北海道での青春

紀行文を載せる予定

一日置きの行動

 猛吹雪の翌日は、快晴であった。
幌の街を後にして、「小川」という沢沿いに進む。新雪が、10cmほど積もり、ややシールの利き具合は悪いが、ラッセルほどでもないので、一面の白銀の世界は、爽やかだ。
 沢の標高180m辺りから、尾根に取りついた。浜益御殿(1038.6m)から南南西に延びた尾根は、斜度も緩やかで、雪崩の心配も少なく、快調に登ることができた。何より、空の青さが雪の白さ以上にまぶしい。
 浜益御殿から、雄冬山(1197.6m)にアタックし、浜益岳(1257.7m)との間のコル(鞍部)で、テントを張った。標高は970mほどの地点である。ここが、1泊目のテントサイトとなった。
 雪面を踏み固め、掘り出した雪のブロックをテントの回りに積んで、防風壁を作った。快適に過ごせそうなテントができあがり、満足したのも束の間、食事を作り始める頃から、雪が舞い出した。午後4時の気象通報で天気図をつけてみると、大陸の低気圧が日本海上に出てから発達し、その影響で大荒れの天気になるらしい。明日は、停滞日となる公算が大きい。
 普通なら早めにシュラフに入るのに、「明日はだめだろうな」ということで、遅くまで起きていることになった。夜半に東風が強まり、雪の防風ブロックの上にかけたシートの震動音がうるさくて、たまらない。結局、取り外す為に、起きることになった。
 (cf) 東風は、低気圧が、自分の方に接近しつつあることを示す。)

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暑寒別岳から雨竜沼へ

 翌朝は、予想以上に大荒れの天気になっていた。
 半日は、シュラフにくるまったまま、テントが引き裂かれるかのような猛吹雪の音を聞いていた。午後になってから起きて、停滞用の食事を取り、その後は、ナポレオンというトランプゲームをした。それから、Kさんのユーモアあふれる話を聞いていた時のことだ。
 『それから、どうなったんですか?』というM君のつっこみに対して、

『それが、さあ・・・』と言ったきり、Kさんは、首をうなだれ、背中を丸め、話を中断してしまった。TさんやM君も同様に、背を折ったまま、ひれ伏している。何ごとが起きたのかは、3人の共通した格好を見て、理解できた。激しい西風で、雪の防風ブロックが崩れてきたのだ。反対側にいたH君も、延ばしていた足の上に直撃をくらったが、何とか引き出せた。
 ふたりで、吹雪というより風だけが異常に強い外に出て、雪のブロックをどかし、救出活動をした。中では、『おーい、早くしてくれ』と、救いを求める声が笑っているので、けがの心配はなさそうである。大半のブロックをどかした頃、TさんとM君が出てきた。
 それから、重心が低くなるように雪のブロックを積み直した。幸いにも、テントはアルミ製の支柱が曲がっただけで、天幕は破れていなかった。もし、全員が寝ている時に発生した倒壊ならば、笑い話では済まなかったかもしれない。
 冬山では、サバイバルナイフやカッターの類を持参するように言われている。もし、雪崩でテントが埋まった時などに、天幕を切るためだ。実際、これだけの雪の重さでも破れないナイロン地に、身体ごと覆い被さられたら、窒息することも十分にあり得ると実感した。
 ところで、激しい風と雪の嵐の翌日は、再び、空が抜けるようで果てしなく、青を通り越した濃紺の空が広がった。

 尾根づたいに浜益岳~P1026を越え、群別岳(1376m)にアタックした後、その直下のコル(標高1150m付近)で野営をした。(C3)
 しかし、その翌日は再び吹雪となった。尾白利加(1346m)をめざしてテントを出発したが、吹雪の稜線から引き返した。それで、同じ場所で停滞した。(C4)
 ところが、次の日は快晴で、めざす暑寒別岳(1491m)の登頂に成功し、南暑寒岳を越えて、雨竜沼湿原を見下ろす尾根の途中(標高955m付近)でテントを張った。(C5) しかし、翌日は雪で、停滞することになった。(C6)
 結局、予定した3日分の停滞食を全て食べ尽くした。後にも先にも、全ての停滞食を、本当の停滞という形で消化した経験はない。そして、こんなにも目まぐるしく変わる天候も初めてだった。


【初 日】(土曜日) 吹雪・札幌からバスで幌へ。民家に泊めていただく。(C0)

【2日目】(日曜日) 快晴・雄冬山にアタック。浜益御殿を越える(C1)

【3日目】(月曜日) 吹雪・停滞日(C2) 
【4日目】(火曜日)  快晴・群別岳にアタック(C3)

【5日目】(水曜日)  吹雪・尾白利加から引き返す。(C4) 

【6日目】(木曜日)  快晴・暑寒別岳に登頂・南暑寒岳を越える(C5) 
【7日目】(金曜日)  雪・停滞日(C6)・午後は晴れ薄曇りで山スキーをする。

【8日目】(土曜日)  晴れ・雨竜湿原の雪原を踏破~新十津川駅(C7)

【最終日】(日曜日)  晴れ・札沼線で、札幌に帰る。 

 気象という点からみると、こんな天候があっても不思議ではない。
 この時期(早春)、バイカル湖からアムール川(黒竜江)にかけてのシベリア南東部に低気圧が発生すると、偏西風に流されて日本海に移動してから必ず発達する。暖流の対馬海流が、日本海を北上してきているからだ。相対的に温かな海上を、大陸からの乾燥した冷たい空気塊が通過する間に、盛んに水蒸気を含むようになる。それらが、上昇気流によって上空に運ばれ、雪雲ができる。
 西から東へと偏西風に流される移動性の低気圧は、ほぼ一日もあれば、大陸から日本海に移り、北海道を横切っていく。だから、大陸東部に低気圧があると、その日は快晴でも、次の日は大荒れの天気になるらしい。
 だが、なぜ一日交替で天気が変わるのかと問われれば、うまく説明できない。
 たぶん、時速40km/時ほどで移動する低気圧は、25時間で100kmほど、経度にして10°ぐらい移動できるので、同じ移動性の低気圧でも、比較的、緯度の高い所を真東に移っていく場合、ちょうど一日行程になるのではないだろうか。
 いずれにしろ、厳冬期の冬山と、のどかな陽光を浴びた春の山が、同居しているようなものなので、とても神経を使う天気変化であった。

 

 【編集後記】日本海の低気圧が、太平洋に抜け、強い西風が吹き抜ける春の嵐を体験するたびに、この暑寒別岳のことを思い出します。