北海道での青春

紀行文を載せる予定

生活支えるもの・その4

★ 文字文化への回帰 ★

 「衣食足りて礼節を知る(論語)」という言葉がある。
 生物としてのヒトから、社会生活や文化活動を送る人間になるには、「衣食住」だけでなく、もっと複雑な要素があって、「生活を支えるもの」が成り立っているのだと思う。
 この時、長期間に渡り、山での共同・耐乏生活を続けていると、日常生活の中で見過ごしてきたことが見えてくるし、何が自分にとって必要なのかも見えてくる。
 『山から下りたら、最初に何をしたい?』というようなことが、テントの中でよく話題になった。今回の山行というわけではないが、停滞日や長い山行では、テントの中でそんな話題が出てきた。
 下山した麓に温泉があると、何日も風呂に入っていないので、「風呂に入ってビールが飲みたい」という人もいた。突然、大声を出して、「ああ、そう言えば、提出レポートが残っていた」などと、したい訳ではないが、現実の生活を思い出して深刻になる人もいた。
 一般的には、「○×が食べたい」というような食欲に関するものが多かった。私は、どういう訳か、ラーメンが、それも味噌ラーメンが食べたいと思うことが多かった。

逆に、山で食べた雑炊が美味しかったのが印象的で、帰ってきてから作って食べたら、期待はずれで、がっかりした経験もある。
 その次には、多くの場合、男ばかりのパーティーなので、性欲に関した話題が出てきても良さそうなものである。しかし、皆、本音を隠していたのか、それとも純粋(ピュア)であったのか、あまり話題には挙がらなかった。

 唯一覚えているのは、知床半島で、リーダーのNさんが、『もし、①自由にセックスをさせてもらえる女性がひとりいるのと、②スカートをまくってもいい女性が、百人いるのとでは、どちらがいーい?』と、茶目っ気を出してメンバーに尋ねたことだ。
 Nさんは、百人のスカートめくりの方がいいと言う。私たちが、少し真剣になって、その問題について考えようとしたら、医学部生のK氏が、言った。
 『何だそれ?スカートをまくるというのは、どういう意味があるんだあ』と。
 『これは、性(セックス)に関する、浮気心や深層心理の問題だぞ』というNさんの応戦だが、『スカートをまくって、女のパンツを見たって、何にもならないじゃないか』と、K氏が一笑して、なぜか話題は途切れてしまった。

 私は、なぜか、「活字に触れたい」という欲求があった。
 個人的な理由かもしれないし、学生という特別な事情であったかもしれないが、無性に新聞のようなものが読みたいと思った。それも、時事問題や最新ニュースが知りたいという理由ではなく、漠然とはしているが、文字の書かれたものに触れたいという欲求なのだ。気象通報を聞いて天気図を記録する為に、ラジオは携帯していたから、定時ニュースは、山の上でも聞いていた。だが、それらの情報も含めて、新聞のようなものが読みたいと思うことが多かった。

 

                *  *  *

 

 ・・・・・大学1年生の時、土木作業のアルバイトで、ちょうど一週間、家を解体した廃材やレンガブロックなどの片付けをしたことがある。
 『土木作業は、ゆっくりとやれ。仕事はサボルという意味ではなしに、長く続けるには、休み休み八分の力でやることだ』と、一緒に作業していた「おじさん」から親切な忠告を受けたが、友人のH君とともに、真剣になって取り組んだ。後で、「良くやってくれた」と、工事の下請け会社の社長さんから、ボーナスをいただいた。
 そして、1日の労働に疲れ、下宿先に帰って夕食を取ると、ウイスキーを煽って、寝てしまった。朝起きれば出社する時間で、毎日、同じような生活を繰り返していた。すると、しだいに頭の中が「からっぽ」になっていくような気がした。最初の頃は、快く感じていたのだが、だんだんもの足りなさを感じ、複雑なことを思考できない頭になっていくのではないかと、少し不安になってきた。
 朝起きたら、歯が浮いて、歯痛がした。
 『今日は、何となく休みたいなあ』と思ったら、昨日でアルバイトが終わっていることに気づいた。「おじさん」の言う「長く続けるには・・・・」という言葉が蘇ってきた。
 そう言えば、昔スキーのジャンパーで、選手権大会にも出場したことがあるという「おじさん」は、昼休みには新聞を読んでいた。それに対して、私とH君は、昼寝をしていた。ちょうど一週間、私は、活字から遠ざかった生活をしていて、文章を読んだり、書いたりすることもなく、からっぼになる頭への恐怖を感じていた。

               *  *  *

 そんなイメージと、山行での思い出は、重なるものがある。
 好奇心や冒険心、それに山への憧れから山行を計画するのだが、どこかに日常生活から逃避しようという気持ちがあった。

 学生だったから、日常の人や仕事の上での軋轢(ストレス)があったという訳でもなく、都市消費者生活への絶望というような大袈裟な理由がある訳でもない。漠然と、原始生活での生命回帰と刺激を求めていたように思う。しかし、出される結論は、活字に象徴される情報社会への回帰だった。人としての帰巣本能なのかもしれない。不思議なものである。
 どうしてなのか考えてみたこともあるが、少なくとも私は、「文字」に象徴される場所からは、長い間、遠ざかっていることはできないらしいと感じた。

 

 【忙中緩和】  Internet of Things の時代から

 私が学生時代を過ごした部屋の写真を見ると、草鞋(わらじ)が、蛍光灯の上に吊してある。しかし、江戸時代ではない。沢旅で使った残りをインテリアにして飾ってあるに過ぎない。壁には、山水画と風神・雷神図、日本地質図と地質的歴史年表が画鋲止めしてある。そして、机の右端には、カセットテープレコーダー兼ラジオがある。

 これを見ただけで、どんな時代であったか、経験した人ならすぐにわかる。今の自身の生活と比べた時、決定的な違いはインターネットと繋がるPCが無いことである。もちろん、携帯電話もない。
 このふたつの機器は、今や学生に限らず、人々の生活の必需品になっていると言っても、決して過言ではない。それに伴い、便利になったのか、不幸になったのか、見方は時と場合にもよるが、とにかく、心臓の鼓動と同じくらい片時も手放せなくなっている。 
 私が言う「文字に象徴される場所」は、このことなのだろうか?・・・と思う。

 

 【編集後記】 学生時代の、やや青白い顔をして、喫煙しながら(小説家の真似)写っている写真を載せようかと思いましたが、止めました。最後に、疑問符で、「文字に象徴される場所」はと述べていますが、多分、情報という観点では共通していますが、文字、活字に触れたいという欲求は、ほんの少し使う脳の部分が違うような気がします。