北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和6年 二月の俳句 

     如月の句

①春の縁 ハイハイ競う 老いの膝

②爺孫の ゴッチンコ見てた 楓の芽

③嬰児や 掴まえようと 牡丹雪  《孫の育ち三題》

 

 正月の能登半島地震から1カ月が経過した。懸命な復旧作業でも、まだ生活再建への目途は立っていない様子が伝えられる。国際政治では、世界各地で戦闘に明け暮れている。ウクライナパレスチナガザ地区ミャンマー、中東、紅海、西アフリカ、コンゴなどの他に、人権を踏みにじられ、治安の乱れた地域に住む人々も多い。
 そんな地球にあって、日本の片田舎で住む私は、平和に眠れることの有難さを痛感している。基本的に農閑期の今は、デスクワークと散歩を日課にしている。そして、昨年の4月に生まれた孫との交流を楽しみにしている。今月は、そんな孫の育ちをテーマに、俳句作りをしてみようと考えた。


 【俳句-①】は、日当たりの良い縁側で、高速ハイハイができるようになってきた孫と、競い合うように這いまわる爺さんの様を詠んだ。「老いの膝」には、膝関節痛になったことを言外に匂わせた。季語は、「春(の縁)」である。

高速ハイハイ

 子ども(赤子)の成長は、日々著しい。寝返りを打てるようになったのを喜んでいたら、「ずりばい」の時期に入った。さっきの場所に居なくて驚くと、横や後ろに進んでいた。「おすわり」から、バランスが崩れて、後頭部を打って泣いたこともあったなあ。
 そして、両足を伸ばして、腹部を持ち上げた。『両生類から、爬虫類に進化したぞ!』と騒いでいたら、「ハイハイ」へと移行した。同時に、周囲の物や人の動きにも興味・関心が出てきて、絶えず見守っていないと、とんでもない事をしたり、あちこち動き回ったりしてしまう。忙しい時は、一坪ほどの囲いの中に入れておこうとするが、泣き出してしまって機能しなかった。
 爺・婆も関わるので、独りだけで「檻(おり)」の中で過ごすのは苦手なようだ。今は、「高速ハイハイ」もできる。既に、高い所にも手を伸ばそうとしているので、やがて「掴まり立ち」から、ヨチヨチ歩きも、もうすぐだろうと思う。
 老人は、ゆっくりと老化していき、あまり変わり映えがしない。それに対して、赤子は、日一日一日と、何らかの新しい要素が加わっていく。寧ろ、新たに加わると言うより、身体の中から新たな要素が湧きだしてきていたと表現した方が正解なのかもしれないと思う。

お座りができた

 我が子の場合は、子育ての多くを妻に任せっぱなしであった。寧ろ、孫たちの方が、良く観察し、日々の変容に気づくことができている。

 

 

【俳句-②】は、孫を抱いて庭に出た爺さんが、「おでこ」同士を軽くぶつけることを「ゴッチンコ」と呼んで遊んでいる。ふと、楓(カエデ)の小枝を見ると、赤紫色の芽生えが始まっていた様を詠んだ。

 楓の芽が、爺孫を見たとする擬人化表現だが、二人の戯れを温かく見守ってくれているようだった。季語は「楓の芽」で、春である。

楓(カエデ)の芽

 

 山が赤く染まるのは、「モルゲンロート(Morgen rot)」や「夕焼け」であるが、もう少し拡大すれば、落葉樹の「紅葉や黄葉」もある。さらに、もうひとつある。
早春の木々の芽生えの頃、種類によっては芽(つぼみ)や芽生えが、いずれも赤褐色から赤紫色に染まり出し、ひとつでは弱弱しいが、木々や山全体が色合いを帯びてきて、独特な「赤色」を演出する。楓は、その演出メンバーの一員である。
  春先の新緑の葉を付けた楓も、夏の日差しを遮る掌のような葉を茂らせる楓も、秋に紅葉へと変容していく楓も、そして、初冬に枯れ葉となって散っていく姿も風情がある。しかし、そんな楓の一年間の変化を知っているだけに、楓という植物の原点ともいうべき、新たな生命が誕生してきた風景が、愛おしいと思った。
 好きな季語のひとつになりそうだ。

赤紫色の芽生え

【俳句-③】は、孫を抱いて、雪の降りだした様子を見に庭に出たら、牡丹雪であった。天から、ゆらゆら舞いながら落ちてくる大粒の雪に興味をもった嬰児は、それを掴まえようと必死に幼い掌を動かしていた様を詠んだ。季語は「牡丹雪」で、春である。

