北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-141

      《中部域の沢》

6. 熊倉川 (上流部) の調査から

 平成17年8月2日午前7時、青沼小学校へ集まり、熊倉川への2度目の挑戦が始まりました。全員が揃い、7時20分に出発し、余地峠には8時12分に着きました。(余地ダム湖から余地峠に至る林道は、封鎖されています。許可を受けて解錠・通過しました。)
 合流する沢の二股が、滝の落下口になっている珍しい滝(【図-⑫】)で、先頭を歩いていた二人が「ジバチ」に刺されるという事件がありましたが、午後4時半には青沼小学校へ、無事に着くことができました。

 

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熊倉川上流部のルート・マップ

 余地峠の少し手前で、Rav4(渡辺車)と新車の軽トラ(中沢車)を置いて、10分ほど歩いて峠に出ました。余地峠は、標高1270mほどあります。江戸時代に作られたらしい「馬頭観音像」が佇んでいました。(【図-①】)

 余地峠からの林道は国有林区で、最近まで利用されていたのか良く整備されていました。標高1260m付近(【図-②】では、熱変質した灰白色細粒砂岩層が見られ、走向・傾斜は、N25°W・20°NEでした。岩相から、内山層だと思われます。

 林道の標高1230m付近(【図-③】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層で、黄鉄鉱(pyrite)の晶出が顕著でした。N20~30°W・10°NEでした。熱変質に関しては、火成岩の露頭は見つけられませんでしたが、余地峠の南側には、石英閃緑岩(Quartz-Diorite)の大きな岩体があるので、岩枝状に貫入して、熱変質させたのかもしれません。

 林道の分岐点(標高1140m)を少し過ぎた(【図-④】)では、粘板岩(slate)が見られました。黒色泥岩の熱変成岩です。N40~50°W・15°SWとなり、特に、傾斜が東落ちから西落ちに変わりました。

 前回の調査(7/9 2005)で、林道に目印を残して置きましたが、今回は、もっと手前から入りました。源頭の大きな欅(ケヤキ)の木【☆】を目指し、旧林業小屋の横を下りました。前回の調査で発見した熊倉川に降りられるルートです。9時05分に源頭から下降し始めて、ノンストップで、9時30分には熊倉沢に到達しました。

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標高840m滑滝の右岸(全体の様子)

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標高840mの滑滝の右岸(拡大)

 標高840mの滝の周辺(【図-⑤】)は、前回の調査で観察してあります。(記載内容は、そちらを参照。) 水の流れている滝の左岸側から登り、滝の上に出ました。ちなみに、高所が嫌いな六川先生は、滝の少し手前から雑木林の中を経由して、気の毒なほど遠回りをして滝を越えました。
 滝の上(【図-⑥】)は、約40mにわたり礫岩層からなる滑滝が続いていました。全体は亜角礫で、最大径は白チャートの4×8cmでした。

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滑滝の上(礫岩が連続して分布している)

 滝の50m上流から、次の南からの滝の手前50mの区間(【図-⑦】)は、千枚岩化された灰白色細粒砂岩と、いくぶん泥岩層が混じる互層が見られました。

 南からの滝、標高865m付近(【図-⑧】)の下流50mから滝を含む、次の滝までの間は、南西側に湾曲した崖で、チャートの円礫を主体とする礫岩層でした。礫岩層の走向・傾斜は、EW~N70°W・30~60°Nでした。湾曲部の奥まった所は、結晶質の灰色細粒砂岩層で、黄鉄鉱の晶出が見られました。
 支流の滝なので、水量が少なくやや迫力不足ですが、山の斜面から本流へと直接落下しています。北海道の知床の沢にもこんなタイプの滝が多く見られたので、「知床滝」と呼ぶことにしました。

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「知床滝」と名付けた、いきなり川底に落下する小滝と六川先生

 湾曲した崖が終わり、流路を西に振る所(【図-⑨】)に、落差2mほどの滝がありました。白チャートの円礫を主体にした(黒色チャート無し)礫岩層が造瀑層で、左岸側が割れていました。この滝から続く左岸側に、白チャートの巨礫(最大40×70cm、多いのは30cm程度)を含む礫岩層が見られました。

 標高880m付近(【図-⑩】)では、幅80cmの破砕帯が見られました。【写真の中央】破砕帯の周囲の珪質灰白色砂岩層の走向・傾斜は、N15~20°E・30°NWでしたが、
破砕帯の部分を境に、落差があるのか、横ずれがあるのかは、わかりませんでした。

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破砕帯(左岸側・北側を向いて撮影)

