北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-142

 

第Ⅷ章 南部域の沢


 内山層の分布域を①北部域(内山川水系)、②中部域(雨川~谷川~余地川)+②'余地峠~熊倉川、③南部域(灰立沢~矢沢および、抜井川の支流など)と、大きく3つに区分した時、灰立沢は、南部域に入ります。
 ところが、灰立沢の下流部はジュラ系(海瀬層)で、中流部は石英閃緑岩が広く分布し、上流部は板石山溶岩(安山岩)に覆われ、内山層は、ほんの限られた範囲でしか観察できませんでした。
 灰立沢には石英閃緑岩の採石場があり、霧久保沢と共に大規模に掘り出されています。
 また、板石山(1240m)には、鉄平石(板石山溶岩)の石切場もあります。

 

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灰立沢(はいだてさわ)の位置

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石英閃緑岩の切り出し場

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秦(はた)採石の加工場

 

1. 灰立沢の調査から

 平成16年8月9日、灰立沢の調査に入りました(【灰立沢のルートマップ】を参照。図-数字は、露頭番号に対応している。矢沢や抜井川支流との関係がわかるように、他の沢のデータも添えてあります。)

 

 「秦(はた)採石」さんの加工場に挨拶に行き、写真撮影をさせてもらいました。その後、林道終点の標高1100m(【図-①】)まで車で上りました。
 川底は、石英閃緑岩(Quartz-Diorite)が広く露出していて、真っ白でした。石英閃緑岩の中に、「8cm~厚い所で15cmの幅×長さ2.5~3m」の層状の縞模様が見られました。石英閃緑岩が砕けた礫や他の結晶質砂岩の礫が礫岩層のように入り込んでいます。原因が良くわからない構造でした。

 南から小さな沢の合流する標高1110mでは、石英閃緑岩の滑滝が、見られました。川底を覆っています。

 北からの沢が合流する標高1115m付近では、石英閃緑岩が、周囲の結晶質砂岩層の地層に入り込み、シル(sill・板状の貫入)のように貫入している様子が観察されました。岩相からは、基盤岩(ジュラ系)の可能性もありますが、断層の東に位置するので、内山層が熱変成されている可能性もあります。

 現段階では、石英閃緑岩の貫入がずっと後の出来事なので、貫入によって押し上げられ、仮に内山層があったとしても、削剥されていると考えた方が良いと考えています。

 

   

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石英閃緑岩の岩枝がシル(sill)状に貫入する

この上流側、標高1130m・1145m・1190m地点(【図-②】)でも、石英閃緑岩が見られました。

 そして、標高1205m付近(【図-③】)では、結晶質砂岩層が見られました。内山層の砂岩や泥岩が、玢岩などの熱で変質した灰白色~灰色とは違い、もっと緻密で堅いので、熱変成の程度が強いのではないかと思われます。わずかに、分布する内山層が熱変成されたゾーンだと考えました。

 北からの沢が合流する標高1220m(【図-④】)では、再び石英閃緑岩が見られました。そして、標高1240m付近(【図-⑤】)では、板石山安山岩の溶岩が出始めました。これより上流側に分布していると思われます。

 

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灰立沢のルートマップ(cf:矢沢断層の資料も併記)

 【編集後記】

  内山層の分布域を①北部域(内山川水系)、②中部域(雨川~谷川~余地川)+②'余地峠~熊倉川、③南部域(灰立沢~矢沢および、抜井川の支流など)と、大きく3つに区分し、各地域ごとの紹介している最後となります。

 灰立沢は、矢沢で確認できた「矢沢断層」の北への延長部分に当たり、その証拠を探りましたが、石英閃緑岩体の貫入した一部分などに当たり、直接の証拠は得られませんでした。それで、断層の延びの方向から【図-①】付近だと推定しました。

 前の章で紹介した「熊倉川」のような派手さはありませんが、沢の狭い範囲で内山層が確認でき、地味ながら貴重なデータとなりました。写真の加工で、データー容量を減らしてしまったのは残念です。ちなみに、六川先生と二人だけの調査でした。

 ところで、本文中に出てきた『北からの沢が合流する標高1115m付近では、石英閃緑岩が、周囲の結晶質砂岩層の地層に入り込み、シル(sill・板状の貫入)のように貫入している様子が観察されました。・・・』という所の『シル』という言葉には、懐かしい響きがあります。

 地質学や岩石学を選択した人なら、その初年度や基礎の段階で、火成岩の貫入の様式を学びます。「シル(sill)」というのは、火成岩が地下深部から地層に貫入してくる時に、層理面に平行になるように侵入してくる産状です。一方、地層を断ち切って貫入してくるのは、「岩脈(dyke)」です。そう言えば、もっと大規模な、主に花崗岩の産状で、「バスリス(底盤・batholith)」というのもあったなあ。

 50年近く前に、K教授の岩石学の講義で聴いたことを懐かしく思い出しています。

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 9月は、秋野菜の種蒔きや定植、畑周辺の草刈りなどの整備作業、それに、家の敷地の除草や倉庫・車庫の片付けなど、忙しいというより、次々と「今日(キョウ)やるべきこと、何か用(ヨウ)事がないか」と捜し、俗に言う「キョウ・ヨウ」を大事にした生活に徹したせいか、『はてなブログ』が疎かになっていました。

 月が改まった10月1日は、台風先触れの雨天で、室内で一日休養して過ごしましたので、今日は、がんばろうと、「灰立沢の調査から」を載せました。さらに9月の『俳句のまとめ』もしなければ・・・と懸案事項を思い出しました。(おとんとろ)