牡丹雪

 

 雪の降りだしたのは、2月5日午前9時で、大粒の雪だが、正確には牡丹雪というほどではなかった。
 南岸低気圧による降雪で、俗にいう「上雪(かみゆき)」で、湿雪となって、我が家の築山の松の枝が折れないか心配するケースだが、気温が低かったので、割と乾いたまま降り続いた。
 午後に雪の止む時間帯ができて、急いで外に出て、玄関から門、家の周りの道路の雪かきを2時間もした。積雪は、12cmほどであった。
 「これで安心」と家に入ろうとしていた頃から、再び激しく降りだしてきて、それからも続いた。未明には、降り止んだようだが、朝起きて庭を見たら、【写真】のような大雪の光景になっていた。雪かきをした後で、18cmほど雪は加わり、積雪は約30cmに達していた。

 

2月6日の朝(積雪30cm)

【編集後記】(はてなブログ

 積雪30cmと言えば、佐久地方では滅多に無い大雪です。豪雪地帯に住んでいる人にとっては見慣れた光景でも、時々降る場合でも、せいぜい積雪5cm以下で、10cm以上も積もれば、大騒ぎです。状況によっては、近所のMさんが土木用重機を使って除雪していただけることもあります。今回は、降りしきる夜中に出動していただきました。過疎地なので、昼間でも良いのに、夜間作業で事故がないようにと祈っていました。翌朝には、普通乗用車が、十分通れる幅に雪が道路脇に寄せられていました。本当に感謝しています。
 2月の雪は、名残雪です。降った翌日の朝は快晴で、数日で雪は消えてしまいます。ところが、朝の冷え込みと最高気温の低い日が続き、加えて重機で固めてあるので、道路脇の雪は淡雪どころか、その後、10日間以上も解け切らずに残りました。
 ところで、子どもたちが小さかった頃、雪が降るとイグルーのようにして、庭先でかまくら作りをしました。【写真-下】

 

庭の「かまくら」(平成7年2月)



 ちなみに、平成26年2月14日~16日の積雪は、1mを優に超えた大雪でした。私が生まれて初めて経験した豪雪地帯並の積雪でしたが、私の定年退職する直前の出来事で、長女の海外での結婚式を控えていたり、退職に伴う後任者への引継ぎ準備で、とても優雅に、「かまくら作り」どころではありませんでした。

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鼻顔神社の鳥居

 

 令和6年2月7日に、鼻顔(はなづら)稲荷神社の「初午・奉燈俳句額」掲示のお手伝いに行ってきました。2月5日からの大雪で、一日延期しての実施です。
 地元商工会議所と佐久俳句連盟共催による年中行事ですが、今年度は、私が携わることになりました。と言うのも、俳句指導者のK(91歳)さんが高齢になられ、引き継ぎたいようです。しかし、俳額の準備や掲示方法の手順を示そうと、脚立に元気よく昇る姿を見ていると、たじろぎました。来年は、私たちで担当してくれるよう、依頼されました。

初午の「奉燈俳句」の額

 ところで、奉納した俳句額の裏側には、古くに奉納した額があり、養(カイコ)の繭(マユ)を使った作品も挙がっていました。かつての殖産興業の願いを込めた郷土の熱意にも感動しました。

繭玉(まゆだま)による作品の額

 最後に、前回の「はてなブログ」から、一カ月近く時間が立っていますが・・・・。

 予定では、「続々・佐久の地質調査物語・第203回」を載せるつもりでいましたが、
その編集後記で、「大陸側から見た日本海」と「日本海東シナ海」に触れようと思いました。しかし、この話題は、以前のブログで使っていたのではないかと思い、それまでの約4年間分のものを、振り返って読んでいました。なかったようなので、そのエピソードを載せた内容で、次は載せたいと思います。

 そろそろ、三月(弥生)の俳句の創作をと思い、散歩しながら季語や題材を捜してきました。今朝(3月1日)は、大雪なのに、午後には道路はすっかり解けていました。「名残雪」とは言うものの、本当にさらっと「さよならー」と別れるように消えていくのですね。同じ日本列島の南岸を通過していく低気圧による降雪でも、三月に入るとだいぶ違います。春は、着実に近づいてきていると感じました。(おとんとろ)