 この上流は、帯青灰白色の中粒~粗粒砂岩層の滑滝が続きました。
 そして、塊状の灰色中粒砂岩層からなる滑滝が見られました。落差のある滝というより、滝壺が美しい円形をしているのが特徴でした。露天風呂には最適です。

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円形の滝壺 【破砕帯の上流】

 ちょうど標高900m付近(【図-⑪】)の南西側一帯は、大きな崖になっていて、看板表示で「障子岩国有林」とあったので、障子岩と呼ぶのかもしれません。
 地形図を見ると、標高差で40mぐらいあります。【写真】の遠くの人と比べると、それ以上にも感じられます。

 標高895mで南から流入する小さな沢から、標高905mで北から流入する小さな沢までの間が断崖で、この下を熊倉川は(下流側から見て)S字の逆に湾曲して流れています。

 下流側から、塊状の灰白色粗粒砂岩層、小さな滝(粗粒砂岩)、少し礫が混じり珪質な灰白色粗粒砂岩層、滑滝(礫岩層)、再び灰白色粗粒砂岩層(最大径80cmの白チャートの巨礫が入る、pyrite が晶出)と岩相が変わりましたが、全体は粗粒砂岩層で形成されていました。
 なぜ、障子岩のような大断崖ができたのか、不思議です。

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「障子岩」の断崖



 ちなみに、山中地域白亜系や内山層全体の地質をまとめ、地質図を作成する段階で、この障子岩付近を通過する推定断層の解釈が生まれました。それは、「知床滝」の礫岩層あたりと障子岩付近の間の小さな沢(【写真-右】)と、破砕帯(【図-⑩】)を結ぶ線にあるのではないかと考えました。
 さらに南側から見てくると、『山中地域白亜系の中から、大上峠を経て障子岩付近、馬坂川支流の大滝を通り、田口峠付近、そして初谷沢』で、内山断層に至るような大きな断層を想定しています。

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障子岩の手前(少し下流)にある小滝

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 標高905m~910m(落差5mほど)に珍しい滝がありました。(【図-⑫】)
 熊倉川の本流は北西から、余地峠方面から流れる支流は南西から、ちょうど直角に沢が合流し、合流点から沢水が流れ落ちています。造瀑層は、結晶質の灰色粗粒砂岩層です。滝の上も同質の粗粒砂岩層でした。
支流の沢のわずか上流では、クラックがあると、穴あき状に崩れ、小さなくぼみができていました。また、堅い岩盤のはずですが、クラックの入った所から崩れやすく、滝の下の左岸側の一部は、ブロックで崩れていました。

 (話は少しそれますが、昼食を食べた後、この滝の右岸側を高巻いて滝の上に出る時、先頭を歩いていた中沢先生と星野先生が、ジバチの巣を踏んで刺されました。中沢先生は、蜂アレルギーがあるので、簡易の吸い出し器で蜂毒を除き、事無きを得ました。)
 

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「ジバチ」滝と命名した滝(下流から撮影)

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沢の合流点から滝の下を望む【図-⑫】

 支流の沢のわずか上流では、クラックがあると、穴あき状に崩れ、小さなくぼみができていました。また、堅い岩盤のはずですが、クラックの入った所から崩れやすく、滝の下の左岸側の一部は、ブロックで崩れていました。

 

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穴あきクラックの様子

                                
 滝の上、西から流入する小さな沢との合流点、標高910m付近(【図-⑬】)では、少し手前に極めて分級の悪い礫岩層が見られました。白チャートと粗粒砂岩が多いのですが、現世の河床礫のような印象を受けました。合流点から上流は、極めて崩れやすい粗粒砂岩層の崖が続きました。

 北からの沢との合流点、河床がゆるやかになる標高920m付近(【図-⑭】)では、暗灰色粗粒砂岩層とわずかに礫岩層が見られました。その少し上流から、分級の悪い礫岩層が続きました。チャート礫が少なくなり、砂岩や火成岩の礫が多くなりました。

 沢の幅が広くなる標高930m付近(【図-⑮】)では、砂岩岩塊の巨礫を含む礫岩層が見られ、その少し上流では、暗灰色細粒砂岩層がありました。
 北から沢、北北西から沢と、15mも離れないで、ふたつの沢の合流が続きます。そして、938m二股(【図-⑯】)では、熱変質した灰白色極細粒砂岩~泥岩層が見られました。全体的に礫岩や粗粒砂岩が目立つので、泥相は寧ろ目立ちます。
 滝(【図-⑫】)の上の分級の極めて悪い礫岩層(【図-⑬】)あたりが境目で、この礫岩層を含めた上流部が、兜岩層ではないかと考えています。

 

