前は、木々の芽の蕾を包んでいた表皮の色が変化して、少し赤味がかって色づきます。
 そう言えば、【木の根開く  光輝け 別れ雪(ザラメ雪) 】(平成29年・2月作)の句がありました。雪国の「木の根開く」は季語ではありませんが、冬からの解放を意識して使ってみましたが、寒さ厳しいものの雪の少ない佐久地方では、「木の芽山」のイメージの方が、より身近な風景で、リアル感がありそうです。

冬の欅(ケヤキ) <東京電力・杉の木貯水池>


 【編集後記】

  3月31日までの4日を残して、元の自宅での生活に戻りました。初日は、自分の二階の部屋の掃除と模様替え(冬から春・夏用に)を、ほぼ一日がかりでしました。

翌、29日には、孫たちがやってくるので、私の部屋がきれいであることを見せないといけないからです。(12月の時のように、私のPCのZOOM機能を使って、皆で母と面会する予定もありました。)さらに、玄関の生け花や飾り物も整備しました。

 そして、娘が孫を連れて帰省してきました。向山の土手でフキノトウ摘み、森上の畑でナズナ摘み(29日)、母との面会~コスモタワーで遊ぶ(30日)、松本スカイパークの遊具で遊ぶ(31日)、パラダで散歩と食事(4月1日)、そして、4月2日に帰っていきました。

 私にとっても、非日常の生活が続き、少しリフレッシュした感じでした。

 さて、私の自宅勤務(農作業と地質研究)は、10年目を迎えました。気分転換ができたところで、良いスタートを切ろうと予定していましたが、少し、ぼんやりとしていたら、既に2日が過ぎようとしています。こんなに、良い天気なのに、机に向かっています。それもそのはず。実は、農作業に使う「管理機」が、修理に出して12日も経つのに、出来上がってこないからなのです。鍬柄一本で、大地に向かうのは無理なので、1日も早く修理が完了するのを待っています。

浅間山(釜山)からの水蒸気(火山灰はなさそう) 4月1日(北パラダから)

 今日は、あまりすることがなかったので、カメラを提げて散歩をしてきました。このところ、浅間山の山頂付近から噴煙が上がることが多いので、もし、やや大きな噴火があれば、写真に記録しようと持ち歩いています。     (おとんとろ)