 標高938m二股から、右股の本流を少し進みました。

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「人面岩」と名付けた凝灰角礫岩の大岩塊

 標高940m付近(【図-⑰】)では、二人の人の顔が向き合っているような(【写真】)凝灰角礫岩(tuff breccia)の大岩塊がありました。岩塊の間をくぐり抜けることができます。その上流にも、凝灰角礫岩が続いていたので、兜岩層だろうと判断して引き返すことにしました。大岩塊は「人面岩」と名付けました。

 二股に戻り、左股から余地峠に戻ろうと思います。時間は、午後1時30分ですが、帰路も沢の厳しい登攀とブッシュ漕ぎが待ち受けているはずです。
 標高980m二股(【図-⑱】)では、帯青灰色の粗粒砂岩層と角礫の礫岩層が見られました。
 次の二股、標高990m付近では、凝灰角礫岩層が、また、標高1020m付近では、凝灰質の粗粒砂岩層が見られました。
 標高1040m付近(【図-⑲】)では、凝灰質の粗粒砂岩層の中に、幅1.5mや4mの角礫層が挟まっていました。
 標高1070mで沢水が伏流、1080mで再び湧き水がありました。しかし、すぐに途絶え、標高1100m付近からは、ガレ場が多くて落石の危険が伴うので、低木帯に入ることにしました。ヒノキの植林の斜面を登り、最後は、ネマガリダケの中をブッシュ漕ぎして、推定1260m付近で、笹の刈ってある道を発見し、道なりに尾根を越えて、林道に出ました。(14:50)

 そして、林道を歩いて、余地峠の少し下の車を置いた場所に無事到着です。(15:20) 朝出発した青沼小学校へは、午後4時30分に着きました。

 

 【編集後記】

   本文中に出てきた「ジバチの滝」の写真と、そのエピソードは、既に紹介している『山中地域白亜系の中の、瀬林層・「腰越沢の調査から」の編集後記』で触れています。腰越沢本流の両側から小さな沢が合流する三俣があって、その5mほど下流に、瀬林層下部層(白亜系)と内山層との境となる内山層の基底礫岩層があるという話題です。「滝にはならなかったが、基底礫岩層が硬いので、下流が浸食されずに上流部が削られて三俣が形成された」という内容です。

 ここの「ジバチの滝」は、造瀑層が礫岩層で、2方向からの沢筋が、ちょうど滝の流れ出す口で直角に交わっています。まだ、上流部を浸食仕切れていないようでしたが、滝の上は、しばらく平坦となって土砂を溜める小さな河原ができていました。川の上流部で「V字谷」ができるという単純パターンではないことを教えてくれます。ひとえに、周囲より硬い地層が存在することで生じる現象だと思います。

 ところで、「内山層」の話題の次に、それより新しい時代の地層の話題を予定していますが、本文に紹介した調査当時は、『内山層の上位層は、単純に兜岩層だ』と理解し、兜岩層の凝灰角礫岩などを見つけると、その先(主に上流)の調査は止めていました。先人の調査内容で満足して、深く追究しませんでした。(たまたま、この地域は、それで良かったようですが・・・・・)

 それにしても、この「人面岩」は、二人の人物が「おでこ~口」辺りをくっつけているように見える印象的な大岩塊でした。アメリカ・インディアンが奇岩に名前を付けるのを真似てみましたが、地形図で標高などの情報が伝えられない時代には、特徴的な岩や大木、特異な地形に、その姿を印象付ける名前を付けて、部族の中で共通認識をしていたのだろうと想像します。

 例えば、本文中の『障子岩』の大断崖も、家庭にある障子の例えでは、その迫力を伝えるのに不十分ですが、立てた障子のように垂直であるという意味合いにおいては、十分に地形の特徴を説明できます。

 ただし、障子岩を境に(実際は断層ですが)、地質時代は、ジュラ紀と新第三紀(中新世)ほど大きな時空の隔たりがあるのですから、室内と屋外を隔てる障子程度の差でないことには、触れて置きたいと思います。

 

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秘境・熊倉川の位置(再掲)

 

  最後に・・・、今日の午前中、TOYOTAの「PRIUS」車から、1年前に新車で購入したDAIHATSUの「TANTO 」車の定期点検がありました。その後、しばらく雨が止んでいそうなので、夏野菜を収穫に畑に出かける予定でしが、なかなか「はてなブログ」が進みません。夕方から明日にかけての降雨なので、遅くなるほど雨降りは確実です。

 夏の果てを迎え、夏野菜も勢いがだいぶ衰えてきましたが、オクラとミニトマトは、例外です。収穫を1~2日延ばすと、オクラは固くなり、トマトは熟れてしまいます。今から、急いで野菜の収穫に出かけます。(おとんとろ)